学校の様子

8/17 戦争の傷跡と鈴木貫太郎氏


 この冊子は、1986年(昭和61年)度の卒業生が、担任の酒井先生とともに三ケ尾地区の13件のお宅を訪問し、戦時中のことを聞き取りした内容をまとめたものです。今から34年前に卒業した皆さんがまとめた冊子です。聞き取りのほかにも、当時の普門寺、あみだ寺、森川板金の倉庫の隣の墓、協同館の隣の墓、学校の門前の墓を調べたと書いてあります。当時は、どのお宅でも戦争のことを聞くと、戦地でのこと、戦地での生活のこと、三ケ尾地区の生活のこと、千人針のことなど教えてくれたそうです。話してくださった方々誰もが「戦争は二度としてはいけない。」と語っていたそうです。戦後41年の当時から34年経った今年、2020年、この冊子のページを開くとそこかしこに「戦争」を風化させてはならないという思いがあふれていました。
    さて、75年前の8月17日は、終戦時内閣総理大臣だった野田出身(生まれは大阪、3歳より野田在住)の鈴木貫太郎氏の内閣解散の日でもあります。鈴木貫太郎氏は、昭和天皇の強い希望により、1945年(昭和20年)4月7日より内閣総理大臣に就任し、陸軍の反対を押し切って日本を終戦に導きました。戦後は、郷里の関宿町(現野田市)に戻り酪農の振興に尽力され81歳で没しています。死の直前「永遠の平和、永遠の平和」と非常にはっきりした声で二度繰り返したそうです。知るということは、考えることの源です。どうぞ、ご家庭でも話題にしてみてください。