学校長から

令和6年度(3年度より継続)

2月 全校朝会校長挨拶

皆さんこんにちは。

皆さんは「終末時計」というのを知っていますか。先週の1/24火曜日に今年の「終末時計」が発表されました。

「終末時計」は、地球の歴史を24時間として午前0時を人類滅亡の瞬間に見立て、それまでの残り時間を計算して示したものです。アメリカの科学雑誌(ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ)が毎年発表しているもので、去年は「午前0時まで残り100秒」でしたが、今年はそれが「90秒」に縮まってしまいました。これまでで最も人類の滅亡に近付いてしまったのです。

「終末時計」が10秒短くなってしまった原因はいくつかあるのですが皆さんは予想がつきますか。

(少し考える時間を取る)

主な原因は、ロシアによるウクライナ侵攻です。ロシアが核兵器の使用をほのめかしているからです。これに加えて新型コロナウイルス感染症やCO2による地球規模の環境破壊などが10秒短くなってしまった原因です。

しかし、この「終末時計」は時計の針を巻き戻すこともできるのです。人類滅亡となる原因と反対のことをすればいいのです。つまり、戦争や核兵器を止めて、コロナなどの感染症をなくし、CO2による地球規模の環境破壊をなくせば良いのです。しかし、この3つのことは一人の力で簡単にできることでしょうか。もし、そうだったら今頃もう解決していることでしょう。世界のピンチを救って「終末時計」を巻き戻せるのは、一人のヒーローの力ではなくて、皆さん一人一人の力なのです。

なぜこの話をしたかというと、今日から始まるこの2月の生活の中でも、皆さん一人一人の力が必要になる場面がたくさん出てくると思うからです。賢い新川小の皆さんなら、どんな場面か思いつきますよね。少し考えてみてください。

(少し時間を空ける)

皆さんの考えたそれぞれの場面で、一人一人の力を合わせて頑張ってくださいね。期待しています。

避難訓練校長の話

皆さん、今日の避難訓練はいつもとは違う避難訓練でしたね。

そうです、いつもと違って「予告なし」でしたよね。また、今日はいつものようにクラスでまとまって逃げたり、決められた避難経路で校庭に出たりしませんでした。1人1人が自分の頭で判断して避難しました。

今回の「予告なし」の避難訓練で校長先生が皆さんに学んでほしいことは「シミュレーション」の大切さです。

本当の地震は「これから大きな地震が起きますよ。」と予告などしてくれません。もちろん、学校にいる時だけではなく、家にいる時やお買い物の際中、映画館などの娯楽施設にいる時など、どこでどんな時に起きるかわかりません。

いつ起きても大丈夫なように「ここで地震が起きたらこうしよう」「ここだったらこう逃げよう」のように心の準備をして逃げ方をイメージしておくといいですね。そうやって想像して準備しておくことを「シミュレーション」と言います。

今日の避難訓練は、今年度最後の避難訓練です。なので、担当の井上先生に頼んでいつもと違う「応用問題」の避難訓練にしてもらいました。

皆さん、応用問題は上手に解けましたか。校長先生が採点したところ今日の皆さんの避難訓練は100点満点でした。皆さんはこの後、1人1人が教室でふりかえりをしてみてください。

これで校長先生のお話を終わります。

3学期始業式校長挨拶

あけましておめでとうございます。

皆さん、冬休みの間、元気で過ごせましたか。今日から3学期ですね。

今年は令和5年。いよいよ令和の時代も5年目を迎えることとなりました。

さて、この令和5年という年は新川小学校の皆さんにとってかなり特別な年になります。どうして特別な年になるかわかりますか。

(少しだけ時間をとる)

ヒント1 お誕生日です。

ヒント2 150歳です。

ヒント3 人間ではありません。

もうわかった人がたくさんいそうですね。

そうです!

令和5年は新川小学校が150周年を迎えることになる年なのです!

(拍手!)

でも、学校のことですから3月まではまだ令和4年度です。4月になってから令和5年度の新川小学校150周年のお祝いをします。

そこで、皆さんに考えてもらいたいことがあります。それは、児童の皆さんが150周年のお祝いでどんなことをしたいかということです。校長先生は児童の皆さんの意見を中心にやることを考えていきたいと思っています。実は、〇〇先生も新川小学校の卒業生の一人ですから、〇〇先生に150周年実行委員会の先生になってもらうことにして〇〇先生の了解ももらいました。皆さんもやりたいことがあったらぜひ実行委員になって意見を聞かせてください。今お話を聞いている6年生の中には「僕たち私たちは3月で卒業してしまうけど実行委員になれるのかな」と心配している人もいるかもしれませんが大丈夫です。なれます!150周年記念のお祝いの詳しいお話はこの後担任の先生に聞いてください。

さて、次は3学期の話です。校長先生は3学期の新川小学校のテーマは「感謝」だと思っています。皆さんがこうして毎日元気に学校に来て勉強したり、生活したりできること。それは当たり前のことだけど当たり前のことではありません。校長先生は皆さんに、当たり前の幸せに気づき、「感謝」できるようになってほしいです。当たり前すぎて口に出せなかったり、恥ずかしかったり、するかもしれませんが、「感謝」を表現してほしいです。6年生はもうすぐ卒業式があったり、他の学年の皆さんも学年が一つ上がったりする時が来て、3学期は「感謝」を表現するにはとても良い時期ですから。

「ありがとうございます」「お世話になりました」「うれしかったです」。どんな言葉でもいいのです。話すのが苦手な人は手紙でもいいです。

先生だけではなくお友達、学校だけではなくお家の方、少し考え方を変えて人だけではなく皆さんがお世話になった物、「150周年の新川小学校に感謝」でもいいですね。

それでは、3学期。「感謝」の気持ちを持って頑張りましょう。

これで校長先生のお話を終わりにします。

2学期終業式校長挨拶

おはようございます。

さて、2学期も今日で最後の日となりますね。

今から、校長先生がみなさんの過ごした2学期を振り返って成績を付けてみたいと思います。

まず、学年ごとに行き先は違いましたが、校外学習です。どの学年も実行委員を中心に皆さんは頑張っていました。中でも6年生の修学旅行は、充実した「濃い2日間」となり、校長先生もとても思い出に残っています。他にも、新小オリンピック、市内音楽発表会、ミニバス大会、ふれあい遊び、持久走記録会と、どれも頑張っていました。

ここまでで、もう既に100点満点なのですが、最後に「はなまる」を付けたいことがありました。

それは、4年生の職員玄関や廊下掃除から始まった「ボランティアの輪」です。今では、落ち葉履き掃除やあいさつ運動に、3年生、5年生、6年生と加わり、「ボランティアの輪」が新川小に広がりました。

「自分たちでできること」を「自分たちの頭で考えて」行動できた皆さんは、本当に素晴らしいです!!そして、よくがんばりました。200点!

明日から冬休みですが、校長先生から1つの宿題と3つの注意をします。

よく聞いてください。宿題は、来年の自分の目標を立てることです。

来年1年、どんなことを頑張ってみたいか自分で目標を決めることで、さらに自分自身が大きく成長できると思うからです。

注意する3つは、交通事故、不審者、新型コロナ予防です。

3つとも気をつけてほしいのですが、特に新型コロナ予防については、おとといまで校長先生自身が家族全員陽性になって苦しんだので気をつけてほしいです。去年のことを思い出すと、冬休み明けに一気に流行って緊急事態宣言が発せられたのを覚えています。年末年始で人が集まることが多くなる時期です。健康管理は特に頑張ってください。

では、令和5年1月10日に、いつも通り、校長先生は正門でみなさんと元気に会えるのを楽しみに待っています。

これで校長先生のお話を終わりにします。

良いお年をお迎えください。

11月 全校集会校長の話

新川小学校の皆さんこんにちは。

今月は、132年前に本当にあったお話をします。日本とトルコ共和国の友情の物語「エルトゥールル号」のお話です。よく聞いてください。

 

ドガーン!グワーン!

ギーギリギリギリ!

船底がきしむ音が聞こえました。船が座礁した音です。傾き始めた甲板で、みんなが必死で何かにしがみついています。

「助けてくれーっ!」「もう、だめだ」

大きな波が船を襲い、今にもバラバラになりそうです。

「おい、陸地が見えるぞ!」「どこでもいい。板につかまって岸まで泳げ!」

ザバン!ザバーン!

荒波にもまれ、岩に当たり、服は破れ、けがもしました。

それでも、5人、10人と少しずつ浜に泳ぎ着きました。

時は明治時代。1890年9月16日。船の名前はエルトゥールル号。日本との友好行事を終えたトルコ共和国の使節団は横浜を出発し、家族の待つトルコへと向かいました。しかし、和歌山県の串本町の沖合で激しい風と波のためにエルトゥールル号は座礁してしまったのです。助かった人はわずかに69名、亡くなった人は580名と言われる大惨事でした。

崖の上から浜辺を見下ろしていた串本町の人々がいました。

「ずぶぬれだし、けがもしとる」
「天狗かの?鼻が高けえの…」

「天狗は山じゃ。海におったなんぞ聞いたことない。ありゃあ、鬼じゃ。赤鬼じゃ。」

「違うよ。多分、南蛮人じゃ。お寺の和尚さんに聞いたことがある。」

「だけんがよう、こりゃあ、はよう皆に知らせたほうがいいの」

沖合の船と浜辺のけが人を一目見るや、一刻を争う事態であることを皆が理解しました。しかし、串本町の人々にとっては初めて見る南蛮人です。少し怖かったけれど、助けることができるのは自分ちだけだと思ったら、ひとりでに体が動いていました。串本町の人々はトルコの人に衣類や芋、卵などを提供して介護し、手厚くもてなしました。その後、助けられたトルコの人々は神戸の病院に移って体力を回復した後、当時の日本の軍艦「比叡」と「金剛」によって無事祖国であるトルコ共和国に帰れたのです。

その後、時は流れて1985年3月17日。エルトゥールル号の遭難事故から95年後のことです。世界では、イラン・イラク戦争という戦争が起きていました。イラクのフセイン大統領は「戦争中に自分の国の上空を飛ぶ飛行機は今から48時間後に無差別に攻撃する」と宣言しました。当時、イランに住んでいた日本人もたくさんいました。しかし、危険で脱出できません。各国の飛行機は自分の国の人を救うので手一杯。日本からの飛行機はパイロットたち乗務員の命を優先するためにやってこれない。

そんな時、救いの手を差し伸べてくれたのがトルコ共和国だったのです。タイムリミットが迫る3月19日。トルコ共和国から救援の飛行機が来ると知った日本人は助かったと安心しました。「でも、どうしてトルコが?」という気持ちを持ちながら空港へ向かい、無事イランから脱出できたのです。トルコの人々は飛行機ではなく、日本人のために電車や車などを使って自分の国へと避難をしてくれたのです。でも、なぜ日本人のためにそこまでしてくれたのでしょう。よくわからずにいたところ、トルコ共和国からコメントが発表されました。「私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです。」と。

また、その時、いつ撃墜されるかわからない中を飛行機に乗って助けに来てくれたトルコ人のキャビンアテンダントさんはこう言っています。「95年前、トルコ人は日本人に助けてもらいました。ですから、私たちは日本人を助けるためにこの仕事に携われたことを大変誇りに思っています。」と。

 

日本とトルコ共和国の友情の物語のお話はこれでおしまいです。このお話を聞いて新川小学校の皆さんはどう思いましたか。

今度、学校の中で校長先生に会った時に、ぜひ皆さんの感想を聞かせてくださいね。