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☆6月 9日(金)梅雨のジメジメも吹き飛ばせ!!カーテン洗い、窓拭きボランティアのみなさん!!

 関東地方も梅雨に入り小雨、朝から、ジメジメとした空気が広がっています。そんな中、今日もPTAのカーテン洗いボランティアのみなさんがカーテン洗いに来ていただきました!!キレイキラキラになったカーテン、ジメジメした気持ちもスッキリとします!!ありがとうございます!!ピース

 連日のPTAボランティアのみなさま、本当にありがとうございました!!生徒の過ごす環境がキレイになっています!!これからも、よろしくお願いします。

 今日のカーテン洗いになっていたソレイユ学級の生徒からは、イラスト付きの感謝カードのついたカーテンが届きました!!本当に、ありがとうございました!!

 そして、本日は、2年生の教室の窓拭きのボランティアのみなさんも来校され、普段、生徒が出ることができないベランダ側からもキレイに窓を拭いてくださいました!!林間学園から帰って来た2年生のみなさん!!月曜日に学校に来たら、キレイキラキラになった窓を見てくださいね!!

 PTAボランティアのみなさま、ありがとうございました!!お知らせ

☆10月 5日(木)成果を出し切る子ども達!!

中間テスト2日目。今日は社会と数学に取り組んでいます。昨日同様、子ども達の表情は真剣そのもの。これまでの成果を出し切ろうと一生懸命です。

南流中のみんな、この2日間の中間テストは自分のこれまでの成果と課題を確認し、さらに飛躍するためにとっても大切なテストだったんだ。だから、事前のテスト勉強も大切だけど、テストを返された後の方も同じくらい大切なんだよ。よく確認しようね!!

陸上部やバスケ部、テニス部、ソフトボール部のみんなは県新人や葛北大会と重なり、すごくハードだったよな。それでも、みんな本当によく頑張ったぞ!! 今日は、本当にお疲れ様!!

☆ 1月21日(日)【緊急】能登半島地震、生徒会長からのメッセージ

令和6年1月19日

流山市立南流山中学校保護者様

流山市立南流山中学校生徒会長 成瀬 瑠威

 

能登半島地震支援募金活動へのご協力のお願い

1月1日に発生した能登半島地震は、姉妹都市である石川県能登町にも甚大な被害を及ぼしました。多くの死者を出し、行方不明者も増えている状況です。また、液状化現象による被害も映像を目の当たりにし、今後の降雪等によっては、さらなる被害も不安視されるところです。家族や大切な人を亡くした人、家が倒壊した人、避難生活を送っている人、土砂崩れの恐怖と隣り合わせの人、そうした状況を考え、南流山中では、本災害における被災者の方々への募金活動を行うことを決めました。一昨日の代表委員会を経て、本日より生徒会執行部・奉仕委員・学級委員を中心に、全校で募金活動を行っています。私たち生徒ができることは限られているかもしれませんが、「日本一温かい学校」を謳う南流山中生の誇りを持って活動していきたいと考えています。

そこで、三日間という短い期間で大変恐縮ですが、保護者の皆様にもご協力いただき、より多くの方々からの支援をお願いしたいと考えています。ご協力いただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

実は、私はその日、石川県の隣の富山県にいました。3分程強い揺れがあり、高い場所に避難しました。2時間で帰宅しましたが、避難中にも何回か揺れ、いつ収まるかわからない余震に強い不安を感じたのを今でも覚えています。帰宅した時に家の壁にひびが入っていたことも忘れられません。まして、震災地ではいかばかりかと思います。また、始業式の日に、校長先生から東日本大震災の時に流山市に能登の水が送られていたことをお聞きしました。今こそ支援を下さったことへの恩返しの時だと私は思います。どうか募金にご協力をお願いいたします。

日時:1月22日(月)~1月24日(水)の三日間

場所:私たち生徒を通じて募金していただければと思います。

   直接募金をご希望の方のために事務室に募金箱を設置いたします。

なお、当初生徒会執行部では、17日の代表委員会で実施決定、期間をまず二月くらいまでと考えておりましたが、姉妹都市であることを鑑み、流山市として取り組むことが決定されました。24日(水)に市内全小中学校の募金を集約し、31日(水)に流山市役所に届けることになっております。慌ただしい日程ですが、重ねてご協力をお願いいたします。事情により三日間という期間を設けましたが、三日間だけで終わることなく引き続き募金活動は続けていきたいと考えています。私たちの活動にご理解をお願いいたします。

☆ 5月18日(土)野球部、積極的な攻撃姿勢!!~市内大会~

本日、京和ガスベースボールパークにて野球の市内大会が行われ、本校野球部は強豪の八木中学校と対戦しました。 

3回表に2点を先制された本校野球部は、その裏すぐさま1点を返します。しかし、八木中もその後、5回、6回、7回と1点ずつ加点し本校を突き放します。最後まで粘りを見せたい本校も、四球などを絡めランナーを出すものの、ここぞのところで点を奪えずに、残念ながらそのままゲームセット。1対5で涙をのみました。

しかし、最後まで声を掛け合い、積極的に攻撃を仕掛ける本校野球部の姿は実に立派!! これから必ずや巻き返しを図れるはずとの確信が持てました!!

勝負は2ヶ月後の葛北大会!! 野球部のみんな、ここからだよ!! 全員野球で頑張れ!! 野球部!!

なお、本日も保護者の方から子ども達の素敵な写真をご提供頂きました!!ありがとうございました!!

☆ 8月 9日(金)「平和は人類共有の世界遺産である」

1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分、長崎に原爆が投下されて今日で79年。

先日の広島に続き本日、長崎において「平和記念式典」が挙行されました。広島と同様に甚大な被害を受けた「長崎」。我々にとって今日8月9日も決して忘れてはならない日です。今日の式典の中では、被爆者を代表して三瀬清一朗さん(89)が「平和への誓い」を述べました。以下その全文です。

平和への誓い

 11時2分、止まったままの柱時計を見るたびに79年前の悪夢がよぎります。

 当時、私は10歳。夏休み中で、午前中に警報が解除され、母と祖母は洗濯と炊事を始めていました。私は家にあったオルガンで、B29の爆音を真似(まね)して、ブーンブーンブーンと音を出して遊んでいました。それを聞いていた祖母が飛んできて「敵機が来たと間違われるから止(や)めなさい」と叱られ、渋々オルガンの蓋(ふた)を閉めて立ち上がろうとした時、ピカッと眩(まぶ)しい閃光(せんこう)が走りました。とっさに学校で教わった通り、指で両耳・両目を押さえ、オルガンの前に伏せました。次の瞬間、ドーンと鈍い音が響き、続いて爆風が家の中を吹き抜けるのが解(わか)りました。その間、恐怖に怯(おび)えながらじっと堪(こら)えていました。やがて静かになったので、恐る恐る頭を上げて辺りを見廻(みまわ)すと、惨憺(さんたん)たる有様(ありさま)で、太陽が落ちてきたと思いあ然としていると、洗濯していた母が狂ったように子供たちを捜し始めました。我が家は8人家族、幸いにも全員無傷でした。

 数日かけて家の中を片付け、当時通っていた伊良林国民学校の事が気になり、友人と様子を見に行きました。目に入ったのは、「水を下さい、水を飲ませて下さい」と弱り切った声で懇願している、男女の区別もつかないほど血だらけの人や上半身裸で傷を負った人でした。体育館に運び込まれた人たちは、誰かが手当てをしたり水を飲ませたりすることもなく、ただ寝かされているだけで、体育館の中は夏の暑さと漂う異臭で地獄のような状態でした。先程まで苦しさにわめいていた人が急に静かになったと思ったら、既に息絶えており、大人が頭と足を抱えて校庭に運び出し、穴を掘り、板の上に遺体を載せて焼いていきました。自分の学校が死体処理場に変わった光景は、今でも忘れることができません。

 あれから79年、私たち被爆者は健康不安に怯えながら、核廃絶を訴えて来ました。しかしながら、海外に目を向けると、ウクライナやパレスチナなど戦火は収まるばかりか泥沼化しており、多くの子供たちが命を落としています。この悲しい現実を目の当たりにして、戦争の愚かさから目をそらすことは出来ません。平和の尊さを痛感する毎日です。

 現在地球上には推定1万2120発の核弾頭が存在すると言われており、世界においては核兵器の使用が示唆されるなど、一触即発の緊張が続いています。万一使用されるとこの地球がとんでもない状態になる可能性さえあります。本日ご列席の岸田内閣総理大臣へ申し上げます。子供や孫たちが安心して過ごせる青い地球を遺(のこ)していくために、被爆国日本こそが、核廃絶を世界中の最重要課題として、真摯(しんし)に向き合うことを願ってやみません。

 私は、2015年から長崎平和推進協会の語り部として、長崎を訪れる修学旅行生や次世代を担う若者たちに核兵器の恐怖を語り続けており、2023年から英語による活動も始めました。平和とは何かを皆さんと一緒に考え、可能な限り続けてまいる所存です。最後に“peace  is  a  world  heritage  shared  by  all  humankind(平和は人類共有の世界遺産である)”と申し上げ、亡き御霊(みたま)へ捧(ささ)げる平和への誓いの言葉といたします。

2024年(令和6年)8月9日

被爆者代表 三瀬清一朗