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春日部市立粕壁小学校は今年度、開校153年を迎えました!
「豊かな学びで よさを磨く学校」
粕壁小の学区は、「粕壁宿」として江戸時代に栄えました。宿とは、幕府から宿場業務を行うように指定された町のことです。乗り物といっても、人が担ぐ駕籠や輿、馬などしかなかった江戸時代では、武家や公家などが通行したり、荷物を継ぎ送るため、一定の距離ごとに人足と馬が用意されていました。幕府の役人や諸大名・公家・日光山関係の役人らが通行するときには、無賃か民間より割安な公安賃銭で人馬を利用することができました。そのため、宿場町には問屋場、本陣、脇本陣などが設けられ、主な住民は人馬を負担する義務がありました。その見返りに近世中期までには粕壁宿では他子(敷地にかかる年貢)一万坪分が免除され、定期市の開催が認められていました。粕壁の町は日光に近い方が上手で、真言宗最勝寺などがある旭町(旧寺町・横町、寺横町)が突き当たりにあり、道に沿って上町、仲(中)町、新宿、三枚橋と続きます。江戸方面の宿の入口に、市神である牛頭天王社(現八坂神社)が祀られています。
【 江戸後期の粕壁宿の概要 】
本陣:大名など身分の高い者が宿泊・休憩するところ(1軒)。粕壁宿の場合、江戸後期には火災などで3回本陣が変わった。
脇本陣:通行が重なった時などの本陣の予備施設(1軒)。
旅籠:一般の旅館。江戸後期には45軒あった。
問屋場:公用の通行者や荷物を輸送するための人足と馬を手配し用意するところ。
宿建人馬:粕壁宿が日常用意している公用人馬は35人35疋。これ以上必要なときは、近隣の村から調達された。
囲人馬:宿建人馬のうち、非常用に備え常備しておく人馬は5人5疋。
市日:月に6度(4と9のつく日)市を開催。
1.八坂神社 |
2.下の八幡様の参道 |
3.東八幡神社
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4.東陽寺
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近世の牛頭天王社。市神様。夏の祭りは同社祭礼が起源。 | 以前は元禄9年造の石鳥居が建っていた。文化13年造の石灯籠と再建の石鳥居が立つ。 | 下の八幡様・大砂の八幡様。付近は砂塚とも呼ばれた。江戸力持三ノ宮卯之助が天保3年に奉納した力石がある。 | 元禄2年「奥の細道」の旅で粕壁宿に宿泊したという松尾芭蕉の記念碑がある。 |
5.脇本陣 |
6.厚生省薬草園 |
7.本陣跡 |
8.関根名主跡 |
幕末(嘉永2年~)には本陣も勤める。 |
大正11年開園。昭和55年につくば市へ移転。 | 幕末の小沢本陣。見川本陣のあとを勤めた。 | 近世中期までの名主家のひとつ。近世では関根姓を名乗る。 |
9.碇神社 |
10.本陣跡 |
11.田村本店 |
12.多田名主跡 |
関根名主家敷地内にあった稲荷社。付近に下喜蔵河岸があった。 | 近世中期の本陣。関根助右衛門家。 | 蔵造りの店の商家。歩道に道標が立つ。(現位置ではない) | 近世中期までの名主の一人。時期不詳だが一時期本陣も勤めたこともある。 |
13.商家の蔵 |
14.問屋場跡 |
15.見川名主跡 |
16.高札場跡 |
川沿いまで蔵が連なる。 | 宿場の業務を行なったところ。 | 近世後期名主の一人。関根助右衛門のあと、本陣も一時勤める。 | 幕府のお触れを掲げる。今は交差点だが江戸時代には三差路だった。 |
17.上喜蔵河岸跡 |
18.新町橋 |
19.最勝院 |
20.加藤楸邨の旧宅跡 |
埋め立てられたが、わずかに石積みが残る。 | 近世には大橋と呼ばれた。板橋が架かっていた。 | 春日部重行公墳がある。三代将軍特替えわ家光の遺骸を一時安置。明治26~30年に、千住馬車鉄道の終点となった。 | 俳人加藤楸邨が俳句をはじめた旧制粕壁中学校(現県立春日部高校)教員時代の最後の住居があったところ。 |
21.山中観音堂跡 |
22.神明社 |
23.我孫子医院 |
24.後藤書店 |
近世後期の俳諧師増田眠牛ゆかりのお堂。 | 12月に酉の市が開かれる。 | 旧粕壁医院。近代の俳人水原秋桜子・加藤楸邨ゆかりの医院。 | 大衆作家三上於莵吉が、旧制粕壁中学校時代によく利用した。 |