2017年12月の記事一覧
細石器『新編図録春日部の歴史』からのご紹介30
細石器(さいせっき、細石刃(さいせきじん))は、今から約1万5千年前、日本列島の旧石器時代最終末期に使われた石器です。日本だけではなく世界各地で発見されており、英語では、microlith(マイクロリス)と呼ばれています。
細石刃は長さが1~1.5㎝と、大変小型で厚さも2㎜程度で、あたかもカミソリの刃のような石器です。春日部市内では、米島地内の「米島貝塚」や西金野井地内の「風早遺跡」で発掘されています。この他、細石刃核(さいせきじんかく)と呼ばれる、細石器を作り出す素材の石器も見つかっており、細石刃核に残る溝状の跡から、連続して剥ぎ取りながら細石器が作られた技術がわかります。
細石器は、動物の骨や木などに複数埋め込まれ、全体として大きな刃を作って、槍の先やナイフとして用いられたと考えられています。海外の遺跡では、木製や骨角製の柄についたままの細石器が発見されています。また、刃の欠損した細石器のみを取り換えながら使われていたと考えられ、石器の作り方に技術の大きな進歩がうかがえます。これらの一部は郷土資料館の常設展示で公開しています。
「旧石器人の道具」『新編 図録 春日部の歴史』8ページ
1は米島貝塚、2~5は風早遺跡出土。1、2が細石刃核、3~5が細石器。
細石刃は長さが1~1.5㎝と、大変小型で厚さも2㎜程度で、あたかもカミソリの刃のような石器です。春日部市内では、米島地内の「米島貝塚」や西金野井地内の「風早遺跡」で発掘されています。この他、細石刃核(さいせきじんかく)と呼ばれる、細石器を作り出す素材の石器も見つかっており、細石刃核に残る溝状の跡から、連続して剥ぎ取りながら細石器が作られた技術がわかります。
細石器は、動物の骨や木などに複数埋め込まれ、全体として大きな刃を作って、槍の先やナイフとして用いられたと考えられています。海外の遺跡では、木製や骨角製の柄についたままの細石器が発見されています。また、刃の欠損した細石器のみを取り換えながら使われていたと考えられ、石器の作り方に技術の大きな進歩がうかがえます。これらの一部は郷土資料館の常設展示で公開しています。
「旧石器人の道具」『新編 図録 春日部の歴史』8ページ
1は米島貝塚、2~5は風早遺跡出土。1、2が細石刃核、3~5が細石器。
収蔵資料の紹介更新しました
郷土資料館の収蔵資料の紹介ページを更新しました。
今回は追加したのは、北条氏政の感状、三峰神社の眷属箱、西金野井回漕店の板木、の3点です。
北条氏政の感状は、春日部市の指定有形文化財の中世文書です。
わかっている限りでは、市内に現在ある中世文書としては唯一のものです。
昨年度、市内個人の方から郷土資料館にご寄贈いただきました。
三峰神社の眷属箱は、以前このブログでも少し紹介したものです。
三木一彦先生の講演会をうけて、いろいろわかったことを解説に書き加えさせていただきました。
西金野井回漕店の板木は、出前講座の準備で、当館で所蔵している資料群を見直していたときに発見した、収蔵庫の掘り出し物です。
西金野井は江戸川の河岸場としてにぎわいましたが、残念ながら史資料があまり残っておらず、詳しいことがよくわかっておりません。
この板木は回漕業の一端を伝えるものとして貴重な資料です。
詳しい解説は各ページをご覧ください。
今回は追加したのは、北条氏政の感状、三峰神社の眷属箱、西金野井回漕店の板木、の3点です。
北条氏政の感状は、春日部市の指定有形文化財の中世文書です。
わかっている限りでは、市内に現在ある中世文書としては唯一のものです。
昨年度、市内個人の方から郷土資料館にご寄贈いただきました。
三峰神社の眷属箱は、以前このブログでも少し紹介したものです。
三木一彦先生の講演会をうけて、いろいろわかったことを解説に書き加えさせていただきました。
西金野井回漕店の板木は、出前講座の準備で、当館で所蔵している資料群を見直していたときに発見した、収蔵庫の掘り出し物です。
西金野井は江戸川の河岸場としてにぎわいましたが、残念ながら史資料があまり残っておらず、詳しいことがよくわかっておりません。
この板木は回漕業の一端を伝えるものとして貴重な資料です。
詳しい解説は各ページをご覧ください。
郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」を開催しました
平成29年12月10日(日)、郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」が開催されました。
最初に、半紙を使い紙垂を作成した後、しめ縄本体の作成をしました。2人が両端を持ち、ねじって作成したしめ縄は、新年を迎えるのにふさわしい立派な物が完成しました。
参加者からは、「手作りのしめ縄は、感激です」「難しかったけど楽しかった」と感想をいただきました。2回目のしめ縄作りは、12月16日(土)に行います(事前申込必)。
最初に、半紙を使い紙垂を作成した後、しめ縄本体の作成をしました。2人が両端を持ち、ねじって作成したしめ縄は、新年を迎えるのにふさわしい立派な物が完成しました。
参加者からは、「手作りのしめ縄は、感激です」「難しかったけど楽しかった」と感想をいただきました。2回目のしめ縄作りは、12月16日(土)に行います(事前申込必)。
不動院の図『新編図録春日部の歴史』からのご紹介29
春日部市小渕にあった不動院は、戦国時代から近世を通じて関八州(かんはっしゅう)の修験宗(しゅげんしゅう、修験道:しゅげんどう)を支配しました。関八州とは、江戸時代までの国である相模(さがみ)・ 武蔵(むさし)・安房(あわ)・上総(かずさ)・下総(しもうさ)・常陸(ひたち)・上野(こうずけ)・ 下野(しもつけ)の8国のことで、現在の関東地方にほぼ一致します。また、修験宗とは、山伏(やまぶし)の活動に代表される山岳で修行し悟りをひらく宗教です。
このような不動院は、徳川幕府からも100石(こく)という寺領を認められた大寺院でした。
江戸時代に隆盛をきわめた修験宗は、明治5年(1872)の修験禁止令によって衰退します。不動院は、明治42年(1909)から大正5年(1916)にかけて、東京の砂村(現:江東区南砂)へ移転しました。この砂村の不動院は、昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失し、昭和23年(1948)に正法院(現:東京都台東区竜泉)に合併されました。
今回ご紹介する「不動院の図」は、文政元年(1818)に記された『日光巡拝図誌』という書物に掲載されているものです。不動院入口からの広大な境内地と、巨大な本堂、また小渕砂丘と考えられる山の上には、祠(ほこら)とともに「神変大菩薩(しんぺんだいぼさつ)の祠 役ノ行者ナリ」と記され、最も高いところには修験宗の宗祖である役行者がまつられている様子がわかります。
出典:『日光巡拝図誌』国立公文書館内閣文庫所蔵
「不動院・観音院と円空仏」『新編 図録 春日部の歴史』106ページ
このような不動院は、徳川幕府からも100石(こく)という寺領を認められた大寺院でした。
江戸時代に隆盛をきわめた修験宗は、明治5年(1872)の修験禁止令によって衰退します。不動院は、明治42年(1909)から大正5年(1916)にかけて、東京の砂村(現:江東区南砂)へ移転しました。この砂村の不動院は、昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失し、昭和23年(1948)に正法院(現:東京都台東区竜泉)に合併されました。
今回ご紹介する「不動院の図」は、文政元年(1818)に記された『日光巡拝図誌』という書物に掲載されているものです。不動院入口からの広大な境内地と、巨大な本堂、また小渕砂丘と考えられる山の上には、祠(ほこら)とともに「神変大菩薩(しんぺんだいぼさつ)の祠 役ノ行者ナリ」と記され、最も高いところには修験宗の宗祖である役行者がまつられている様子がわかります。
出典:『日光巡拝図誌』国立公文書館内閣文庫所蔵
「不動院・観音院と円空仏」『新編 図録 春日部の歴史』106ページ
武里小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
平成29年12月6日(水)午後に武里小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
児童たちは、カタカナで書かれた小学校の教科書を見て、ひらがなで書かれた今の教科書との違いを発見したり、少し前まで実際に使われていた冷蔵庫や洗濯機など身近な道具を見て、昔との生活の違いに驚いていました。
ちょうど武里小学校が見学している時に、ご年配の方が郷土資料館に来館してくださり、児童たちと一緒に展示を見学して、楽しそうにお話しをされていました。
郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。
児童たちは、カタカナで書かれた小学校の教科書を見て、ひらがなで書かれた今の教科書との違いを発見したり、少し前まで実際に使われていた冷蔵庫や洗濯機など身近な道具を見て、昔との生活の違いに驚いていました。
ちょうど武里小学校が見学している時に、ご年配の方が郷土資料館に来館してくださり、児童たちと一緒に展示を見学して、楽しそうにお話しをされていました。
郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。