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2025年6月の記事一覧

【学芸員がやってみた】ショート動画「麦わらのかすかべ」展をつくってみた

今日から思いつきではじまった「学芸員がやってみた」シリーズ(初回にして最終回かもしれない)。「麦わらのかすかべ」展の告知のショート動画をつくってみました。若い世代の方々向けに(!?)縦づかいの動画です。

夏季展示案内 縦型モニタ(動画).mp4

麦稈真田を職人さんが縫い、麦わら帽子が一つ一つ丁寧につくられている工程をイメージして、15秒の動画をつくってみました。まだまだ粗削りですが、一般のソフトで作っていますのでご容赦を。

市役所内のデジタルサイネージで7月中旬ごろから放映される予定です。市役所に公用でたまに訪れる出先の担当者も見れたらラッキー。映像が流れたときは、ぜひ立ち止まって見てみてくださいね。

【展示情報】

展示会名:春日部市郷土資料館夏季展示(第72回)「麦わらのかすかべ~帽都いま・むかし~」

会  期:令和7年7月23日(水)~9月7日(日) 月曜・祝日休館

会  場:春日部市郷土資料館 企画展示室(春日部市粕壁東3-2-15 教育センター内)

入  館  料:無料

麦稈真田を編みを再現したい!

7月23日からはじまる、企画展「麦わらのかすかべ~帽都いま・むかし」展、目下準備中です。

本展は、春日部の特産品「麦わら帽子」産業の歴史、そして今を紹介する展示ですが、以前にも紹介した通り、市域におけるその始まりは、麦わら帽子の原料である「麦稈真田」(ばっかんさなだ)を、農家の副業としてはじめたことのようです。

画像:麦稈真田

日本で麦稈真田をつくるようになったのは、明治初めのことです。東京の大森(現大田区)の川田谷五郎が、横浜で外国人がかぶっている麦わら帽子に着目し、大森に伝わる麦わら細工の技術を活かし、麦稈真田を開発したといわれています。川田の開発後、麦稈真田は、欧米の麦わら帽子の材料となり、明治10年代半ばには輸出の需要に応えるように、製造が盛んになっていきました。川田は、麦稈真田の編み方を考案しただけでなく、麦わらの漂白方法や品種の選定までに手をかけたといわれ(『大田区史 資料編 民俗』)、政府の産業奨励とともに、麦稈真田製造を新興の輸出産業に育てていった重要な人物といわれています。

春日部市域に、麦稈真田製造がどのように伝わったのか。それを示す一次資料は現在のところ見出されていません。当時の状況をもっとも詳しく活写するのは、大正元年(1912)刊行の埼玉県の郷土誌『埼玉縣誌 下巻』です。

 これによれば、粕壁町周辺では、明治11年のころは東京・大森に麦稈(麦わら)を送っていたが、明治13年に神奈川県川崎町の鳥飼(鳥養か)氏が婦女の副業として麦稈真田製造が有益であると説き、粕壁町の高橋氏、幸松村の野口氏に勧め、両人らの尽力もあって、市域周辺で麦稈真田製造がはじまったが、しばらくは不振で、明治15年以降にやや盛大になっていった、とあります。

麦作が盛んだった市域では、はじめは麦わらの供給地として大森方面の麦稈真田製造を支え、明治13年に川崎町の鳥飼(鳥養)なる人物が技術を伝え、明治15年以降、婦女子の副業=地域の産業として根付いていったということです。春日部市域での起こりを年代・人名を明確にして記述するものは、このほかには管見の限りありません。残念ながら典拠は示されていませんが、『縣誌』は大正元年刊行なので、30~40年前の出来事を知っている人もいたでしょうから、市域の麦稈真田産業の始まりを伝えるものとして信憑性が高い記事だと考えられます。

そうしてはじまった、麦稈真田製造。明治30年(1897)『日本農業新誌』6-11によれば、粕壁地方では、麦稈真田の原料には、大麦の半芒種「ザンギリ」という麦わらを使っていたそうです。市域周辺の麦稈真田製造は明治30年半ばにピークを迎え、その後は中国産の麦稈真田がとってかわることになります。また、明治末期から大正期にかけて、国内では麦稈にかわる素材で編む真田=経木真田、マニラ麻真田が考案・製造されるようになります。ですから、実は、市域では国内産の麦わらをつかって編む麦稈真田製造は、明治13年ごろから明治30年代ごろまで(遅くても大正初めまで)であり、大正初めまでにはほとんど製造されなくなってしまうようです。

ただ、国内では、岡山県・広島県・香川県などで麦稈真田製造は続けられ、中国・四国地方には様々な文献や製造用具が伝来しているようです(野田繭子「資料紹介 岡山県立博物館所蔵麦稈真田関係資料について」『岡山県立博物館研究紀要』37、2017年)。おそらく、春日部市域でも同様の用具が使用されていたものと考えられます。

市域では短命に終わった麦稈真田製造ですが、かつてかなり盛んだった真田編みを再現してみたい!

岡山県立博物館では、紙テープをつかって三本編みの真田(三平・さんぴら)編みの疑似体験をされていたことが、前掲野田氏の文章にみえましたので、参考にさせていただき、まずは紙テープ三平に挑戦(といっても、担当者は鶴の折り紙がギリギリできるくらいの「不器用な男」なので、手先の器用なパートさんの協力を得てつくってもらいました)。

画像:三平

意外と簡単で、楽しい。お子様でもできるかも。

では、5本編み(五平・ごひら)はどうか。はじめ、一戸清方『麦稈真田製造法』(1906年)の図を参考にしながら編んでもらいましたが、図や説明が不完全でどうしてもできない。諦めかけたとき、藤原覚一『図説日本の結び新装版』(築地書館、2012年)に出会いました。そして、できたのがこれ。

画像:5本編み

三平よりは複雑で難しいですが、手順さえ間違えなければ意外とできるかも。 

不器用な男も、ラッピング用の針金でもやってみました。

画像:針金の5本編み

針金はキラキラして綺麗ですが、接ぐのが難しいのが難点。飛び出たところはご愛敬!?本来は切って整えるようです。「やっぱり紙テープかなぁ、それとも…」と素材をかえながら、試行錯誤しているところです。

ちなみに、麦稈真田をつくる動作を「編む」ともいいますが、「打つ」ともいうようです(どちらも使うようです)。

企画展の体験コーナーでは、「みんなでつなぐ紙テープ真田」(仮称)と題して、観覧者の皆さんに紙テープ真田に「編み」「打ち」に挑戦していただき、それをつないで長い真田をつくってみたいと思っています。たぶん、三平です。お楽しみに。

【展示情報】

展示会名:春日部市郷土資料館夏季展示(第72回)「麦わらのかすかべ~帽都いま・むかし~」

会  期:令和7年7月23日(水)~9月7日(日) 月曜・祝日休館

会  場:春日部市郷土資料館 企画展示室(春日部市粕壁東3-2-15 教育センター内)

入  館  料:無料

「幸松っ子クラブ」でのお囃子教室

6月23日(月)に幸松小学校の放課後こども教室である「幸松っ子クラブ」の第1回目が開催されました。この中の「お囃子教室」では、幸松地区に江戸時代から伝わる市指定無形民俗文化財「不動院野の神楽」を継承する、「東不動院野神楽保存会」の皆さんが、講師として招かれました。

1年生から6年生まで、総勢15名でのお囃子教室です。まずは保存会の皆さんによる「新バヤシ」と「ニンバ」のお手本を見学します。初めてお囃子を聞く子どもも多く、皆さん興味津々です。今回の教室では「ニンバ」というお囃子の太鼓を叩く練習をしました。

  保存会の皆さんの指導の下、「天スク ステスク 天ツクツ スク」のリズムに合わせて太鼓に見立てたタイヤを叩きます。バチの握り方やリズムの取り方が難しいようでした。

 

 練習の後半では、本物の太鼓を叩きました。タイヤでは出せない音や感触の違いを感じ、子どもたちも真剣に、楽しそうに叩いていました。「大きいほうの太鼓も叩いてみたい!」と積極的に取り組んでいました。

 

 お囃子の練習は今後も継続して行われるので、子どもたちの上達が楽しみです。この中から地区の神楽やお囃子に興味をもってくれる子どもたちが増えることを願っています。

7月12日(土)・13日(日)の春日部夏まつりでは、保存会の方々が実際にお囃子を披露されますので、こちらもぜひお出かけください。

保存会の皆さん、ありがとうございました。

#かすかべ地名の話 (10)#正善

春日部市内の地名の話。今回は、武里地区の正善(しょうぜん)という地名について。

現在、正善小学校の名称にも使用されている「正善」という地名。「正善」(せいぜん)は「正しくてよいこと」「理にかなって正しいこと」の意味ですが、市内の地名は「しょうぜん」と読ませますので、「せいぜん」と同じ意味ではないと思われます。しかし、実は地名の本来の意味はわかっていません。

「正善」の初見は、元禄10年(1697)「武蔵国崎玉郡備後村検地水帳」(県立文書館収蔵森泉家文書)です。

備後村の小名として「正善」が確認されます。検地帳によると、このほか、備後村には「市の縄」「田嶋」「須加」「宮田」「大道東」「谷原(やわら)」「会の谷」「立野」という小名があったようです。

小名の由来・意味を特定(確定)するのは非常に難しい。というより、地元に言い伝えなどがなければ、確かなことはわかりません。「正善」も同様です。今回は、その意味に迫るため、あえて地名の意味を推察してみたいと思います。地名は土地・地形の状況を表わす場合が多いですので、考えうる範囲で次のようになりましょうか。

「市の縄」は、よくわかりませんが、「縄」は土地の丈量に使用される道具なので、丈量に関わる地名なのでしょうか。「市の縄」は旧古利根川の流路跡に分布する自然堤防上のエリアと重なり、「一の縄」と漢字が当てられることもあるので、人びとが住み着き、最初に丈量した土地ということでしょうか。

「田嶋」の「嶋」は、水に囲まれた陸地のこと。県東部では、低地のなかに島状に高くなている微高地を「嶋」と称することが多いので、「田嶋」は田のなかにある少し高くなっている土地を指すのでしょう。

「須加」は今でも「備後須賀」などと使われる地名の一つ。スカは川沿いに堆積した砂地・微高地を意味します。備後須賀の周辺には古利根川の旧流路跡があり、かつて側に川が流れていました。その時に積もり堆積した砂をして、須賀と呼んだのでしょう。

「大道東」は日光道中沿いの東側に分布する地名です。「大道」は日光道中のこと、その東側という意味でしょうか。

「会の谷」「谷原」は、落ちくぼんだ谷状の地形=後背湿地を「谷」と読んでいるのではないかと思われます。

「立野」は原野という意味があるようです。備後だけでなく、市内にも散見される地名です。

 「宮田」は、第四保育所から東側国道4号あたりまでのエリア。「宮」は、お宮(神社)を指すのでしょうから、備後須賀稲荷や備後西川香取神社、いずれかの神社の田んぼ、という意味なのでしょう。

そして「正善」。まったく見当がつきません。全国規模でみると、福井県や高知県に「正善」の地名があったり、「正善」寺という寺院があったり。春日部とは直接関係はありませんが、正善という僧侶も存在したようで、仏語なのでしょうか。いずれにしても、土地に「正しくてよいこと」「理にかなって正しいこと」の意味を与えた、とは考えにくいですから、「正善」という人物か、もしくは仏教由来からか、この土地が「正善」と呼ばれるようになったと思われます(大変苦しいです)。

以下の写真は、明治後期から大正期に作図された備後地区の字図。まちがいなく、この土地は「正善」と呼ばれていたことがわかります。

写真:耕地整理図

 

写真:字正善

そして、昭和51年(1976)、正善小学校が開校します。武里・備後地区の児童数が増えていったため、「正善」に仮称備後第二小学校の新築がはじまりました。当時の春日部市では、「上沖小」(昭和51年)「沼端小」(昭和51年)「立野小」(昭和52年)など、小字を採用して学校名が付けられることが多かったため、「正善」小学校と名付けられることになりました。

繰り返しになりますが、地名の「正善」は地名の本来の意味はわかっていません。先人から受け継いできた土地に刻まれた「正善」の歴史を、今後も考えていく必要がありましょう。

結論がなく、小字・小名の謎は深まるばかり。ご存じの方がおられましたら、そっと、ご教示ください。

春期展示「発掘された板碑」ー金泥が残る板碑

平成9年に行われた小渕山下北遺跡2次調査では、井戸跡の中から破片を含め、17基以上の板碑が発見されました。このうち天文23年(1554)の銘が刻まれた板碑には、刻まれた文字の部分などに金泥(きんでい)が残っていました。

小渕山下北遺跡天文22年板碑

金泥は金箔をすりつぶした金粉にニカワを混ぜた水を加えたものです。発掘調査で出土した板碑には金泥が残されているものが少なからずあり、板碑が造られた当時は、多くの板碑に金泥が使われていたものと推定できます。

小渕山下北遺跡天文22年板碑アップ

▲金泥部分アップ

ちなみに同じ井戸からは、「二引両紋(ふたつひきりょうもん)」と呼ばれる家紋が赤漆で描かれた漆椀(うるしわん)も発見されています。

 

ご紹介した金泥が残る板碑も展示している「発掘された板碑」展は、会期が残り2週間となりました。6月22日(日)にはみゅーじあむとーくを予定しております。ぜひご来館ください。

●第71回企画展示「中世板碑の世界ー発掘された板碑」

会期:令和7年7月6日(日曜日)まで

休館日:毎週月曜日、祝日

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・東武鉄道春日部駅東口より徒歩10分)

 

●関連事業 みゅーじあむとーく

展示室で学芸員による展示解説を行います。申し込み不要、展示室までお越しください。30分程度、各回同じ内容です。

とき 6月22日(日曜日)、7月6日(日曜日)10:30~、15:00~
ところ 郷土資料館企画展示室

出張授業「縄文体験教室」in 南桜井小学校

6月17日(火)に南桜井小学校の社会科出張授業にうかがいました。

今回は6年生の2クラスを対象に授業を行いました。

 授業の冒頭で、社会の授業でどの時代まで進んでいるか聞いてみたところ、2クラスともすでに縄文時代は学習を終え、弥生時代、さらには飛鳥時代に進んだとのことでした。そのため、「縄文時代はどんな時代でしたか?」との復習を促す質問にも、「狩りをしていた!」「縄文土器を発明した」など、明快な答えが返ってきました。

 今回の出張授業は、歴史の授業の復習であると同時に、春日部、さらには児童の身近な学区内に暮らした縄文人の生活と、国史跡「神明貝塚」をより詳しく知る授業を行いました。

 授業の前半では、パワーポイントを用いて、「学校付近に暮らした縄文人の生活」について説明します。

 最初は春日部に海があったイメージがわかない様子でしたが、春日部の貝塚からはウミガメの甲羅やイルカの骨が見つかった話を聞いて、温かい海が広がっていたことがだんだん理解できたようでした。
 また本校からほど近い、外郭放水路「龍Q館」を作る時に見つかった12万年前の地層からは巨大な牡蠣の殻には驚きの声が上がり、みなさん興味津々、春日部にも縄文時代と遙か12万年前の2度も海原が広がっていることを理解してもらいました。

 授業の後半では、実際に縄文土器や石器や貝塚の貝殻に触れて、縄文時代の生活を考えてもらいます。
最初は壊さないようにおそるおそる触れていましたが、緊張がほぐれると、実際に触ってみた感想や、「なぜ」「どうして」「どのように作られたのか」などと次々と疑問に思ったことを質問してくれました。
教科書を読むだけではわからない手触りやにおいなど、実物を使った体験をとおして縄文時代の暮らしについて学習を深めてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

南桜井小学校のみなさん、ありがとうございました!

第11回春日部市民俗芸能公開事業のダイジェスト動画が公開されました!

2月9日(日)に粕壁市民センター(中央公民館)で行われた「第11回春日部市民俗芸能公開事業〜伝える、つなげる、獅子舞の未来〜」での様子をまとめたダイジェスト動画を公開しました。

 https://youtu.be/BlyBw_gd0Ck?si=-HO2cyMgTC8u2DpI

第11回のテーマにもあるように、両団体は長年後継者養成に取り組んできており、当日は子どもや女性舞手による獅子舞も披露されました。

当日披露された演目を多数収録していますので、ぜひご覧ください。

≪収録演目≫

銚子口の獅子舞「道中流し」、「出端の舞」、「中の舞」、「三切りの舞」、「津島の舞」

赤沼の獅子舞「宮入り」、「三番叟」、「太夫獅子の出端」、「神楽 さかなつり」、「太夫獅子の練り」、「弓くぐり」、「ぶっきり・さんぎり」

 

出演:銚子口獅子舞保存会、赤沼民俗文化財保存会

撮影:安藤 茂雄氏(ビデオ特派員)

縄文体験出張授業in ハルカイト

本日6月13日(金)、義務教育学校 江戸川小中学校第6学年の皆さんが大凧文化交流センター”ハルカイト”で「総合的な学習の時間」を活用し、地元に所在する『国史跡 神明貝塚』の調べ学習に取り組みました。例年、自らが調べ・学習した成果を新聞を作成し発表するということで、文化財課が刊行した神明貝塚ガイドブックに目を凝らし、神明貝塚の特徴と縄文人のくらしについて聞き漏らさないよう、真剣に向き合ってくれました。
 社会科の歴史の授業では既に飛鳥時代まで進んでおり、縄文時代は復習となりました。縄文時代はどんな暮らしぶりだったのか質問したところ、「狩猟採集」「縄目を付けた縄文土器を発明し煮炊きや生活に使った」「地面を掘り込んだたて穴住居を作った」と明快な回答が返ってきました。

 

授業会場の「宝珠花サロン」には、神明貝塚の1/150縮尺のジオラマと原寸大の貝層剥ぎ取り模型を常設しており、貝塚の特徴と大きさ、保存の良さなど、児童の地元学区内に残る文化遺産の誇らしさを感じ取ってくれました。

 

 

 

 

 

 

 

最後に出張授業では恒例の体験である黒耀石のナイフによる切れ味体験では、石器の鋭利さや縄文人の知恵や技術に驚嘆、歓声が上がりました。また、質問コーナーでは、貝塚を覆う大量の貝殻のリサイクル利用の提案や、黒耀石の生成過程や原産地など、想定外の質問も投じられ、「子ども博士ちゃん」の視点には講師にとってもいい勉強の機会となりました。

みなさん、神明貝塚のすごさ・魅力を少しでも受け取っていただき、個性ある新聞作成に挑んでいただければうれしい限りです。暑く湿気の高い午後に徒歩での来館と学習ありがとうございました。

石造物部会の巡見(粕壁地区)を行いました

6月12日(木)に春日部市市史石造物部会で粕壁地区の巡見をおこないました。

春日部市では令和5年4月より「第2次春日部市市史編さん事業計画(第2期)」を策定し、継続的な市史の編さんを進めています。令和6年2月には、この計画に基づき『春日部市史 自然誌編』を刊行しました。次は身近な歴史遺産である石造物編を刊行予定です。

今年度から石造物部会を立ち上げ、数年がかりのプロジェクトが本格的に始動しました。

まずは具体的な調査に入る前に、春日部市域にどんな石造物があるかを確認します。
今回は市史編集委員の皆さまと粕壁地区の神社や寺院にある石造物を見て回りました。粕壁地区は神社や寺院の数が多く、その中でも特に石造物が集中しているところを厳選して巡りました。

午前中は、春日部八幡神社、春日部稲荷神社、浅間社に行きました。3社は隣接しており、それぞれに石造物が遺されています。春日部八幡神社には市指定文化財である都鳥の碑もあります。これは在原業平の隅田川おける伝承等を伝えるために嘉永6年(1853)に建立された石碑です。

 午後は、日枝神社、八坂神社、東八幡神社、真蔵院、成就院、玉蔵院に行きました。
各地に庚申塔や記念碑など様々な石造物があります。東八幡神社の境内には江戸時代の有名な力持ちである三之宮卯之助の力石が奉納されています。

 

成就院には市指定文化財である見川喜蔵墓および見川家五輪塔があります。見川喜蔵は古利根川の洪水を防ぐために堤防などをきずいた人物です。

 

 今回は巡見のほかに、郷土資料館所蔵の板碑を使って市史編集委員の先生に拓本の取り方を教えていただきました。

郷土資料館では7月6日(日)まで企画展示「発掘された板碑」を開催していますので、ぜひ足を運んでいただければ幸いです。
もし個人的に市内の石造物をご覧になる場合は所有者や周りの方へのご配慮をお願いいたします。

石造物部会では今後も他の地区を巡見しつつ調査の準備をおこなっていきます。
調査にあたりましては、所有者や関係者のご協力をいただきながら進めていきますので、どうぞよろしくお願いします。

 

【麦わらのかすかべ】麦の刈入れがはじまっています

市内では、ちょうど冬に作付けした麦が実り、これから刈入れをしていくそうです。 写真:麦畑

通りすがりに農家の方にお願いをして麦畑を撮影させてもらいました。

刈り取った麦をみると、茎(麦わら)は、ストローといわれるように、空洞になっています。茎が中空であるから、メソポタミア文明のころから、飲み物をチューチューする道具(ストロー)として使用されていたそうです。

麦わら(ストロー)は、稲わらよりも固く、しっかりしています。これを真田紐のように編んだのが、麦稈真田(ばっかんさなだ)。麦稈真田を材料として麦わら帽子がつくられるのは、前に紹介した通り。

絶賛準備中の企画展「麦わらのかすかべ」展では、麦作、麦わら細工、麦稈真田、麦わら帽子づくりの材料の移り変わり、帽子づくりの”わざ”についても、紹介します。麦畑をはたとみて、好機と思い、「展示に使いたいので・・・」とお願いし、麦を数本刈り取らせていただきました。刈り立ての資料。まだまだ情報・資料を収集中です。

【展示情報】

展示会名:春日部市郷土資料館夏季展示(第72回)「麦わらのかすかべ~帽都いま・むかし~」

会  期:令和7年7月23日(水)~9月7日(日) 月曜・祝日休館

会  場:春日部市郷土資料館 企画展示室(春日部市粕壁東3-2-15 教育センター内)

入  館  料:無料

夏季展示「麦わらのかすかべ~帽都いま・むかし~」のチラシ

夏季展示のチラシのデザインが出来上がりました。

画像:チラシ

春日部市市制施行20周年の記念の年の夏季展示は、春日部の特産品「麦わら帽子」をテーマにしました。

題字は、春日部女子高の書道部の生徒さんにご協力いただき、揮毫いただきました。定型化されたパソコンのフォントとは違い、手書きならではの温もりがあって、イイ感じになりました。春女とのコラボは初の試みです。

背景の写真は、粕壁の大通りで帽子製造をされていたお宅から提供いただいた、昭和31年(1956)12月、麦わら帽子の寒干しの様子。麦わら帽子は、麦稈真田を水で湿らせながら縫製、型入れの工程を進めますので、その都度都度に帽子を乾燥して製造されています。乾燥に適しているのが、一年のなかで最も湿度が低い冬場。夏にかぶる麦わら帽子を冬場に干すというのが、帽子のまち=「帽都」春日部の風物詩でもあります。

展示図録(パンフレット)、関連イベントについても絶賛準備中です。詳しくは後報をお待ちください。

麦わら帽子の関係者の方がいらっしゃいましたら、資料・情報を提供いただけますと幸いです。

【展示情報】

展示会名:春日部市郷土資料館夏季展示(第72回)「麦わらのかすかべ~帽都いま・むかし~」

会  期:令和7年7月23日(水)~9月7日(日) 月曜・祝日休館

会  場:春日部市郷土資料館 企画展示室(春日部市粕壁東3-2-15 教育センター内)

入  館  料:無料

 

【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】幸手市郷土資料館でリレー展示が開催されています

幸手市郷土資料館で東部地区文化財担当者会リレー展示「埼玉東部と古代の幸手」が開催されています。

令和7年度企画展『埼玉東部と古代の幸手』(幸手市ホームページ)

幸手市郷土資料館は、幸手市大字下宇和田にあります。平成30年にオープンした資料館です。

企画展示は、歴史展示室内の企画展示のコーナーで開催されているほか、ロビーにパネルが展示されています。

  

特大の東部地区の地形図を、今後のリレー展示開催館の場所とともに展示しています。

幸手市ではこれまで、下総台地上の槇野地北遺跡で、奈良時代の竪穴建物跡11軒、平安時代の竪穴建物跡2軒が確認されています。今回の展示では、槇野地北遺跡から出土した代表的な資料をまとめて展示しています。

幸手市郷土資料館には、昭和24年(1949)5月に竣工した旧吉田村立吉田中学校の木造校舎が残されており、民具展示室として使われています。あわせてご見学ください。

 

東部地区文化財担当者会報告書第9集「埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」も好評発売中です。詳しくはこちら

 

展示の詳細は下記の通りです。6月29日には、関連した内容で市史講座も開催されます。

●幸手市郷土資料館会場「埼玉東部と古代の幸手」

開催期間 令和7年6月3日(火曜日)~7月21日(月曜日・祝日)

開催場所 幸手市郷土資料館 幸手市大字下宇和田58番地4

(東武スカイツリーライン 東武動物公園駅下車朝日バス 境車庫行き「吉田橋」下車徒歩約5分)

開館時間 午前9時から午後5時まで

休館日 毎週月曜日(7月21日は開館)

お問い合わせ (0480)47-2521

 

(関連事業)第23回市史講座日時 : 令和7年6月29日(日曜日)  午後1時30分~午後3時30分

内容 :『埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡』

講師 : 鬼塚 知典 (春日部市郷土資料館学芸員、埼玉県東部地区部文化財担当者会考古部会部会長)

場所 : 幸手市郷土資料館 2階講座室

定員 : 30名(先着順)

申込 : 令和7年6月10日(火曜日)午前9時から 電話にて受付

 

*リレー展示「都鳥が見た古代」は、下記日程で開催予定です。

6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示

7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示

9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示

10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示

令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示

古文書勉強会、館蔵の古文書を定期的に講読しています。

6月1日、古文書勉強会を開催しました。郷土資料館では、市民の皆さんと館蔵の古文書を読む「古文書勉強会」を定期的に実施しております。

写真:古文書勉強会の模様

今、講読している史料は、元治2年(1865)「御神忌日記」というものです。

この年は、徳川家康の二百五十回忌にあたり、家康の命日の4月17日の日光山で大規模な回忌法要が実施されました。この史料は、武蔵国埼玉郡中野村(現武里中野地区)の翁助という人物が書き残したもので、この年の2月から4月までの記事が日記仕立てで記されているものです。翁助は、代官から御神忌の祭礼の裏方(下役)に命じられ、日光に向かい御用を果たしました。翁助が携わった具体的な御用の中身はよくわからないのですが、中野村から日光まで往路には様々な事を見聞きしたこと、日光山内に入ってからも近隣を見分したことを記録しており、道中記としても面白い記事です。

本史料は今年の1月から読み始め、途中、難解な文字、解釈が難しい部分がありましたが、どうにか山場は越え、終盤にはいってきました。

今回、講読したところは、御神忌の祭礼に参席した京の公卿の名前、泊まった宿坊、翁助と同様に関東地方の農村から下役として動員された人名、地名が列記されている部分でした。

固有名詞を読むほうが却って大変で、皆さん苦戦されていました。ただ、地名事典や人名事典、また関連史料を確認して、入念に調べていただいた方もおり、どうにか地名・人名を確定することができました。

本史料・参考史料の記述が絶対に正しいというわけでもないので、比較検討をし、地名・人名をきちんと事実を確定しながら、史料を読む必要性を感じていただけたように思えます。

「調べてまでして読まないとダメなのですか」と弱音を吐く方もおられましたが、実はそれが史料(古文書)を読む、ということなのだと思います。

次回は、7月5日(土)14時~です。

 

上映会とトークショーのダイジェスト動画が公開されました

先日、3月1日(土)に、SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ(川口市)で開催した、令和6年度映像公開ライブラリー上映会とトークショー「春日部大凧あげの魅力」の模様が、ダイジェスト版でYouTubeに公開されました。

 

映像の製作・保存管理を専門とする、SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザの制作・編集とあって、とてもよく仕上がっています。動画は、西宝珠花の歴史のこと、大凧あげにかける保存会の皆さんの思いが伝わるものになっています。ぜひご覧ください。