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2019年11月の記事一覧

小渕小6年生出張授業【戦中の春日部の人々のくらし】

令和元年11月29日(金)小渕小学校6年生が、戦争中の春日部の人々のくらしについて学ぶ時間に、出張授業でお邪魔しました。今回は、市民の方々からご寄贈いただいたアジア・太平洋戦争ゆかりの資料を持参しました。
写真:戦争関係資料
皆さん、真剣に、少し怖がりながら(?)学芸員の説明を聞いてくれました。
写真:説明する学芸員
そして、代表の皆さんに資料に触ってもらいました。普段は常設展示でケースのなかに入っている、軍事教練で使用しといわれる訓練用の手りゅう弾を実際にもってもらったり、千人針などを手に取って興味深そうにじっくり見ていました。
写真:道具に触れる

写真:道具に触れる児童
その後、先生が用意された戦争中の春日部について調べるワークシートに取り組み、市内が戦争に巻き込まれていく状況を理解し、当時の人々の心情を考えていました。
写真:ワークシートに取り組む
最後に、戦争の経験が今日の春日部にどう活かされているのか、考えていました。市内には、戦没者を慰霊するモニュメントがたてられていたり、「平和」を掲げる各種イベントがあることが紹介されました。そして、今回持参した資料が、市民の方々が実際に経験した遺産であり、郷土資料館では、戦争の経験を未来に引き継いでいくために、それらを展示し、末永く保存していると紹介しました。
授業の後にも、資料を触りたい、よく見たいと希望があり、休み時間中も児童たちが集まって体験を続けていました。
写真:道具に自由に触れる
実物の資料だからこそ、そして実際に触れるからこそ、過去の先人たちの想いを身近に感じることができるのかもしれません。リアルな歴史を少しでも感じていただけたのならば、大変うれしく思います。

さて、郷土資料館では、学校の授業の教材の貸し出しを行っています(近々、今回持参した「アジア太平洋戦争関係資料」も紹介する予定です)。もちろん出張授業も可能です。学校の先生方には、ぜひご活用いただければと幸いです。

神明貝塚のシンポジウムを開催しました

11月24日(日)、『「和食」のルーツ?3800年前の縄文人の食文化』というテーマのもと3人の先生をお招きし、シンポジウムを開催しました。ちなみに11月24日は偶然にも「和食の日」でした。(担当者も全く意図していませんでした…)

会場の様子
市内外、さらには県外から多くのお客様にご来場していただき、シンポジウム全体の参加者は130名を超えました!!

担当者の報告
最初に文化財保護課の調査担当者から「神明貝塚で発掘された動物、植物、人骨」と題し、報告を行い、神明貝塚の縄文人は海の幸だけでなく、陸上の動植物を多く食べていることが分かりました。

植月先生の講演
続いて講演では、植月学先生が「神明貝塚人の食を彩った魚と肉」と題し、動物考古学の観点からお話しいただきました。特にフグ(トラフグ)がどこからやってきたのか、受講者の皆さんも興味深く聞いていらっしゃいました。

佐々木先生の講演
佐々木由香先生は植物考古学の専門家で、「神明貝塚で利用された植物からみた縄文時代の植物資源利用」と題し、縄文人の植物資源の利用についてご講演いただききました。クリは食物だけではなく木材として利用されたことや、土器に残る植物の種実や昆虫の圧痕から、多種多様な植物の利用があったことをお話しいただきました。

阿部先生の講演
阿部先生は考古学の立場から、「縄文後期と神明貝塚の生業」と題し、調理具として使用された縄文土器にスポットをあて食文化の発達についてお話しいただきました。また昨年のシンポジウムでも話題となった「塩作り」のお話も聞け、こちらも会場から大きな関心を集めていました。

パネルディスカッションの様子
最後に4名の講師によるパネルディスカッションを行いました。それぞれの専門領域から神明貝塚の縄文人の多様な食文化を垣間見ることができたと思います。身近にある旬な食材を利用した食文化であったことも「和食」というテーマにつなげることができました。


来年以降もテーマを変えシンポジウムを開催する予定となっています。引き続き神明貝塚へのご理解、ご協力をよろしくお願いします。

この道具はなんでしょうか?【くらしのうつりかわり展より】

「くらしのうつりかわり」展では、なつかしい道具を所せましと展示しています。今回は、激レアな昔の道具を紹介します。この道具は一体なんの道具でしょうか。
写真:民具1

正解は、「文化洗濯機(ぶんか せんたくき)」です。
洗濯機のプレートは摩滅しつつありますが、次のように印字されています。
  性能優秀簡単安全
  農村生活改善普及会
  文化洗濯機
  埼玉縣北葛飾郡庄和村米崎(農協前)
  電話南桜井14番
とあります。

実は詳しい調書などが残っていませんので、使い方や製造の経緯など、これ以上の情報はまったくありません。
しかし、この「文化洗濯機」は、昭和31年(1956)3月21日付の埼玉新聞に次のように紹介されています。

ここで生産される文化式(電機)洗たく機は生活の合理化という時代の要望をにない県産業改良課生活改善課からも推奨を受け、日本女子大学車田教授より優秀品として折紙をつけられた。簡便、性能の優秀さ、経済的の三拍子そろったこの洗たく機は一般家庭から歓迎されている。


新聞紙上では、上尾の製造元が写真付きで紹介されており、広告には、「僅か二千円程度で誠にも簡便」「類似品注意」とあり、県内でそれなりに普及していた可能性があります。
紙面からは動力が「電機」(電気)だったことが推定されます。動力と洗濯機のハンドルのような部位をベルトでつなげてスクリューを回転させ、水流を起こして洗濯をしたものと思われます。
謎の「文化洗濯機」について、今後の検討が俟たれます。何か情報をお持ちの方は、お知らせいただけると幸いです。


八木崎小3年生がやってきた

令和元年11月26日(火)春日部市郷土資料館に八木崎小3年生が調べ学習のため来館しました。
総合的な学習の一環で、「春日部じまんを探そう」というテーマで調べ学習をすすめているそうです。

写真:質問する八木崎小3年生
郷土資料館に来た2人は、
・50年前の春日部はどんなところだったのか?
・春日部の地名の由来は?
・昔、大きな地震が起こったときはどんな状況だったのか?
質問してくれました。

2人は、学芸員に話を聞き、展示室にある古い写真や資料をみて、昔の春日部についてたくさんメモをとっていました。とくに、関東大震災について強い関心をもったようで、「このときには避難所はあったんですか?」と自ら考え、質問をしてくれました。
「春日部のじまん」が見つかりましたでしょうか?

さて、皆さんは50年前の春日部についてや、地名の由来、関東大震災のときの状況を知っていますか?
ご存じない方は、ぜひ郷土資料館にお越しください。知りたいことや新たな発見がきっとありますよ。

神明貝塚シンポジウム最後のお知らせ

ついに明後日24日(日)に迫りました、 "シンポジウム「神明貝塚」"最後のお知らせです。

現在、11月22日(金)の時点で130に迫るお申し込みをいただきました!
明日23日(土)は祝日のため、教育センターは休館となり、事前申し込みは終了となりますが、シンポジウム当日の飛び込み参加大歓迎です!

11月24日の当日は12時15分から整理券をお配りますので、お申し込みをしていない方は当日受付までお越しください。

また既にお申し込みがお済みの方も、12時15分から受付を行いますので、受付で資料をお受け取りのうえ、ご入場ください。
なお、教育センターの駐車スペースは限りがありますので、公共交通のご利用をおねがいします!!

めいちゃんとぐうすけ
ご来場おまちしています!

シンポジウム神明貝塚の受付状況

11月16日のブログでもお伝えしましたように、先週、11月15日(金)に国の文化審議会から「神明貝塚」国史跡に指定するよう文部科学大臣へ答申されました。国史跡に指定となると春日部市では初の指定です。

そんなこんなで盛り上がっている神明貝塚ですが、
11月24日に”シンポジウム”を開催します。

現在、80を超える申し込みをいただいていますが、新聞紙上でもシンポジウムの開催が記事として取り上げられ、本日だけでも20件に迫る申し込みがありました。

シンポジウム前日にあたる23日(土)は教育センター全体が祝日による休館のため、22日(金)が申し込みの最終日となります。お早目の申し込みをお待ちしています。

シンポジウムポスター

郷土資料館体験ワークショップを開催しました♪

令和元年11月17日(日)、郷土資料館で「体験ワークショップ」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「ぴょんぴょんカエル」や「紙てっぽう」を作りました。

ワークショップの様子

電気を使わず再生する蓄音機の音楽鑑賞では、やわらかく温かみのある音に皆さん聞きいっていました。また、レコード1枚で5分間しか聞けないことに驚いていました。

ワークショップの様子

最後は、出来上がった「ぴょんぴょんカエル」を飛ばしあったり、紙鉄砲を鳴らしたりして、嬉しそうに遊んでいました。
ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。 
 次回ワークショップは、令和2年1月26日(日)に「パタパタ(板がえし)」を作ります。ご参加をお待ちしています。


 

【歴史文化講演会】万葉の世界を堪能

令和元年11月16日(土)、堀越令子先生をお迎えして、万葉集を読み解く講演会を開催しました。
写真:講演会の様子
堀越先生には昨年度に引き続き、東歌(あずまうた)を中心に、万葉歌に詠まれる古代東国の世界を一語一語丁寧に解説いただきました。講演の冒頭に、先だっての即位の礼で話題になった「高御座」(たかみくら)の八角形の屋根や新嘗祭に関する「万葉集」の歌にも言及され、受講者の皆さんは熱心に拝聴され、万葉の世界を堪能されているようでした。
写真:堀越先生

写真:受講者の皆さん
堀越先生の講演会は全2回。次回は11月30日(土)となります。引き続きよろしくお願いします。

【常設展】神明貝塚の展示

11月15日、西親野井地区にある「神明貝塚」が国の文化審議会から文部科学大臣に国史跡に指定するよう答申されました。このあと、令和2年(2020)2月ごろに、正式に指定される予定です。

郷土資料館では、神明貝塚で発見された人骨や市指定文化財の「堀之内式組合せ土器」などを展示しています。
また11月24日(日)には、「3800年前の縄文人の食文化」をテーマに、神明貝塚のシンポジウムを開催します。
シンポジウムポスター
シンポジウム詳細はこちら
展示、シンポジウムとも皆様のお越しをお待ち申し上げております。

神明貝塚展示コーナー

神明貝塚展示ケース

市指定無形民俗文化財【東中野の獅子舞】が公開されました

さわやかな秋晴れの下、11月10日(日)に東中野香取神社の秋季祭礼で獅子舞が公開されました。午前中は地区境6箇所で疫病退散、家内安全を祈願した”辻切り”が行われました。

▲新たに保存会に加わった2名の後継者が辻切りで見事にデビュー。長身を生かした大きな舞が披露されました!
 午後からは神社境内で庭入りをはじめ全7演目の奉納舞が公開されました。秋季に行われる祭礼は一般的に五穀豊穣を喜び、無事に一年が終えられるよう、そして来年の豊作を祈願するものと云われます。
東中野の獅子舞は享保5年(1720)に現在の越谷市下間久里から伝授され、数えで300年目を迎えます。激しくリズミカルな舞が特徴的で、この日も終盤にはストーリー性のある「花掛かりの舞」では三匹獅子に加え、いたずら狐との掛け合いで観覧された皆さんから拍手喝采でした。

▲女獅子と狐の掛け合いは祭礼での見どころとなっています
 この日は三匹獅子による千島の舞→太夫の舞→ふっきりの演舞に加え、保存会会長による『大祓い(おおばらい)』が初めて神社境内で披露されました。

▲口上の後、邪気を払う神事で、通常は最後の辻切りの場で行われます
来年の祭礼では、本日デビューを飾った2名の後継者の活躍を楽しみにしております。
 また、市内の民俗芸能を伝承する8つの保存会では、後継者の育成はもとより、舞の復活や子供の演舞、女性の参加など、新たな取り組みが芽生えています。ぜひ、現地での公開に足を運び、郷土の伝統の舞を応援いただきたく、よろしくお願いいたします。

【歴史文化講演会】消えゆく町の記憶をたどる

令和元年11月10日(日)、大川明弘先生をお迎えして、古地図から明治期の粕壁地区の歴史を読み解く講演会を開催しました。
写真:歴史文化講演会の様子
大川先生は、現在、昭和30年代の粕壁の町並みを復元するため、地元粕壁の方々に聞き取り調査をされておられます。今回は、その成果も踏まえ、古地図やさまざまな文献を合わせながら、粕壁が「近代化」を遂げ、また町の人々がそれを主体的に受け止め、町を発展せしめていった明治時代の歴史を、楽しくわかりやすくお話しいただきました。
写真:地図を説明する先生
担当者が個人的に重要だと思ったのは、近世以来粕壁には白木綿の仲買商が多かったことに着目されたことです。
先生のご指摘に触れた後、手元の近世史料を確認したところ、「木綿糸幷綿類商」や「綿屋」などの白木綿糸買継ぎ商の存在が確認されますし、近隣の藤塚村には農間に「晒渡世」をする者、備後村には「紺屋渡世」の者もおりました。また、粕壁の町中でもわずかな手作畑に野菜とともに木綿を栽培する者や、農間渡世として女性は機織りをしていたという記事も確認されますし、時代は下りますが、かの加藤楸邨も「棉の実を摘みゐてうたふこともなし」と昭和初めの粕壁の風景を句に遺しており、畑がちの粕壁では木綿作が広く行われていたようです。
産業の「近代化」による町中の業態の変化については、今後詳しく検討していく余地がありますが、近世以来の木綿商の存在に着目されたことは、通説的に語られてきた「粕壁は麦わら帽子・桐箪笥の町だ」とか「米問屋が多い」といった従来の町のイメージを改め、より多彩に描いていくきっかけになるのではないでしょうか。

最後に、来場者から様々なご質問やご意見が飛び交いましたが、先生は来場者のみなさんに「私たちの記憶を遺していくために、皆さんご協力いただきたい」と呼びかけ、今後の調査の協力を仰ぎました。
写真:大川先生
日々変わりゆく町の姿、つい最近の町並みですらも、私たちの記憶の奥底に眠り、いつしか消えてしまいます。消えゆく町の記憶をたどり、それを遺し、未来に伝えていく取り組みの重要性を痛感させられた、大変有意義な講演会でした。

中学生社会体験チャレンジ最終日

中学生の社会体験の最終日は、春日部市郷土資料館の体験講座「しめ縄づくり」の下準備をお手伝いいただきました。

まずは、大量の稲わらの束をわらすぐり。
材料に使えるわらを選別する作業です。「こんなにたくさんの稲わらを見たのははじめて」と驚きながらも、黙々と受講予定者のわら束を用意してくれました。
皆さん、立って作業する派のようです。

写真:わらすぐりの様子

午後は、実際にしめ縄づくりを体験してもらいました。
まずは基本の縄ない。はじめは慣れない動作で戸惑っていたようですが、無事に縄をなうことができました。

写真:縄ないの様子
続いて、しめ縄(ゴボウジメ)をつくります。2人1組になって、ねじりながら編み込んでいきます。
写真:しめ縄づくり
写真では、なぜか4人がかりです。複雑なひねり方・編み方にチャレンジしているのが伝わってくる写真ですね。わらでなく、腕が絡まっていました。

最後に紙垂(シデ)をつけて完成。皆さん、立派なしめ縄がつくれました。
(担当者が完成した写真を撮るのを忘れましたので、ご想像にお任せします)

最後に「郷土資料館が展示室を管理するだけの仕事だと思っていました」と感想とお礼をいただきました。
今年の中学生は社会科への関心が高い方たちで、3日間、一生懸命取り組んでいただけました。皆さんが大人へと成長するにあたって、この3日間で何か一つでも得たものがあったならば大変幸甚です。資料館としても有意義な3日間となりました。

中学生社会体験チャレンジ2日目

3daysチャレンジ2日目のミッションは、考古学分野の仕事です。市内の遺跡にも出かけます。

朝の掃除
まず資料館の朝の業務である展示ケースの清掃を行いました。

花積貝塚解説板清掃
午前中は、車で市内を巡回しました。
まず、市指定史跡の花積にある花積貝塚で、解説板の清掃をしました。

神明貝塚の見学
この後、春日部市を東から西へ横断し、西親野井の神明貝塚で貝の広がりを見学をしました。

文化財整理室見学

文化財整理室見学2
続いて、上柳にある文化財整理室で、土器の図面を作成している様子や土器を洗浄している様子を見学しました。

土器洗い
午後は、郷土資料館に戻り、まず市内で採集された土器を洗いました。

拓本とり
その後、洗った土器の観察と拓本とりをしました。みなさん、きれいに拓本をとることができました。

朝から移動したり大変でしたが、一生懸命取り組んでもらいました。

中学生社会体験チャレンジ1日目

11月6日(水)から3日間、春日部中学校1年生の5人が郷土資料館のお仕事を体験しています。みなさん緊張した面持ちで迎えた初日。最初のミッションは、団体見学のお客さんへの展示解説の補佐をお願いしました。

5人は、模型を指差して説明する係と古写真を解説する係を分担し、説明の読み原稿づくりに取り掛かりました。みんなで話し合いながら、説明するコツや文章を推敲しました。
写真:読み原稿づくり
職員の前で何度か練習して、いよいよ本番!
写真:古写真解説の様子
栃木県小山市からお見えになったお客さんに、練習通りに説明ができました。中学校の先生も体験の様子をご覧になっており、緊張したようでした。お客さんからは、「たくさん勉強したんでしょう。頑張ったね」と優しく声をかけていただき、みなさん励みになったようでした。

午後は、資料のクリーニング。市内出身の鈴木久五郎の実家の邸宅(料亭大榎)の襖のホコリやカビを丁寧にふき取ってもらいました。襖の表紙が破れて、なかの下張りの文書がみられ、中身が何なのか興味を持ってもらえたようでした。
クリーニング途中に「これはなんですか!?」と発見。
写真:ゴキブリの卵鞘
ゴキブリの卵だよと教えると大騒ぎ。クリーニングが資料を害虫などから守るために必要な作業であることを実感してもらえましたでしょうか。
写真:襖のクリーニング
最後に、資料の調書作成。採寸やスケッチをしながら、資料の状態をよく観察し、現状を記録する体験をしてもらいました。

初日から盛りだくさんでしたが、引き続き、楽しみながらチャレンジしていただければと思います。

神明貝塚のシンポジウムを開催します!

昨年に引き続き神明貝塚のシンポジウムを開催します。

題して

   「和食」のルーツ?3800年前の縄文人の食文化
                                  です。

「和食」は、四季の移り変わる日本において、山海の豊かな自然とともに育まれました。そのルーツの一つと考えられる縄文時代の食文化について神明貝塚の発掘調査の成果と最新の研究結果から、神明貝塚に暮らした縄文人の食生活についてスポットをあてたシンポジウムとなっています。

開催は 11月24日(日)12:45~16:00
場所は 教育センター2階 視聴覚ホール
定員は 200名(先着順・要申込み)となります。

シンポジウムポスター

11月1日(金)9:00~申込みの受付を開始します。
申込みは、文化財保護課窓口で直接、または電話(048‐763‐2449)にて受け付けます。
土日は郷土資料館(048‐763‐2455)までお願いします。

昨年のシンポジュウムでも200名近い申込みをいただき、大盛況となりました。
先着順となりますので、お早目のお申込みをおススメします。
皆様のお申込みを心よりお待ちしております!

手作り季節展示を展示してます

朝晩の冷え込みが強くなってきましたね。
間もなく、紅葉や ”こたつ”の時期です。
郷土資料館では、冬支度をテーマとした手作り季節展示を展示中です。

季節展示

また企画展示室では、3月22日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

【常設展】浜川戸遺跡の火葬墓

浜川戸遺跡では、これまで8世紀前半から9世紀後半の4基の火葬墓と推定される遺構が確認されています。
日本では、奈良時代の西暦700年に僧侶であった道昭(どうしょう)が初めて火葬されたと『続日本紀(しょくにほんぎ)』に記録されています。これ以後、歴代の天皇や貴族、僧侶なども火葬されました。
ちなみに、縄文時代や弥生時代の遺跡からも、焼けた人骨が出土することがありますので、遺体を焼く行為自体は、これ以前からあったようです。

浜川戸遺跡から発見された火葬墓で特徴的なものは、4次調査の1号火葬墓です。穴の中から、底に近い部分を打ち欠いた甕と坏が2点ずつ出土し、これらは、それぞれ甕の穴が開けられた部分に坏をのせる蔵骨器として使用されたものと考えられています。また穴の中は、火を焚いた状況が確認され、遺体を火葬する作業も同じ穴で行ったと推定しています。

浜川戸遺跡の火葬墓は、どのような人物がどのように火葬されたのかなど、まだまだ謎が多いことも事実です。蔵骨器として使用された土器は、常設展示の浜川戸遺跡コーナーに展示しております。ぜひご覧ください。

火葬墓から出土した甕と坏
浜川戸遺跡で発見された蔵骨器

嘉永2年(1849)「小金原御鹿狩ニ付手控帳」を講読中

令和元年11月2日(土)古文書勉強会を開催しました。この勉強会は、市民の方々が主体的に市内ゆかりの江戸時代の古文書=神間村文書(春日部市郷土資料館所蔵)を解読するものです。
写真:勉強会の風景
今回は嘉永2年(1849)「小金原御鹿狩ニ付手控帳」を講読しました。読んだ部分には御鹿狩の勢子人足として動員された神間村の人々が、3月15日に村を出立し、16日に宿泊、17日に至るまでの記事です。「寒中之如しのきがたく」と記述されるように、寒いなか夜を徹して決められた場所に配置され、「世話役」の指示にしたがって獲物を追い立てた様子が克明にうかがえます。「赤白きさへヲ持」あるいは「ふり立申」という表現について、「さへ」とは采配のことではないか、などの意見がありました。ただ、解釈がしづらい部分もあり、今後読み進めていくなかで考えていくことになりました。
まだ読み始めたばかりなので、成果は読了後に公開します。これまでの成果は
こちらからさかのぼって御覧になれます。

次回は、12月15日(日)14時~となります。