ブログ

カテゴリ:郷土資料館

昭和は遠くなりにけり

6月30日、企画展「まちをみつめて50年」の展示解説講座「広報かすかべにみる市政のあゆみ」を開催しました。タイトルは受講者の方の感想です #かすかべプラスワン

写真:講座のようす

講座では、昭和29年(1954)7月に成立した旧春日部市の市政の歩みを、広報かすかべの縮刷版や、郷土資料館に収蔵されている広報誌の古写真をスライドなどでみながら、振り返りました。

昭和30年代の広報誌には、赤痢や伝染病の注意を促す記事や、自動電話の開設、ネズミくじなどの記事があり、受講者の皆さんと当時の春日部市の状況を想像していただきました。

なかでも、担当者が気に入っている記事は、「なくそう春日部時間」というもの。

昭和34年6月の広報第29号の記事です。以下、引用してみましょう。

六月十日は「時の記念日」です。むかしの時刻は寺院などの時の鐘を鳴らして知らせていました。本市では二十年前の町役場当時からサイレンを正午にならして正しいときを知らせてきましたが集会の時間はなかなか守られず、市教育委員会の会議が比較的よいといわれるだけで、市議会でさえ五月までの成績によると本会議が三、四十分おくれ、委員会など一時間おくれが多いといわれます。公の会議がこのようですから一般の集会などは一時間おくれがあたりまえのように考えている方が多く、いつになっても「春日部時間」の追放ができないのはこまったことです。ラジオの時報に合わせて休みなくたあわただしいサイレンに恥を与えないようお互いのため「時間の励行」を新生活運動の一環として実行しようではありませんか。みなさまの代表新市議会議員によってこんどこそこの悪い習慣を打破していただくよう期待しています。この時間励行は全市民のことしの実践課題としてとりあげられぜひご協力をお願いいいたします。

当時の春日部では、時間を守る人が少なかった。そうした悪習を「春日部時間」と俗称していたようです。市議会をはじめとする公の会議ですらも、一時間遅れが当たり前。現代の私たちにはとても想像に及びませんが、まだ、ゆったりとし、牧歌的であった春日部の様子がうかがえ、むしろ微笑ましくも思えます。当時の春日部市は「田園都市」の建設を目指していました。「田園都市」とは、中心となる市街地が発展しつつも、その周りには農村部が残り、市街地と農村部とが有機的に絡み合うような都市、を意味しているようです。

しかし、昭和40年代ともなると、武里団地の入居開始、地下鉄日比谷線の延伸、埼玉国体会場となる大沼グラウンドの建設、そして、春日部駅の西側の開発などを経て、春日部市が目指す都市像が、「衛星都市」「近代都市」にすり替わっていくことになります。そうした「衛星都市」「近代都市」への「躍進」を象徴するものとして、昭和46年(1971)1月に前の市庁舎(二代目市役所)が完成することになるのです。二代目市役所の建設は、春日部市政にとって画期的な出来事だったのです。

昨年、二代目市役所が役割を終え、旧春日部市の市制施行から70年目の節目の年である今年に、新市庁舎(三代目市役所)が業務を開始しました。牧歌的、かつ近代都市として発展してきた「昭和」という時代が、遠くなり、時代が転換していくのが、まさに今なのかもしれません。

 

6月の近隣博物館・資料館の考古学情報

6月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。(毎月28日ごろに掲載します。)

見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。

(展示会_閉会日順)

・6月30日(日)まで 栃木県埋蔵文化財センター 「古代の瓦が伝えること」

・6月30日(日)まで 佐野市郷土博物館 「佐野の遺跡」

・7月7日(日)まで 宮代町郷土資料館 「土器でみる一万年 宮代と縄文」

・7月11日(木)まで 武蔵野ふるさと歴史館(武蔵野市) 「旧石器時代の井の頭池周辺―武蔵野市発掘調査成果報告―」

・7月15日(月・祝)まで 幸手市郷土資料館「幸手と杉戸の古墳時代~下総台地の集落と墓~」

・7月15日(月・祝)まで 千葉県立中央博物館「発掘された日本列島2024」

・9月1日(日)まで 粕川歴史民俗資料館(前橋市)「発掘された銅銭ー前橋市内の一括出土銭ー」

・7月13日(土)~9月1日(日)埼玉県立さきたま史跡の博物館「埼玉の考古おひろめ展―地中からのメッセージ」

 

(講演会・講座)

・7月28日(日)遺跡報告会 埼玉県立さきたま史跡の博物館 さきたま史跡の博物館 講堂(申込不要・先着順)

・8月24日(土)さきたま講座 埼玉県立さきたま史跡の博物館 黒坂禎二氏 「加須市長竹縄文盛土集落の復元」(要申込、7/6から7/29まで往復はがき、電子申請で申込)

 

(現地見学会)

・7月13日(土)港区高輪二丁目発掘調査現場 東京都埋蔵文化財センター

 

*春日部市郷土資料館では7月7日まで「まちをみつめて50年~旧市庁舎と市政のあゆみ」を開催中です 

7月20日からは「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」を開催します

第70回企画展示「都鳥が見た古代」開催のお知らせ

7月20日から夏季展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」を開催します。

この展示では、埼玉県東部地区15市町からなる東部地区文化財担当者会と共催し、春日部市を中心に埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡から、当時の人々の暮らしを探ります。

 

春日部市郷土資料館 第70回企画展示

東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥が見た古代ー埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代」

会期:令和6年7月20日(土)から9月1日(日)

開館時間:午前9時から午後4時45分

休館日:毎週月曜日・祝日

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)

共催:東部地区文化財担当者会

ポスター 

「都鳥が見た古代」チラシ(PDF:1.5MB)

 

(関連イベント)

●東部地区文化財担当者会40周年記念リレー講演会「考古学から埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代を考える」

埼玉県東部地区の奈良時代・平安時代の遺跡や資料について、東部地区文化財担当者会考古部会のメンバーが報告します。

講師:鬼塚知典(春日部市)、守谷健吾(杉戸町)、篠田泰輔(行田市)、杉山和徳(白岡市)、関絵美(八潮市)、油布憲昭(幸手市)

日時:9月1日(日)13:30から17:00

場所:教育センター視聴覚ホール

定員:100人(申込順)

費用:無料

申し込み:7月10日(水)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請

 

●展示解説講座「春日部の奈良時代・平安時代」

春日部市の奈良時代・平安時代の遺跡を中心に、郷土資料館学芸員が解説します。

講師:郷土資料館学芸員

日時:7月28日(日)10:00から12:00

場所:教育センター視聴覚研修室

定員:50人(申込順)

費用:無料

申し込み:7月10日(水)から電話(048-763-2455)、直接、電子申請

文字が刻まれている紡錘車

 

●ミュージアムトーク

企画展示会場で郷土資料館学芸員が展示解説を行います。

日時:7月20日(土)、8月15日(木)、8月25日(日)各日10:30~、15:00~(30分程度)

場所:郷土資料館企画展示室

費用:無料

申し込み:不要

人口急増時代の春日部ゆかりの資料

現在、開催中の企画展「まちをみつめて50年」の展示資料を少し紹介。今回は春日部市の人口がぐーんと上がった昭和40年ごろの資料。 #かすかべプラスワン

企画展では、昭和29年(1954)の(旧)春日部市の誕生から、現在の市庁舎が誕生するまでの市政のあゆみを、ギュギュっと紹介しています。なかでも春日部にとって、大きな転機となったのは昭和40年初頭。埼玉県で国民体育大会が開催され、駅西口の風景が大きくかわり、また、武里団地が造成され、市内に1万人規模の街が造られ、春日部の風景は大きくかわっていったのです。

当時の状況を物語る資料は無いかと、収蔵庫から探して並べたのが、下の資料。

画像:資料展示風景

 手前の大畑小学校の表札は、大畑小学校が平成15年に閉校したときに収集したもの。大畑小学校は、武里団地の中に昭和41年(1966)に開校した小学校で、春日部市にとって、初めての新設小学校でした。団地の中にあるということからわかるように、武里団地が造成され、入居がはじまり、団地の子どもたちが通った小学校なのです。

奥のお人形と、ネズミとアヒルの壁掛けレリーフは、武里診療所旧蔵の資料。閉所した平成7年に収集したものです。武里診療所は、市立病院の出張所として昭和41年に武里団地内に設置されました。これらの資料は団地の子どもたちをあやすため置かれ、飾られたのでしょう。ネズミとアヒルは、世界的に著名なキャラクター。しかし、ちょっと顔が変?診療所設置当時のものか定かではありませんが、昔は類似品や海賊版があふれている時代。ライセンス品ではないのかもしれません。

そして、赤ちゃんの人形。目や髪がクリンとしていて、欧米系の顔つきのようにもみえます。ちょっと苦しそうな体勢で座らせているのは、背中を見ていただきたいため。

画像:赤ちゃん人形の背中

背中には「小児科」の文字が。これで、間違いなく診療所で使われていたものであるといえましょう。

いずれも、春日部市の人口が急増したときの資料です。人口の増加はグラフや年表にすれば一目でわかりますが、このような当時のモノからも、当時の世相や雰囲気を感じることができるのではないでしょうか。

展示は、7月7日まで。6月30日には展示解説講座も開催します。ぜひご覧ください。

#常設展 #プチ展示替

郷土資料館の常設展をプチ展示替しました。 #かすかべプラスワン

展示替したのは、毎度おなじみ、展示室の奥の奥の古文書展示のコーナー。

画像:展示ケース

長らく、江戸川開削に関する古文書を展示していましたが、訳あって撤収する必要があり、近年、ご寄贈いただいた市内の不動院野の旧家に伝わる高札を展示しました。

この高札、慶応4年(1868)3月に太政官の名で出されたもの。日本史でも習う(はず)の「五榜の掲示」の一つです。

内容は、キリスト教などを禁止するもの。江戸幕府以来のキリシタン制禁の政策がそのまま踏襲されたものを示す高札です。

面白いのは、この高札の左隅に釘で打ち付けられた穴(写真の赤の矢印)があること。そして打ち付けられた木札(木片といったほうがよいか)も一緒に伝わっていることです。

画像:木札

なぜだか、写真が縦になってしまいましたが、木札には、明治5年(1872)正月付で、埼玉県の名があります。高札の旨を守ることと墨で書かれたもので、内容は何てことないのですが、高札に打ち付けられた木札、珍しいかもしれません。高札はずっしり重い堅木であるのに対し、埼玉県の木札は簡素な杉の木ってところも面白いです。

資料を受領しに、旧家にお邪魔した折り、市内に高札が「まだ」あったことに驚き、またこの珍しい?木札にさらに驚いた記憶があります。

ぜひご覧ください。

5月の近隣博物館・資料館の考古学情報

5月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。(毎月28日ごろに掲載します。)

見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。

(展示会_閉会日順)

・6月2日(日)まで 松戸市立博物館 「たてたて あなあなー竪穴建物の世界」

・6月9日(日)まで  富士見市立資料館水子貝塚資料館難波田城資料館 「ひらいた 考古館」

・6月23日(日)まで 栃木県立博物館 「栃木の遺跡」

・6月30日(日)まで 栃木県埋蔵文化財センター 「古代の瓦が伝えること」

・6月30日(日)まで 佐野市郷土博物館 「佐野の遺跡」

・7月7日(日)まで 宮代町郷土資料館 「土器でみる一万年 宮代と縄文」

・7月11日(木)まで 武蔵野ふるさと歴史館(武蔵野市) 「旧石器時代の井の頭池周辺―武蔵野市発掘調査成果報告―」

・7月15日(月・祝)まで 幸手市郷土資料館「幸手と杉戸の古墳時代~下総台地の集落と墓~」

・9月1日(日)まで 粕川歴史民俗資料館(前橋市) 「発掘された銅銭ー前橋市内の一括出土銭ー」

・6月8日(土)~7月15日(月・祝)まで 千葉県立中央博物館「発掘された日本列島2024」

 

(遺跡発表会)

・6月22日(土) 千葉県立中央博物館 「発掘された関東の遺跡2024」 要事前申し込み(6月7日〆切)

 

(現地説明会)

・7月20日(土) 台東区教育委員会 「北稲荷町遺跡(旧下谷小学校地点)遺跡発掘調査現場見学会」要事前申し込み(6月14日〆切)

 

*春日部市郷土資料館では「まちをみつめて50年~旧市庁舎と市政のあゆみ」を開催中です

みゅーじあむとーくを開催しました

5月25日、現在開催中の企画展「まちをみつめて50年」の展示解説を実施しました。

今回の企画展は、ざっくり言えば、旧市庁舎ができてから、閉庁するまでの春日部市政の歩みを紹介するもの。扱う出来事は最近のことで、郷土資料館の展示としては異例の極めて現代史的な内容です。

画像:みゅーじあむとーく(午前)

いらっしゃった方にも、はじめにお断りしましたが、今回の企画展は広報かすかべをたどりながら準備しているので、当時の様子や詳しいことがわからなかったり、最近の出来事を評価するにも難しく、至らない部分も多いです。ご参集いただいた市民の皆さんには、そうした点を様々にご教示、ご感想をいただけました。

珍しいのでは!?とご感想いただいたのが、こちらの資料。

画像:ナンバープレート

昔、市が軽自動車(軽車両)に交付したナンバープレートです。

法令ができた昭和33年以降のものであるようですが、残念ながら、いつ頃のどんな車両につけていたものなのか、広報かすかべでは辿れません。自動車にお詳しい方がいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。

写真:みゅーじあむとーく(午後)

企画展は、いつもと時代の守備範囲が違う内容なので、お越しになる方がいらっしゃるのか、当日までわかりませんでしたが、お集まりいただいた方々は常連の方もいれば、はじめてお話しする方にもお越しいただき、写真の通り、そこそこ盛況のうちに終えることができました。また、知らなかったことをご教示いただけたので、担当者にとっても有意義な時間を過ごせました。

展示は7月7日まで。6月30日には展示解説講座も予定していますので、ぜひご観覧・ご参加いただけますと幸いです。

「さようなら二代目 #春日部市役所 」配布中

本日より、企画展「まちをみつめて50年~旧庁舎と市政のあゆみ~」展(7月7日まで)が始まりました。春日部市の旧庁舎の閉庁を記念した企画展示です。 #かすかべプラスワン

展示は、昭和29年(1954)に(旧)春日部市が誕生してから、旧庁舎(二代目市役所)が閉庁するまでの、春日部市の歩みを様々な資料を展示して紹介するものです。旧庁舎が完成するのが昭和46年(1971)1月のことですので、旧庁舎は春日部市政の大半と月日を過ごしてきました。とくに、春日部のまちが駅の西側に広がり、「近代的な都市」へと歩みを進めていく、その市政・まちづくりの中枢にもありましたので、近代的な発展を遂げた市にとって象徴的な建造物ともいえるでしょうか。この旧庁舎(二代目市役所)が昨年12月閉庁したことを記念し、展示を企画するにあたり、今回、「さようなら二代目春日部市役所」と題するリーフレットを作成しました。

画像:展示リーフレット

一見、地味ですが、そこそここだわっています。

タイトルの「さようなら二代目春日部市役所」の「春日部市役所」の文字は、旧庁舎の玄関に掲げている「春日部市役所」の文字をトレースしています。建築に明るい人に言わせれば、この文字のレタリングが近代建築の風合いを遺しているとか。浅学ながら、旧庁舎は、いわゆる「モダニズム建築」と「ポストモダニズム建築」の狭間に置かれた建造物なのだろうと思います。文字も結構ですが、専門家の方には、まずは建物自体の建築史的な建物の評価をしていただきたいものです。

表紙の写真は、落成当時に「新市庁舎完成記念特集号」として発行された「広報かすかべ」の表紙です。新庁舎の完成が市にとって重要な出来事であったことがうかがえます。展示室では複製版をご覧いただけるようにしていますので、気になる方はぜひご来館ください。

背景は旧庁舎のタイルの画像となっています。リーフレットを開くと、見開きの背景は旧庁舎の内装のタイルの画像だったりもします。

このリーフレットは、ご来館いただいた方に無料で配布しています。旧庁舎や春日部市政をふりかえる機会にしていただければ幸いです。

 

展示名:企画展示(第69回)「まちをみつめて50年~旧庁舎と市政のあゆみ~」

会 期:令和6年5月18日(土)~7月7日(日)

会 場:春日部市郷土資料館 企画展示室

入 場:無料

関連事業

・展示解説講座「広報かすかべにみる市政のあゆみ」

 と き:令和6年6月30日(日)10時~12時

 ところ:教育センター

 申込み:郷土資料館に直接、電話、電子申請

・みゅーじあむとーく(学芸員による展示解説)

 と き:5月25日(土)10時30分~、15時~

 ところ:郷土資料館 企画展示室

関連記事

「#春日部市役所 よ、さようなら(写真でみる現庁舎)」(2023年12月23日)

旧市庁舎の池

企画展「まちをみつめて50年」では、昨年12月に閉庁した旧市庁舎(二代目市庁舎)にスポットをあて、市政のあゆみを紹介しています。 #かすかべプラスワン

写真:竣工直後の二代目市庁舎

上の写真は、竣工直後の二代目市庁舎。鳥瞰の写真で周囲の様子もわかる、大変貴重な写真です。先日、市役所内の担当部署から移管されたものです。あたりに田んぼの形跡があるように、二代目市庁舎は、昭和46年(1971)1月落成し、田園のなかからひとり、近代化していく春日部の町の有り様を見守ってきたといえるでしょう。

そんな、たくましさすら感じられる二代目市庁舎について、いろいろと調べているうちに「昔はこうなっていたのかぁ」と、小さな発見がありました。実は、池があったのです。

池はなんと、正面玄関の階段の脇です。スロープになっている段差を利用して、そこを池にしていたようです。図面でも池があることは確認できていたのですが、半信半疑。しかし、下の写真(昭和49年)を発見し、確信にかわりました。

写真:昭和49年市役所玄関前の池

この池、現在は植栽が植えられ、当時の面影は残っていません。いつ、どのような理由から池が植栽に変えられたのか、現時点では不明です。

へぇ~、と思った次第です。

【どこにあるかわかるかな?】目指せ資料館ハンター!

埼玉県鉄道高架建設事務所と郷土資料館が協力して、
令和6年4月1日(月)に、教育センター1Fに鉄道高架PR展示室を開設しました。

教育センターに入って、エレベーターやお手洗いを抜けたガラス扉の先に展示室があります。

以前は教育委員会の執務室として使われていた空間です。

ちょっと分かりにくい場所ですが、勇気をもって入ってみてください(笑)
鉄道高架PR展示室
展示室には駅周辺の古写真のみならず、粕壁宿のペーパークラフト模型や、古利根公園橋、鉄道高架事業の駅周辺の模型なども展示してあります。

 

そこで!
郷土資料館・鉄道高架PR展示室をよりじっくり味わってもらうために、こんなプリントを作成してみました。
「目指せ資料館ハンター!」
プリント
写っている写真は、郷土資料館もしくは鉄道高架PR展示室内に設置された模型の一部分をズームアップしたもので、その場所を探してもらうというゲーム感覚で楽しんでいただけるプリントです!
写真の中に含まれる色や特徴など、様々なものを手掛かりにぜひ探してみてくださいね!

 

郷土資料館写真

鉄道高架PR展示室写真
プリントは郷土資料館内に設置してありますのでご自由にお取りいただき、挑戦してみてください♪

#企画展 「まちをみつめて50年」準備中

GWが明け、5月18日(土)から始まる企画展示「まちをみうめて50年~旧庁舎と市政のあゆみ~」の設営が本格化してきました。 #かすかべプラスワン

今回の企画展では、昨年12月に閉庁した旧市庁舎にスポットをあて、その旧市庁舎が誕生し、閉庁するまでの市政のあゆみを紹介するものです。

旧市庁舎が落成したのは、昭和46年(1971)1月。閉庁するまで53年間、春日部市政とともに歩んできました。そんな長い期間の市政をくまなく紹介するのは、せま~い郷土資料館では不可能ですから、今回は、市制の周年事業や特徴的な取り組みを中心に紹介する予定です。市制40周年の「かすかびあん」も登場予定。

初日まで、あと1週間。毎度ながら、果たして間に合うのでしょうか。

画像:企画展示チラシ

展示名:企画展示(第69回)「まちをみつめて50年~旧庁舎と市政のあゆみ~」

会 期:令和6年5月18日(土)~7月7日(日)

会 場:春日部市郷土資料館 企画展示室

入 場:無料

関連事業

・展示解説講座「広報かすかべにみる市政のあゆみ」

 と き:令和6年6月30日(日)10時~12時

 ところ:教育センター

 申込み:郷土資料館に直接、電話、電子申請

・みゅーじあむとーく(学芸員による展示解説)

 と き:5月25日(土)10時30分~、15時~

 ところ:郷土資料館 企画展示室

#かすかべ地名の話 (4) 花のつく地名 #花積 #西宝珠花

市内の地名の話題。今回は企画展でも紹介している花のつく地名について。 #かすかべプラスワン #地名の由来

市内の「花」のつく地名は、住居表示でも使用されている「花積」「西宝珠花」です。

花積、西宝珠花はともに春日部市域の端っこにあたりますが、それぞれ大宮台地と下総台地の突端に位置しています。そのため、原始時代から先人たちの暮らしていた痕跡=遺跡が検出される地区であります。また、歴史時代において、特に中世の記録史料にも花積・宝珠花の地名が確認されます。中世の記録等に市域の地名が確認される例は、数えるほどしかありませんので、花積、宝珠花は中世の春日部市域を考える上でも重要です。

しかし、なぜ「花」という言葉が地名についているのでしょうか。花積・宝珠花の地名の由来については、様々な説があります。諸説については花積と西宝珠花の「地名のはなし」の回に譲ることにしますが、「はな」という言葉の語義を調べてみると、「突端」や「先端」を意味するそうです。それが転じて「はなわ(塙)」は台地などの高くなっている土地を指すそうです。顔の「鼻」も顔のなかで突起している部分、あるいは先端ですし、フラワーの「花」も植物の先端に付きます。つまり、「花」とは「突端」「先端」あるいは「台地」の上を意味すると解せます。

翻って、花積と宝珠花の地形をみると、台地の突端に位置しています。地名の由来の定説を決定づけることは難しいですが、おそらく春日部市の「花」は「突端」「先端」あるいは「台地」を意味するものと理解されます。

ちなみに、庄和地区の金崎には「字花輪下(あざ はなわした)」という地名があります。ちょうど国道16号のハンバーガーチェーン店のあたりとなり、南桜井駅周辺に張り出した台地の縁辺にあたります。おそらく、「花輪」はこの台地を指し、その「下」に位置するので「花輪下」と呼ばれたのでしょう。

なお、「花」の地名は、台地が張り出している市域のみならず、他所にもあります。「鼻」の漢字があてられる場合もあるようです。

西宝珠花では、5月3日、5日大凧揚げ祭りが開催されます。「花」の地形も意識しながら、西宝珠花を散策すると、より大凧揚げ祭りも楽しめるかもしれませんよ。

花積の貝殻坂はどこか!?

4月27日(土)、「*花の彩り*春日部*」展の展示解説講座を開催しました。

今回は、春日部ゆかりの花の話題は他に譲り、「花」のつく地名である花積・西宝珠花の歴史にフォーカスをあてました。

写真:講座の様子

花積、西宝珠花はともに春日部市域の端っこにあたりますが、それぞれ大宮台地と下総台地の突端に位置しています。そのため、原始時代から先人たちの暮らしていた痕跡=遺跡が検出される地区であります。また、歴史時代において、特に中世の記録史料にも花積・宝珠花の地名が確認されます。中世の記録等に市域の地名が確認される例は、数えるほどしかありませんので、花積、宝珠花は中世の春日部市域を考える上でも重要です。

さて、今回は花積の「貝殻坂」について。花積は花積貝塚が所在することで考古学界では著名な地区です。縄文時代には台地の谷あいに海が入り込み、高台に暮らす縄文人が貝を投棄し、それが貝塚となったわけです。花積に豊富な貝が散在していたことは、江戸幕府の官撰の地誌「新編武蔵風土記」の記述にもみえます。記事は次の通り。

塚 高さ四五尺庚塚と云、この外西北に登り、五丈許屈曲せる坂あり、そこより貝殻多くいづれば貝殻坂とよべるなり

花積地区の発掘の報告書にも引用される一節です。解釈してみましょう。当時の花積(花積村)には、庚塚という高さ4~5尺ほどの塚があったそうです。残念ながら塚の位置は不明です。記事は「この外」に坂があると書かれています。「この塚の外側に」ということなのか、「塚の他に」という意味なのか確定ができないのですが、いずれにしても花積村内に5丈(約15m)ばかり屈曲する西北に登る坂道があり、その坂道一帯から貝殻がたくさん出てくるので、地元の人たちは「貝殻坂」と呼んでいる、と解釈できます。

「もし、花積発祥のアイドルグループができたなら、きっとグループ名は貝殻坂46」

そんな妄想を抱きつつ、貝殻坂の場所を特定せんがため、受講者の皆さんと明治9年の花積村地租改正図をから読み解いてみました。今回の講座では受講者の皆さんに下の絵図を配布し、貝殻坂がどこなのか、を一緒に考えていただきました。

画像:花積村地租改正図

 前にあげた風土記稿の記事を、花積地内のこれまでの発掘成果に照らしあわせ考えると、花積地内には、貝を含む土層が検出された花積貝塚がありますので、貝殻坂は貝塚周辺と推測されます。花積貝塚は、上の図ではちょうど中央の黄色の枠で囲ったあたりです。たしかに、花積貝塚の石碑が立っている地点の裏手にあたる南側には、細い路地があり、ここが斜面になり、坂道になっています。

写真:花積貝塚の裏の道

 この坂道は地租改正絵図にも確認されますので、江戸時代の村の道であることは間違いなさそうです。しかし、絵図でも現況でみても、それほど屈曲しておらず、また「西北」に登る坂というよりは、どちらかといえば東北方面に登る坂道です。貝塚の斜面にあたるので、かつて貝殻が散らばっていた可能性も高いのですが、本当に風土記のいう「貝殻坂」かどうか確定しかねます。

発掘成果を考えずに、「西北」に登り、屈曲する坂道を探してみましょう。花積は、東西寺・二ノ宮神社沿いの南北に縦断する道(越ケ谷道・慈恩寺道)が馬の背、尾根道のように村の標高の頂点になっています。つまり、この道の方向へ東側から交差・接続する道が、西北に登る坂道になるわけです。それを踏まえて、屈曲する道を探すと、図の赤い丸で囲む地点が極端に屈曲しており、また西北にカーブしています。

画像:地租改正図(注記)

丸で囲った道を東側に見た写真です。

写真:斜面の看板

 写真の先が下りの坂になっています。傾斜は5%と急な坂ではありませんが、平坦な春日部市内では珍しい道路標識が設置されています。道路標識で注意を促すカーブと傾斜が、ちょうど丸で囲ったカーブになります。

江戸時代から存在し、西北に登り、屈曲している坂道、ということで「貝殻坂」の要素を満たしています。肝心の貝殻はというと、カーブのあたりは、現時点では遺跡が検出されておらず、貝殻が散っているのかは、舗装されていることもあり、現地では確認できませんでした。

講座では時間がなくお話できませんでしたが、絵図をよく見ると、このカーブには社寺地と同じ色で塗られた土地があります(図では白い丸をつけています)。おそらく、この白い丸の土地に、なんらかの社・祠かあったのではないかと考えられます。詳しいことはわからないのですが、もしかしたら「庚塚」なのかもしれません。推測を重ねれば、このカーブは庚塚の外縁にあたるので、風土記の記事の「この外」とは外側という意味なのかもしれません。

ともかく、花積貝塚の裏の坂道にしても、傾斜5%の道路標識の坂道にしても、どちらも決め手を欠きますので、「貝殻坂」は謎のままです。春日部市内では唯一の名前の付いた坂道「貝殻坂」。今後とも気にかけて追及したいものです。

4月の近隣博物館・資料館の考古学情報

4月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。(毎月28日ごろに掲載します。)

見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。

(展示会_閉会日順)

・5月12日(日)まで 杉並区立郷土博物館分館 「発掘された弥生時代」

・5月12日(日)まで 東京国立博物館 特別企画「令和6年 新指定 国宝・重要文化財」

考古学の展示ではありませんが、考古学分野より「国宝 三重県宝塚一号墳出土埴輪」がとりあげられ、ほぼ完全な形の船形埴輪(ふねがたはにわ)が展示されます。

・6月2日(日)まで 松戸市立博物館 「たてたて あなあなー竪穴建物の世界」

・6月9日(日)まで  富士見市立資料館水子貝塚資料館・難波田城資料館 「ひらいた 考古館」

・6月30日(日)まで 栃木県埋蔵文化財センター 「古代の瓦が伝えること」

・7月7日(日)まで 宮代町郷土資料館「土器でみる一万年 宮代と縄文」

 

*春日部市郷土資料館「花の彩り*春日部*」展も5月2日までです。「花の彩り*春日部*」展では、花積内谷耕地遺跡出土の縄文時代の関山式土器と貝の内遺跡(西宝珠花)出土の7世紀後半の常陸型甕を展示しております。あわせてごらんください。

常陸型甕と宝珠花―*花の彩り*春日部*

前回の縄文時代の関山式土器に続き、「*花の彩り*春日部*」展で展示している宝珠花は貝の内遺跡から出土した「常陸型甕(ひたちがたかめ)」を紹介します。この甕は7世紀後半の竪穴建物跡から発見されています。

常陸型甕

常陸型甕は、土器の粘土に雲母を含み、光が当たると雲母がキラキラと光ります。これは、茨城県南部で採れる粘土を使っていると考えられ、現在の茨城県のあたりが、かつて「常陸国(ひたちのくに)」と呼ばれたことから、考古学では常陸国に特有な甕として常陸型甕と呼んでいます。

武蔵国(むさしのくに)で使われていた長胴の甕とは違い、卵のような形であり、胴部の下方にはヘラミガキと呼ばれるヘラ状の工具で器面を整えた痕跡があります。また口縁部を受け口状につまみ上げるなどの特徴もあります。

常陸甕は、市内では、特に西宝珠花や塚崎などの宝珠花台地の7世紀後半から9世紀ごろまでの遺跡から多く発見されており、当時、市域東部で生活していた人が常陸国の人々と頻繁な関りがあったと考えられています。

展示している常陸型甕は、竪穴建物のカマドの天井を支える「ソデ」と呼ばれる部分から発見されたものです。本来、甕は、現在の鍋のように調理の際の煮沸具として使われるものですが、この甕は、ソデを補強するための材料として使われていました。

前回ご紹介した縄文土器の型式である「関山式」は、蓮田市の関山貝塚で発見された土器をもとに設定された型式でした。花積でも関山式土器が発見されます。7世紀の「常陸型甕」は、常陸国を中心に使われていた土器の型式で、主体的に使われていた地域の地名が型式名となるところに違いがあります。つまり、宝珠花でも常陸型甕は発見されますが、主体的に生産、使用されていたのは常陸国が中心となります。

それぞれの時代の研究において型式の使われ方に違いがあることに注意が必要です。

 

今年もやってきた藤の季節

桜はとっくに散り、春日部市内の藤の花が見ごろを迎えています。 #かすかべプラスワン #藤 #牛島のフジ

春日部人(かすかびあん)なら、桜よりも藤の花、のはず。粕壁小の敷地に自生している謎の藤の花も見ごろ。郷土資料館から見え、甘い香りがします。

写真:粕壁小の藤

かつて「世界一のフジ」と称された、牛島のフジ(国特別天然記念物)も、この数日間が見ごろのようです。

最近のニュースなどでは、他地域のフジの花が紹介されているのを見かけます。牛島のフジの歴史・文化性は唯一のもの。あの新一万円札男・渋沢栄一も見に来ているのだから、もっと紹介されてもいい、と個人的に思います。

春日部駅西口側では、藤通りの藤棚が見ごろのようで、藤テラス(4月21日)、藤まつり(4月28日)。藤まつりウィークと称し、とイベントが目白押しです。

郷土資料館では「*花の彩り*春日部*」展で、藤をめぐる春日部の歴史も紹介していますので、観藤のついでにお立ち寄りください。

関山式土器と花積ー*花の彩り*春日部*

現在、春日部市郷土資料館で開催中の「*花の彩り*春日部*」展では、花積内谷耕地遺跡出土の縄文時代前期の関山式土器を展示しています。

花積内谷耕地遺跡関山式土器

関山式は、蓮田市の関山貝塚から発見された土器をもとに設定された型式です。もとは「蓮田式」と呼ばれていましたが、戦前、昭和初期の研究で、古い順に花積下層式、関山式、黒浜式と分けられました。

花積下層式、関山式、黒浜式土器は、「羽状(うじょう)縄文系土器群」とも呼ばれ、縄文のつけ方に特徴があります。羽状縄文とは右撚りと左撚りの縄文を上下に連続してつけることで、全体として羽や菱形の形にみえるようにする縄文の施文方法です。

また、縄文時代には「繊維土器(せんいどき)」と呼ばれる、材料となる粘土の中に植物の繊維を混ぜて焼き、割れ口に燃えつきた植物の痕跡が残る土器があります。羽状縄文系土器群は、ほとんどが「繊維土器」です。

関山式土器の特徴として、口縁に文様帯が設定され、竹を使用した複雑な文様が描かれることがあげられます。また、縄文原体の端部などに輪(ループ)を作り、それにより付けられた「ループ文」と呼ばれる縄文が多用されます。

関山式土器は埼玉県を中心に関東地方全域で出土します。春日部市では、今回展示の花積内谷耕地遺跡(花積)のほかに、竹之下遺跡(内牧)、貝の内遺跡(西宝珠花)、風早遺跡(西金野井)、鷲前遺跡(東中野)で関山式土器の時代の集落跡が発見されています。約6,500年前の縄文土器型式と考えられており、すでに始まっている縄文海進の影響を受け、貝塚を伴っているものが多いです。

 今回展示している花積内谷耕地遺跡の関山式土器は、口縁部の縁に竹でつけられた細かい文様がまわり、円形の粘土粒が貼り付けられます。胴部はループ文や羽状縄文が施されます。

 展示でも触れていますが、花積は花積貝塚から出土した土器をもとに設定された「花積下層式」発祥の地です。しかしながら、縄文土器の土器型式は、地名こそ冠していますが、土器の変遷の指標として使われるもので、花積からも「関山式」の土器が出土します。

展示解説を実施しました

4月20日(土)「*花の彩り*春日部*」展のみゅーじあむとーく(展示解説)を実施しました。

午前は4名、午後は2名と少人数でしたので、時折、ご質問いただきながら進めました。

写真:午前の様子

皆さんの興味があつまったものの一つに、昭和27年の西宝珠花移転前の町並みを紹介したパネル(図)があります。この図は、当時大学生だった方が卒業論文で調査・聞き取りしたノートや自ら撮影した写真をもとに作成しています。西宝珠花は、こののち江戸川改修のため、移転してしまいますので、大変貴重な情報となっています。往時の西宝珠花の繁栄がひと目にしてわかるものです。

写真:午後

午後の方は、明治9年花積村地租改正絵図にご興味をお持ちいただきました。土地が錯綜しており、絵図作成にあたって隣接する村の戸長らが署名していることに驚かれたようでした。

展示の会期は、5月2日(木)までとなっています。お見逃しなく。

#博物館実習 受け入れています

#春日部市郷土資料館 は、今年度も #博物館実習生 を受け入れています。 #かすかべプラスワン

と、告知すると、博物館がお好きな一般の方からお問い合わせがありそうですが、博物館実習とは、大学で博物館学芸員の資格取得を目指す学生が、一定期間、博物館の現場で実際の業務を経験すること。ですから、基本的に未来の学芸員を志す学生さん(市内在住の方優先)に限られます。

当館の博物館実習は、例年7月末から8月にかけて、実施しています。毎年、実習生に「ほごログ」にて実習の模様を報告してもらうのも恒例になってきました。どんな実習をするのかは、下のタグの「博物館実習」「実習生」「実習生の記録」をクリックしてみてください。

実習の受け入れ・申し込みについて、詳しくは、市ホームページをご覧ください。