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11月11日(日)東中野の獅子舞が公開されます

11月11日(日)は、春日部市指定文化財である東中野の獅子舞が公開されます。年に一度の神社での公開です。ぜひ、皆さまお誘いあわせの上、お出かけください。

東中野の獅子舞
日時:平成30年11月11日 (日曜日) 午前9時~午後4時
雨天の場合は18日(日曜日)に順延

午前9時~正午は地区内を辻切り、午後2時から神社境内で奉納舞

場所:東中野香取神社(春日部市東中野366)

南桜井駅から徒歩30分

幸松小学校放課後子ども教室で「神楽・お囃子教室」の開催

 幸松小学校放課後子ども教室「幸松っ子くらぶ」では、市指定無形民俗文化財を伝承する東不動院野神楽保存会による『神楽・お囃子教室』が本年で4年目を迎えました。
 年を重ねるごとに子供たちの中でもすっかりと定着し、本日11月5日の練習では1年生から4年生の6人が参加しました。

△榎原さん、清水さんの指導のもと、タイヤでウォーミングアップ。
幸松小学校放課後子ども教室
△3・4年生はすっかり熟練の「ニンバ」のお囃子を奏でることができます。また保存会の練習にも参加され、立派な後継者です!

△7月からは実行委員さんと鈴木会長さんの発案により、練習の記録が作成されました。回数と達成度が会長さんから記入されるため、練習後のサインも楽しみ。

次回は、保存会が揃えていただいた子供用の”神楽面”を被ることも企画されています。
実行委員会による子供の居場所作りと共に地域の皆さんの協働・連携により、伝統芸能の大切な後継者養成にも連動しており、引き続きの活動に期待しています!!

市内最古の住居跡ー坊荒句遺跡『新編図録春日部の歴史』ーその66

内牧地区の坊荒句遺跡(ぼうあらくいせき)では、平成4年(1992)と平成8年(1996)に、内牧公園をつくるにあたり、事前に発掘調査を行いました。調査した場所は、現在の公園の一番南側にある「林間アスレチック広場」にあたります。発掘調査では、約1万年前の縄文時代早期(じょうもんじだいそうき)の住居跡が8軒など、春日部市域では初例となる時代の生活の営みが発見されました。

特に縄文時代早期の住居跡は、いずれも台地の縁辺部に築かれ、住居跡の形は角が丸い長方形や楕円形(だえんけい)で、最も大きいものは長軸が約6mですが、大半は長軸約4m、短軸約3m程度と、縄文時代の住居の中では小型なものです。床面からは、焼けた土が広がる炉跡(ろあと)や、柱を立てるための柱穴(ちゅうけつ)などが確認されています。住居跡からは「撚糸文系土器群(よりいともんけいどきぐん)」と呼ばれる土器が発見されています。

坊荒句遺跡の縄文時代早期の住居跡は、春日部市内では最古の住居跡であることはもちろん、県内でも発見例が非常に少ないものです。これらの住居跡は、壊されることなく埋め戻され、現地で保存されています。

春日部市教育委員会「第二節 坊荒遺跡」『春日部市史第一巻 考古資料編』 1988
春日部市遺跡調査会『坊荒句北1.2次 坊荒句 立山遺跡』春日部市遺跡調査会報告書第4集 1995
春日部市遺跡調査会『坊荒句遺跡2次地点』春日部市遺跡調査会報告書第13集 2004
「縄文時代の生活」『新編図録 春日部の歴史』16ページ

坊荒句遺跡で発見された住居跡
坊荒句遺跡で発見された市内で最も古い時代の住居跡

桜川小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年10月26日に桜川小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子
常設展示室と、企画展示室の「くらしのうつりかわり」展の説明を受けた後は・・
自由に展示室内を見学!

見学の様子
「あら?私達の方が、60年前の同年代の平均よ背が高い」と、言ってるのでしょうか?

小学校見学
兜をかぶり、先生に記念撮影を取ってもらったりして、色々な体験をしていました。

小学校見学の様子
なんと、千歯こき体験のあとは、お掃除もしてくれました。どうもありがとう♪

【常設展展示替】地区の信仰を伝える

春日部市郷土資料館の常設展で「町のなかの信仰」と題した展示替えをしました。今回は、粕壁地区に所在した陣屋稲荷ゆかりの資料を出品しています。
写真:狐像の写真
市内各地の神社には、地域の信仰にゆかりのある資料が伝来しているほか、特色のある民俗芸能や祭礼行事も伝承されています。しかし、近年の少子高齢化に伴い、町内会や地域での神社経営や祭礼行事の存続が危ぶまれているものもあります。
陣屋稲荷は、今年の8月、町内会の解散にともない遷座の儀式を行い、解体された稲荷社です。郷土資料館では、博物館実習生に協力してもらいながら、陣屋稲荷を調査し、ゆかりの資料の寄贈を受けました。資料の受け入れや整理については、前に実習生が本ブログで紹介してくれています(調査について整理について)。

さて、地元の方によれば、初午の祭礼の日には、子どもたちは太鼓を打ち鳴らし、「アンドンヤブリ」(「チョウチンヤブリ」とも)という遊びをするなど、大変にぎわったそうです。

昭和7年(1932)の粕壁尋常高等小学校編『郷土の研究』によれば、三月十日の初午について次のように記述されています(以下原文・句読点は補った)。

三月十日 初午(陸軍記念日)
赤飯、すみつかれ、甘酒、豆腐、油あげを稲荷様へ供へる。組合の人は酒宴をひらく。年に依り火祭りをなす。掛行灯へ俳句を書いて出す。子供は部内の稲荷様へこもり太鼓をたゝく。こもつて太鼓をたゝいてゐる子供、又遊びに来た子供には稲荷様上つて居るものを御馳走する。他の部内に行つて、そこに供へてあるもの(油あげ菓子豆腐)を取り、又掛行灯を破つて来る。沢山破つた方が勝。破られた方が負。

この記録からは、町全体が初午でにぎわっていた様子がうかがえます。陣屋稲荷の資料は、陣屋地区のみならず粕壁の町内の往時のにぎわいを伝える資料といえます。

地元の方と共に歩んできたお社は、さまざまな事情により、残念ながらなくなってしまいました。しかし、地域の信仰の記憶は、郷土資料館に引き継がれました。後世に伝えられるように、しっかりと保存していきたいと思います。
皆さまには、展示をご覧いただき、地域の記憶・歴史の行く末について、思いを巡らせていただければ幸いです。

写真:展示風景

昭和42年の埼玉国体『新編図録春日部の歴史』ーその65

昭和42年(1967)10月22日から27日にかけて、埼玉県で第22回国体秋季大会(国民体育大会)が開催されました。「成功させよう埼玉国体」、「まごころで迎えよう埼玉国体」のスローガンのもと、29競技、17,129名が参加しました。

春日部市では、この年の5月に完成した大沼運動公園グラウンドが、10月23日から26日の期間、女子ソフトボールの会場になりました。高校女子24チーム、一般女子10チームが、それぞれトーナメントで熱戦をくり広げました。
初日の10月23日には、昭和天皇・皇后両陛下が大沼運動公園グラウンドを訪れ、試合をご覧になりました。

「第22回大会の概要」公益財団法人日本スポーツ協会サイト
「新市街地の開発」『新編図録 春日部の歴史』276ページ

昭和42年埼玉国体女子ソフトボールポスター
昭和42年埼玉国体女子ソフトボールのポスター

郷土資料館所蔵の古写真の活用例(回想法)

平成30年10月28日(日)まで、教育センター1階のミニギャラリーにて、市内の古写真が展示されています。この催事は、市内の回想法ボランティア団体「ふれあい幸齢倶楽部」さんによる取り組みで、春日部市郷土資料館所蔵の古写真をご活用いただいています。蔵出しの古写真をご覧いただき、昭和の春日部に思いをはせてみてください。なお、10月27日(土)の遊学1日体験教室では「ふれあい幸齢倶楽部」の熊谷さんによる「回想法講座」も開催されるそうです。
写真:展示の風景

「回想法」とは…の説明は熊谷さんの講座に譲りますが、実はこの「回想法」、日本の博物館業界でも、郷土資料を福祉分野に活用する取り組みとして徐々に広がりつつあります(たとえば、愛知県北名古屋市富山県氷見市など)。春日部でもこの先進的な取り組みが広がるといいですね。

さて、現在開催中の「くらしのうつりかわり」展でも、古写真のみならず、懐かしいおもちゃや道具を展示しています。「回想法」には至りませんが、展示室でも、むかし懐かしい昭和の春日部を思い出し、そしてお楽しみいただければ幸いです。
写真:くらしのうつりかわりの写真展示
写真:くらしのうつりかわりのおもちゃ展示
ちなみに、郷土資料館所蔵の古写真の一部は「かすかべデジタル写真館」で公開していますし、展示で使用した写真パネルの貸し出しも行っております。多方面からのご利用をいただけるとうれしいです。
…結局、郷土資料館の宣伝になってしまいました(反省)

「赤沼の獅子舞」&「銚子口の獅子舞」が公開されました

 10月22日(日)、さわやかな秋空のもと、市指定無形民俗文化財の「赤沼の獅子舞」「銚子口の獅子舞」が公開されました。

 赤沼神社では、平成元年に舞が復活し、ちょうど30年の節目を迎えた「赤沼の獅子舞」では、獅子舞社中の皆さま、そして獅子舞を継承す小学生を中心とする子ども獅子による様々な舞とユーモラスな神楽が披露されました。
7月の夏の例祭では、秋の収穫を祈願する『弓くぐり』が舞われますが、今回は初めて小学6年生がチャレンジしました。

▲大人顔負けの弓くぐりに拍手喝采でした
 また、平成7年に伝承以来、長らく使用されていた獅子頭を新調し、「隠居獅子」となっていた獅子頭を20数年ぶりに被り、獅子舞社中会長による太夫獅子の舞も披露されました。

▲島田会長による迫力ある太夫獅子の出端
 赤沼の獅子舞は12月2日(日)に開催される第8回民俗芸能公開事業(於:庄和公民館)でもご出演いただき、様々な舞を披露いただく予定です。

 銚子口香取神社では、元禄10年(1697)に越谷市下間久里から伝承以来、初めて女性の舞手による獅子舞が披露されました。

▲期待の高校1年生、日向さんによる「小獅子の出端」。女性らしく、軽やかでリズミカルな舞が披露され、会場からは大きな拍手をいただきました。
また、収穫の感謝と無病息災、家内安全を祈願する三匹獅子の「幣掛り」では初めて同演目に取り組む「太夫獅子」役の会田さんと「中獅子」役の赤井さんによる堂々とした舞が披露されました。

▲例祭の最後を締める幣掛り。子獅子役の川鍋さんを中心に、三匹獅子による息のあった迫力ある舞が披露されました。

 銚子口の獅子舞は、1月中旬にも新春を祝う舞が公開されます。

 全国各地で無形民俗文化財(伝統芸能)の後継者不足が危惧されていますが、春日部では着々と新たな世代へ引き継がれる準備が進んでいます。 江戸時代から地域の皆さまによる地道な努力で今日まで継承されている郷土春日部の宝を、ぜひ、現地でご覧ください。

 両地区、そして保存会のみなさま、それぞれ特色のある取り組みを披露いただき、ありがとうございました!

郷土資料館体験講座「ミニぞうりを作ろう」を開催しました

平成30年10月20日(土)、郷土資料館体験講座「ミニぞうりを作ろう」が開催されました。
長さ3mの江戸打ち紐を3本使い、10cmほどのミニぞうりを作りました。ぞうり本体は、江戸打ち紐を互い違いに編んで作り、最後に鼻緒を、かぎ針を使い本体に編み込んで完成させます。

体験講座

好きな色のミニぞうりを作ってもらうため、江戸打ち紐は、皆さんご自身で色を選んでご用意していただいたものです。

ミニぞうり作り

参加者達は、「自宅で、もっと小さな物を作ってお財布の飾りにしよう」「すごく楽しかった」と喜んでいました。
 次回体験講座「しめ縄を作ろう」は、12月9日(日)・12月15日(土)です。ご参加をお待ちしています(事前の申込が必要です)。

藤塚小学校第3学年が郷土資料館を見学しました。

平成30年10月19日に藤塚小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
写真:藤塚小の見学
少し昔に使われていた道具や、昔のおもちゃを実際に手に取ったり、様々な体験を通じて、昔のくらしについて学習していました。
写真手前の児童は、80年前の小学生と背比べしているようです。

千歯こきの体験では、職員が道具を抑えていないと、動いてしまうことに気づいた児童が「どうしたらいいのか」と質問していました。
「本当は足をかけて使ったようです」と職員が説明すると、児童は千歯こきに足をかけて脱穀体験。
写真:藤塚小千歯こき
なかなか、ワイルドな脱穀体験になりましたね。「すっきりした」でも「昔の人は大変だったことがわかった」と感想を話してくれました。


郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。藤塚小の皆さん、今度はおうちの方と遊びに来てくださいね。

10/21赤沼の獅子舞、銚子口の獅子舞が公開されます

10月21日の日曜日、春日部市指定無形民俗文化財の「赤沼の獅子舞」、「銚子口の獅子舞」が実りある収穫の秋祭りとして公開されます。
みなさまお誘いあわせの上、ぜひお出かけください。

赤沼の獅子舞
日時:10月21日(日)13:00~
場所:赤沼神社(春日部市赤沼770)
交通機関:茨城急行バス せんげん台駅東口から大正大学・松伏町役場・まつぶし緑の丘公園行きにて赤沼バス停下車、徒歩5分

銚子口の獅子舞
日時:10月21日(日)14:00~
場所:銚子口香取神社(春日部市銚子口551)
交通機関:朝日バス 春日部駅東口から豊野工業団地行きにて豊野小前バス停下車、徒歩5分

文化財めぐりを開催しました。

9月25日(火)、10月16日(火)の両日に文化財めぐりを開催しました。

文化財めぐりは、文化財への理解を深め、郷土春日部を学ぶ機会をご提供することを目的にマイクロバスで市内の指定文化財所在地を訪問し、学芸員の説明を聞きながら文化財を見学するものです。
両日とも、午前は春日部八幡神社・やじま橋・内牧塚内古墳群・小渕山観音院仁王門を、午後は神明貝塚・西金野井香取神社本殿・花蔵院の四脚門・蓮花院のムクを見学しました。

ご応募いただきました市民の皆様、文化財の公開にご理解・ご協力を賜りました文化財所有者の皆様、誠にありがとうございました。

ご興味のある方は、来年度のご応募をお待ちしております。
(広報かすかべ、ホームページ等でお知らせします。)


▲春日部八幡神社 都鳥の碑


▲西金野井香取神社


▲花蔵院の四脚門

クレヨンしんちゃん、展示はじめました

春日部市郷土資料館で開催中の企画展示「くらしのうつりかわり—懐かしい昔の道具展」の一角に「クレヨンしんちゃん」を紹介する展示コーナーを設置しました。
写真:クレヨンしんちゃんコーナー

「クレヨンしんちゃん」の展示については、以前より市民の方や市外から訪れた観光客の方、遠くは台湾や東南アジアなど外国人観光客の方からも要望がありました。資料館としては、念願の「クレヨンしんちゃん」です。

今回の展示は、「クレヨンしんちゃん」の作中に描かれた、しんちゃんの家族や日常生活について紹介しています。「くらしのうつりかわり」展で紹介している”昔のくらし”と比較すると、野原家は、平成(現代)の家族・生活様式を象徴しているといってもいいかもしれません。現代の暮らしぶりが描かれる漫画のワンシーンも展示しています。
また、今では入手できない、春日部市制作の「クレヨンしんちゃん」関連グッツや、中国語版のコミックス単行本も展示しています。
春日部と「クレヨンしんちゃん」のあゆみ、ぜひともご覧ください(みれば~)。

粕壁小学校特別支援学級の児童が、郷土資料館で脱穀体験をしました。

平成30年10月16日に、粕壁小学校特別支援学級の児童が、郷土資料館に来館しました。
常設展示室を見学し、隣の企画展示室に移り脱穀体験♪♪

見学の様子

児童がバケツの中で育てた稲を、千歯こきで脱穀し、唐箕をまわして軽い藁くずやゴミを飛ばしたりして、昔の農業の体験をしました。

見学の様子
ん・ん? 千歯こきに稲が引っかかった?
でもこの後、ちゃんと取れました。

唐箕

いつもは、資料館に展示されているだけの唐箕が、今回、稼働しました!

稼働する唐箕

郷土資料館では、10月2日(火)から3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催します。
昔の懐かしい道具や写真を展示し、小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

榎の囃子神楽が公開されました

実りの秋の今日この頃、10月15日には富多神社で秋の大祭が催されました。境内東側にある神楽殿では市指定無形民俗文化財『榎の囃子神楽』が公開されました。
 神社拝殿で執行された神事に続き、高い舞台となる神楽殿で富多小学校3・4年生の児童の皆さんが4月から練習を続けている「お囃子」「オカメヒョットコ」「テンコサンバ」「獅子舞」「大黒舞」を地元をはじめ、多くの皆さんを前に堂々とした舞を披露しました。

息のあった「オカメヒョットコ」の舞

堂々とした「テンコサンバ」の舞

「大黒舞」では難しい口上も大きな声で唱えました

終盤は保存会の皆さんによる貫禄の「大黒舞」が披露されました

 富多小学校の児童の皆さんは11月のけやき祭りや年明けの”閉校式”に向けてまだまだ練習に取り組むそうで、この中から地域の伝統芸能の後継者が生まれることに期待しています!

緑小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年10月12日に緑小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子

少し昔に使われていた道具を実際に手に取ったり、千歯こきを使い脱穀を体験しました。
今は機械で行っている作業も、昔は手作業で時間と労力を使っていたことを実際に感じていました。

見学の様子

郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

10月15日(月)榎の囃子神楽が公開されます

10月15日(月)、神間地区(かんま)の富多神社にて、榎の囃子神楽(えのきのはやしかぐら)が公開されます。

榎の囃子神楽は榎地区の香取神社に伝わったものですが、大正3年(1914)に榎地区の香取神社が神間地区の富多神社に合祀されたため、毎年10月15日の富多神社の例大祭でも奉納されます。
当日は、隣接する富多小学校の児童のみなさんも春から練習に取り組んだ舞の成果を披露します。ぜひお出かけください。

日時:平成30年10月15日 (月曜日) 午前10時~
(雨天でも実施)
場所:富多神社(春日部市神間663)
交通機関:朝日バス(春日部駅東口~関宿中央ターミナル行)立野バス停下車、徒歩5分

第27回「埼葛人権を考えるつどい」で神楽を披露

 本日、10月11日は春日部市民文化会館で第27回「埼葛人権を考えるつどい~出会い ふれあい 思いやり~」が開催されました。
午前の部では、平成14年以来、総合的な学習の時間に『神楽』を取り入れている富多小学校の3~5年生の児童が大勢の来館者を前に堂々とした神楽を披露しました。また、日頃から神楽の指導を行っていただいている市指定無形民俗文化財「榎の囃子神楽」を伝承されている榎囃子神楽連の皆様もお囃子に加わり、大ホールに祭り囃子が小気味よく響きわたりました。

 ▲「おかめ・ひょっとこ」

▲「獅子舞」

▲「大黒舞」
 次週15日(月)には富多小学校の西側、富多神社の祭礼でも子供たちの神楽が披露されますので、秋のひと時、江戸時代から伝承されている民俗芸能を引き継ぐ、子供たちの演舞を楽しんでみてはいかがでしょうか。

子どももお年寄りも「くらしのうつりかわり」展

春日部市郷土資料館の企画展示室で、小学校地域学習展(第35回)「くらしのうつりかわりー懐かしい昔の道具展ー」を開催しています。
この展示会は、小学校第三学年の地域学習に即して、少し昔のくらしや道具を展示するものです。小学生だけでなく、一般の方にもお楽しみいただける内容となっています。

写真:地域学習展展示風景
会期中、市内の小学校の団体見学もありますが、近年つとに多いのは高齢者施設の方々の見学です。
先日もお見えになり、昔使った道具を前に「懐かしい」「昔はこうやってつかったんだ」などとお話しになっていました。

写真:昔の道具をご覧になるお年寄り

見学中、話題になったのは、次の道具。
写真:手水器
「知ってるでしょ?」「こうやって使うのよ」と得意げに、付き添いの方にお話しされていました。
こたえは、郷土資料館でお確かめください。同展は、平成31年3月24日(日)まで開催しています。

北条氏房朱印状写『新編図録春日部の歴史』ーその64

後北条氏が関東を支配していた天正11年(1583)、北条氏房(うじふさ)が岩槻(岩付)城主になりました。
本日ご紹介する古文書は、天正17年(1589)3月24日、岩付城主北条氏房が、代官深井藤右衛門尉(ふかいとうえもんのじょう)と佐枝若狭守(さえだわかさのかみ)ならびに百姓中に対し、前例とおり諸役(しょやく・労働役)を免除するかわりに、人を集め、耕地の開発に励むようにと命じたものです。

この古文書は後年に写されたもののみが現存していますが、写された印影は「心簡剛(しんかんごう)」と刻まれた円形の印文であることから、氏房が発給した朱印状であったことがうかがえます。本文には
「御領所糟壁(ごりょうしょかすかべ)」とあり、当地の糟壁(春日部)は当時、岩付城の直轄地であり、また「糟壁」と表記されていたこともわかります。
なお、古文書の後段には、大普請(おおぶしん)ならびに棟別銭(むなべつせん・家屋単位で課せられる税)は賦課するとあります。大普請とは、領内の大規模な土木工事にかかる労働役のことですが、この時期には、後北条氏は各地の支城の普請を勧めており、豊臣秀吉との戦いに向けて「糟壁」の人々も軍備増強に動員されていった時代背景もうかがい知ることができます。

「北条氏房朱印状写」『武州文書』国立公文書館内閣文庫
『春日部市史 第二巻 古代中世編』1989
「後北条氏の滅亡」『新編図録 春日部の歴史』56ページ
北条氏房朱印状

粕壁宿めぐりが開催されました。

9月19日(水)と9月27日(木)に「粕壁宿めぐり」が開催されました。
 
宿場町とは、幕府から宿駅業務を行うように指定された町のことで、粕壁宿は江戸日本橋を起点にする日光道中第4の宿場でした。
かつて粕壁宿の街並みがあった現在のかすかべ大通を、参加者の皆さんと一緒に巡りました。

◆宿内の解説板をたどりながら、近世~近代にかけての歴史について文化財保護課職員がご案内しました。



◆かすかべ大通り沿道周辺は、平成28年度に埼玉県より「歴史のみち景観モデル地区」に指定され景観上重要な地区となっているため、都市計画課の職員が取り組みについてご紹介しました。



◆様々な「こだわり」のもと生み出された春日部ならではの優れた食品を「かすかべフードセレクション」として認定しています。かすかべ大通り周辺にある認定品を取り扱う店舗を観光振興課の職員がご案内しました。



また、田村荒物店さんのご協力で、蔵の中も見学させていただくことができました。参加者からは、「貴重な体験ができた」、「春日部に長く住みながらも、身近な歴史を学ぶ機会がなく、大変有意義なひと時になった」との声が多くありました。9月27日はあいにくの雨となってしまいましたが、ご参加いただきありがとうございました。両日とも無事に終了することができました。

来年度も広報かすかべ等で募集をしますので、ご応募お待ちしています。

総武鉄道の開通『新編図録春日部の歴史』ーその63

昭和5年(1930)10月1日、東武アーバンパークライン(野田線)の前身である総武(そうぶ)鉄道が全線開通しました。

東武野田線の起源は、明治44年(1911)に柏駅ー野田町駅(現野田市駅)間に開通した千葉県営鉄道野田線です。大正12年(1923)には、当時の野田町有志が設立した北総鉄道に払い下げられました。北総鉄道は、野田町駅から粕壁駅を経て、大宮駅までを結ぶ新線の敷設(ふせつ)免許を受け、昭和3年(1928)に建設を開始しました。
工事の進行に合わせて部分的に開通し、最後に江戸川を渡る橋の完成をもって全線開通となりました。また、北総鉄道は、昭和4年(1929)に総武鉄道と会社名を変更し、昭和19年(1944)に東武鉄道と合併しました。

写真の庄内古川橋梁(きょうりょう)は、藤の牛島駅、南桜井駅間に、昭和5年に開通したトラス橋で、”プラットトラス”と呼ばれる特徴的な構造で作られています。

「総武鉄道の開通」『新編図録 春日部の歴史』194ページ

庄内古川橋梁

豊野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成30年9月28日に豊野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。

見学の様子

時代とともに変わっていった春日部を学芸員から説明を聞いたり、少し昔の生活について、説明を聞くだけでなく、当時使っていた物を触ったりして体験しました。

見学の様子

80年前の8歳の小学生の平均身長のパネルと背比べ♪
見学の様子

見学の様子

郷土資料館では、10月2日(火)から3月24日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催します。
昔の懐かしい道具や写真を展示し、小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

神明貝塚の巡回展が始まります

平成30年9月16日に惜しまれながら幕を閉じました「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展(郷土資料館開催)の一部が市内各所を巡ることとなりました!

さすがに郷土資料館での開催時のボリュームとまではいきませんが、神明貝塚の暮らしの様子を形作ったジオラマやパネルを中心に、先の企画展を”ギュッ”と凝縮した内容となっています。

巡回展の第一弾は、神明貝塚の地元でもあります庄和地区の庄和総合支所にて明日(9月28日)から開催します。是非ご覧いただければと思います!
また現在のところ曜日(休日祝日を除く)は決まっていませんが、神明貝塚の紹介動画を1階イベント情報コーナーで上映します。こちらも是非ご視聴ください。さらに支所に併設されています庄和図書館でも神明貝塚に関わる特集コーナーが開設されています。季節柄、読書の秋として、縄文人にアプローチしてはいかがでしょうか。




場 所:庄和総合支所(春日部市金崎839番地1)  1階エントランス
期 間:平成30年9月28日(金)~平成31年1月22日(火)(予定)

花蔵院の四脚門『新編図録春日部の歴史』ーその62

西金野井に所在する花蔵院(けぞういん)は、新義真言宗豊山派(しんぎしんごんしゅうぶざんは)のお寺です。永禄(えいろく)年間(1558~1570)に創建されたといわれます。
花蔵院にある四脚門(しきゃくもん)は、江戸時代中期の建立(こんりゅう)と考えられています。「四脚門」とは、2本の本柱のほかに前後に2本ずつ計4本の袖柱がある門の形式です。
花蔵院の四脚門は、多くの装飾や彫刻をもち、彩色(さいしき)が施されていた痕跡が残っています。昭和30年に埼玉県の有形文化財(建造物)に指定されました。

花蔵院は、当初、現在の江戸川の河川敷にあたる位置に建てられましたが、江戸川の改修工事により大正4年(1915)、昭和27年(1952)の2回にわたり、本堂、四脚門が移転しました。
平成19年(2007)~平成21年(2009)にかけて、四脚門は半解体修理を行い、建物のゆがみの改善や瓦屋根の軽量化がはかられました。さらに将来への保存に向けて、彩色の痕跡の剥落(はくらく)止めなども行いました。

花蔵院の四脚門」春日部市教育委員会サイト
「春日部の寺院」『新編図録 春日部の歴史』105ページ

花蔵院の四脚門
花蔵院の四脚門
花蔵院彩色復元
彩色の復元図

神明貝塚のキャラクター名が決まりました

9月16日(日)まで開催していた「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展の会期中に皆様にご投票いただいた、神明貝塚のオリジナルキャラクター(女の子と土偶)の名前が決まりましたので、結果を発表いたします。
写真:キャラクターふたり
その名は......
「めいちゃん」(女の子)、「ぐうすけ」(土偶)
です!

ここだけの話、担当者の予想に反する結果でした。やはり、春日部には「しんちゃん」は、某永遠の5歳児ただ一人だけなのですね。
余談に次ぐ余談で恐縮ですが、愛らしい土偶の「ぐうすけ」は、展示会のパネルのなかで、豊かな表情をみせてくれました。なかでも私のお気に入りは、このイラストですイラスト:埋葬するぐうすけ
埋葬する悲しいシーンですが、仲間がいたんですね!そして、亡くなったもう一人の土偶の表情が何とも言えないです。

多くの皆さまにご投票いただき、ありがとうございました。
これからも神明貝塚と、めいちゃん・ぐうすけをよろしくお願いします。
写真:めいちゃんとぐうすけ


≪投票結果≫
女の子(投票総数360票)
・めいちゃん  174票
・めいかちゃん 85票
・どきみちゃん 52票
・もんちゃん     49票

土偶(投票総数355票)
・ぐうすけ  174票
・しんちゃん 107票
・おやっきー   42票
・しんくん    32票
写真:投票のパネル

展示会は今日終わりますが、神明貝塚は永久に不滅です

本日(9月16日)が最終日となった「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展。その最後を飾るギャラリートーク(学芸員による展示解説)を開催しました。

午前の回、午後の回とも、最終日とあって、これまで以上に多くのみなさんにご参加いただきました。

写真:午前の様子

写真:午後の様子
展示会も終盤にかけて、よりコアな縄文好きの方がいらっしゃる傾向がありましたが、本日も、すでに展示を何度かご覧になった方や、縄文ファン(もとい神明貝塚ファン)の方にお集まりいただき、質問が飛び交うなかでギャラリートークが進みました。

また、神明貝塚から出土した土器を実際に触っていただきました。真剣に話を聞いている方も、「意外と軽い」などと土器を抱えるときには笑みをこぼしていました。ギャラリートークが終了しても、学芸員に質問する方、詳しく話を聞く方で終始にぎやかな一日となりました。

写真:土器にさわる
展示会や各種のイベントを通じて、春日部市の神明貝塚の認知度が少しは上がったでしょうか。

展示会は今日終わりますが、神明貝塚は永久に不滅です!
…と胸をはっていえるよう、今後も、遺跡の保存・活用に取り組んでまいりたいと思います。皆さまのご協力のほど、よろしくお願いいたします。
神明貝塚、まだまだこれからです。

内牧塚内古墳群『新編図録春日部の歴史』ーその61

内牧にある塚内古墳群の塚内4号墳は、昭和52年に発掘調査が行われ、様々な副葬品が発掘されました。(過去の記事:内牧塚内4号墳から発掘された直刀発見された副葬品は全て春日部市指定文化財に指定され、一部は春日部市郷土資料館で展示しています。

埴輪(はにわ)は人物埴輪や円筒埴輪(えんとうはにわ)が発見されましたが、今回は円筒埴輪についてご紹介します。
塚内4号墳からは、下総型(しもうさがた)と武蔵型(むさしがた)と呼ばれる2種類の円筒埴輪が発見されています。これらは簡単に見分けることができ、下総型は全体的にスリムで、表面には突帯(とったい)と呼ばれる粘土の帯が3本付けられています。これに対し武蔵型は、埴輪の高さが低く、突帯も2本という特徴があります。さらにデザインだけでなく、焼き上がりの色や素材の粘土の質も異なっています。

春日部市周辺の古墳では、一つの古墳に使われる円筒埴輪は、武蔵型、下総型のどちらか一方の円筒埴輪が使われることが一般的ですが、塚内4号墳はその両方が使われる唯一の事例です。これら2種類の円筒埴輪が使われた塚内4号墳は、現在の千葉県方面にあたる下総地域と埼玉県から東京都にあたる武蔵地域の境界に立地していたことを良く示しています。

塚内4号墳の埴輪は、行田市のさきたま史跡の博物館で9月15日から開催される「埼玉の古墳3-北足立・北埼玉・南埼玉・北葛飾-」に出展されます。さきたま古墳群をはじめとする埼玉県東部地域の古墳が一挙に紹介されます。ぜひお出かけください。

さきたま史跡の博物館「埼玉の古墳3-北足立・北埼玉・南埼玉・北葛飾-」
会期:平成30年9月15日(土)~11月14日(水)
開館時間:9時~16時30分(最終入館は16時まで)
休館日:月曜日(9月17、24日、10月8日、11月5日は開館)
会場:埼玉県立さきたま史跡の博物館(行田市埼玉4834)
さきたま史跡の博物館サイト

*塚内4号墳出土の「下総型埴輪」は、「下総型埴輪」が成立する以前のものであることから「下総系埴輪」と呼ばれることもあります。
「武蔵の埴輪と下総の埴輪」『新編図録 春日部の歴史』28ページ

武蔵形埴輪
武蔵型円筒埴輪
下総型埴輪
下総型円筒埴輪

動画で解説!神明貝塚(最終日)

本日(9/12)、春日部市郷土資料館の夏季展示「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展の関連イベント「動画で解説!神明貝塚」の6回目(最終日)を開催しました。

このイベントは、展示室で神明貝塚の紹介映像を上映し、学芸員が解説するものです。会期中、毎週水曜日に開催してきましたが、最終日とあって、多くの皆様においでいただきました。
まずは、動画の上映です。神明貝塚が後世に遺していくべき遺跡であることが紹介されます。本日が上映の最終日でしたが、動画は世界中でいつでもユーチューブでご覧いただけます。
写真:動画上映

その後、展示室に移動して、学芸員が展示解説をしました。

こちらも、最終日ともあって、解説する学芸員もいつも以上に熱が入っていたようでした。また、皆さんも、熱いまなざしで縄文人を見つめていました。
写真:縄文人をみつめる皆さん

「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展は9/16(日)まで。最終日の9/16(日)にはギャラリートークも開催します。担当者が展示を解説するのは、本当にもう最後です。お見逃しなく!!

手作り季節展示を展示してます♪

十五夜・十三夜をテーマとした手作り季節展示を展示中です。   
可愛い"うさぎ"が月見団子を前にお月見をしています。    
一緒に月見をしませんか?

季節展示

郷土資料館の9月の休館日は、毎週月曜と18日(火)および、臨時休館の22日(土)と祝日の23日(日)となりますので、ご注意ください。

豊野村消防団のオート三輪消防車『新編図録春日部の歴史』ーその60

消防組織は、明治以来、警察の管轄下にありましたが、アジア・太平洋戦争(第二次世界大戦)を経て、GHQにより警察と消防の分離が勧告されました。
昭和22年(1947)4月に、当時の内務省は消防団令を公布し、新たに全国の市町村に自主、民主的な消防団が組織されました。

豊野村でも、約30名からなる消防団が組織され、オート三輪(三輪のトラック)の消防車が使用されました。写真のオート三輪の消防車は、荷台に座席と手すりが設置され団員が乗車しています。

昭和29年(1954)、1町4村の合併による春日部市の誕生と共に消防団も合併し、春日部市消防団となりました。

「警察と消防の改革」『新編図録 春日部の歴史』239ページ
『豊野村誌』1954年

2豊野村消防団のオート三輪車

動画で解説!神明貝塚(5回目)

本日(9/5)、春日部市郷土資料館の夏季展示「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展の関連イベント「動画で解説!神明貝塚」の5回目を開催しました。

このイベントは、展示室で神明貝塚の紹介映像を上映し、学芸員が解説するものです。
まずは、動画の上映。著名な先生方が登場して、神明貝塚の重要性をお話しします。日本考古学の泰斗・小林達雄先生は「神明貝塚が伝える4000年前の人々のメッセージを我々は積極的に受け止めて、生活のなかに取り入れて活用していく必要がある」と語ります。文化財行政に携わる私たちにとって大変重みのあるお言葉です。参加された皆さんはどう受け止められたでしょうか。
写真:動画の上映

その後、展示室に移動して、学芸員が展示解説をします。
写真:ジオラマをのぞく参加者たち
時折、参加者の方から投げかけられる質問に受け答えしながら、終始なごやかな雰囲気で展示解説がすすみました。特製のジオラマや様々な資料をご覧いただきながら、学芸員の分かりやすい説明をきき、縄文時代のムラと当時の人々の暮らしの情景が目に浮かんできたのではないでしょうか。

「動画で解説!神明貝塚」は、残すところ9/12(水)の10:30と15:00だけです。また、展示最終日の9/16(日)にはギャラリートークも開催します。展示会終了まで残り二週間をきりました。お見逃しなく!!

記念シンポジウムを開催しました

平成30年9月2日(日)春日部市郷土資料館夏季展示を記念して、シンポジウム「発掘調査から分かる3800年前の縄文人のくらし」を開催しました。今回は、市教育委員会の発掘担当者による調査報告に加え、貝塚の調査についてご指導いただいた専門家の3名の先生方をお招きして、市内西親野井地区の神明貝塚の発掘の成果からみえてきた縄文時代の食文化をテーマにご講演いただきました。
はじめに、基調報告として、市教育委員会の文化財保護課学芸員が、発掘現場の写真や図版などを多用して、神明貝塚の発掘調査の成果と特徴をわかりやすく説明しました。
写真:森山氏報告

次に、米田穣先生(東京大学総合研究博物館・教授)からは「骨の化学分析からみる神明貝塚と東京湾沿岸の縄文時代人の食生活」と題して、縄文人の人骨の科学分析から、縄文人の食生活が多様であったことや、神明貝塚で発掘された縄文人は、内陸の資源を食している特徴があったことなどを、お話しいただきました。
写真:米田先生の講演

続いて、吉田邦夫先生(東京大学総合研究博物館・特招研究員)からは「炭化物から分かる神明貝塚の土器で煮炊きしたもの」と題して、土器に付着した炭化物(おこげ)から、縄文人の食生活を探る新しい科学分析の方法とその可能性について、お話しいただきました。
写真:吉田先生の講演

さらに、阿部芳郎先生(明治大学文学部・教授)からは、「神明貝塚の塩作り」と題して、東京湾沿岸の貝塚で確認された灰の中に含まれる焼けた微小生物の殻に着目して縄文時代の塩づくりにアプローチされ、神明貝塚の豊富な資料とその分析によって、新たな製塩活動の歴史を切り拓く可能性について、お話しいただきました。
写真:阿部先生の講演

最後は、登壇者4名によるパネルディスカッション。
会場からの質問を交えて討論し、人類学・考古学の連携によって明らかになったきたこと、これからの調査研究の課題、そして、神明貝塚を末永く後世に伝えていくことの意義など、意見が交わされてました。
写真:パネルディスカッション

会場は定員間際の190名の参加者でにぎわい、高名な先生の講演とあって、遠方の富山県からお越しの方もいらっしゃいました。シンポジウムは4時間もの長丁場でしたが、受講者の方からは、「専門的で難しいところもあったが、ますます興味を抱きました」「身近なところに貴重な遺跡があることに驚いた」「神明貝塚の国指定史跡を楽しみにしています」などのご感想をいただきました。

受講者の方々にとっても、春日部市にとっても、大変有意義な時間になったかと思います。
次年度も異なるテーマで、シンポジウムを開催する予定ですので、ぜひともご期待ください。

縄文体験を開催しました!!


平成30年9月1日(土)、午前と午後の2回、8月10日に続いて2日目の「さわってみよう!縄文体験」を開催しました。春日部市郷土資料館で開催中の「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展の関連イベントです。
まず企画展示室で神明貝塚の時代の環境や調査で発見された女性の人骨、いろいろな模様のついた土器について、担当の学芸員が解説しました。

縄文体験 展示の解説

わかりやすい解説で、参加の子どもたちは、遺跡から発見された様々な遺物に興味をもってくれたようです。
その後は、粘土を使った土偶のマスコットづくり。楽しく作業して、皆さん上手に作ることができました。

縄文体験 土偶づくり

最後は、神明貝塚から出土した土器にふれる体験です。実際に持ってもらい、記念撮影も!

縄文体験 土器にふれる(1)

縄文体験 土器にふれる(2)

子供たちも、大人の方も、楽しく体験できました。

明日のシンポジウム、毎週水曜日の動画解説、最終日(9/16・日)のギャラリートークなど、まだまだ展示関係のイベントがございます。皆さまのご参加をお待ちしております。


建武記『新編図録春日部の歴史』からのご紹介ーその59

『建武記(けんむき)』は、後醍醐(ごだいご)天皇によって開始された建武の新政に関わる法令や各機構の結番(けちばん・順番を決めて交代で出仕すること)をまとめたものです。
『建武記』には、建武3年(1336)4月、春日部氏一族の春日部重行が、後醍醐天皇より、京都市中の治安、警備をつかさどる武者所(むしゃどころ)の第6番に結番されたことが記されています。

春日部重行は、建武記に先立つ建武3年1月、足利尊氏との戦いに勝利しました。その勲功(くんこう)により同年3月22日、上総国山辺南郡(かずさのくにやまのべみなみぐん)と現在の春日部市域あたりの下総国下河辺荘春日部郷(しもうさのくにしもこうべのしょうかすかべごう)の地頭の職を与えられたことが、後醍醐天皇綸旨に記されています。


『建武記』国立公文書館内閣文庫所蔵
「春日部氏と建武の新政」『新編図録 春日部の歴史』48ページ

建武記
『建武記』部分(国立公文書館内閣文庫所蔵)
赤枠内に「春日部瀧口左衛門尉  紀重行」とある(下は拡大画像)


紀重行部分

動画で解説! 神明貝塚(4回目)

本日(8/29)、春日部市郷土資料館の夏季展示「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展の関連イベント「動画で解説!神明貝塚」の4回目を開催しました。

このイベントは、展示室で神明貝塚の紹介映像を上映し、学芸員が解説するものです。

動画解説
市外の参加者のなかには、「春日部市にある神明貝塚の存在を初めて知った」と言われる方もおり、皆さん興味深々で動画を見ていました。

展示解説
動画上映終了後に企画展示室に移り、展示品をみながら学芸員が解説。
学芸員の丁寧で分かりやすい説明と、展示されている様々なものを見て、頭の中に神明貝塚の風景が広がったのではないでしょうか。


見学の様子
富多小学校の児童も先生と一緒に参加してくれました。

解説風景
「動画で解説!神明貝塚」は、展示会期中の毎週水曜日9/5・9/12の10:30と15:00に開催しています。お見逃しなく!!

神明貝塚キャラクター名、投票受付中

春日部市郷土資料館の夏季展示「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人の暮らし」展のオリジナルキャラクター。DVDパッケージや、限定の来館スタンプ(画像)にも登場し、様々な表情をみせてくれて、大変好評です。ですが、実は名前がありません。
画像:限定来館記念スタンプ
今回の展示では、来場の皆さまに、キャラクターの名前を投票していただいています。
女の子は、縄文時代の女の子で、神明貝塚で発見された女性の縄文人をモチーフにしています。好きな食べ物はヤマトシジミ。
土偶は、神明貝塚の縄文人のお墓にあった土偶をモチーフにしています。腰の袋にはクリの実が入っています。好きな食べ物はウサギ。
女の子は、①めいちゃん(神メイ貝塚だから)、②めいかちゃん(神メイカい塚だから)、③もんちゃん(縄モンだから)、④どきみちゃん(土器だから)
土偶は、①しんくん(シン明貝塚だから)、②しんちゃん(シン明貝塚だから)、③ぐうすけ(土グウだから)、④おやっきー(西オヤ野井だから)
のなかから、投票していただくことになっています。
皆さんも、名付け親の一人になってみませんか。
写真:名前をつけよう

幌墓『新編図録春日部の歴史』からのご紹介ーその58

銚子口の古利根川沿いにある「幌墓(ほろはか)」は、この地で亡くなった武士を供養するため、嘉永7年(1854)に建てられたものです。
この石碑が「幌墓」と呼ばれるのは、亡くなった武士が幌と呼ばれる防具を身に着けていたことからです。

「幌墓」の由来として石碑には次のようなことが彫られています。
昔この地で命を落とした武者(幌武者:ほろむしゃ)を村人が葬(ほうむ)り、塚を築き、その後、幌墓と呼ばれるようになりました。武者の姓名も年も古い話のため伝わらず、いつごろの出来事か定かではありません。この古塚の周辺で闇夜(やみよ)にリンのようなものが見えることから、村人が怖がり、里正(りせい:名主)の川鍋氏が幌墓のことを調べて、上記の話を知り、嘉永七年仲春に供養のために建てたものです。(『春日部昔むかし』)

本文に続いて、葛飾蕉門(かつしかしょうもん)という俳諧(はいかい)の一門の人々が寄せた句が12句彫られており、18世紀中ごろから19世紀にかけて市域で盛んになった俳諧文化を示す資料としても貴重なものです。

*石に刻まれている「ほろ」の字は、「糸へんに晃」です。機種依存文字のため異体字で表示しています。

春日部市教育委員会『春日部市 昔むかし』1995 80ページ
春日部市教育委員会『図録 春日部の歴史』1998 109ページ
「俳諧の交わり」『新編図録 春日部の歴史』120ページ

幌墓

幌墓碑文拓本
本文部分の拓本

土器たちのその後②・・・

8月19日(日)は土器つくり教室の2日目。
参加者の皆さんが作成した土器たちは、野焼きの日を待っていました。

◇野焼きを待つ土器たち!約1ヵ月間の乾燥で茶色から色白に、また約1割程度、小さくなりました。


◇学芸員が土器焼きの準備!気温30℃超えにもかかわらず・・・



◇まずは火力で土器を温め、最後の乾燥を!はじめチョロチョロ・・・ご飯の炊き方と同じです!!


◇お昼過ぎからはカマに土器を入れ、本格的に焼きます。約2時間かけて600~800度まで火力をあげます。少し黒っぽくなってしまいましたが、ほぼすべてが割れずに焼きあがりました。完成!!



縄文人の技術を見習い、立派な土器ができました。今年は多数の方のご応募をいただき、抽選で47名の参加となりました。
また来年も行いますので、是非ともご家族での参加をおまちしております!!

土器つくり教室を開催しました!!

8月19日(日)に土器作り教室の2日目を開催しました。
今年は、連日の猛暑が続いているため午前中のみと短縮して実施しました。


△野焼きのカマでは火が入り、既に高温。カマの周りに土器を並べ最後の乾燥を。

開講式では1ヵ月ぶりに作成した土器や土鈴・土偶と再会し、野焼きの手順を説明。その後、観光振興課と農業振興課の職員が引率し、希望者はさっそく斉藤ブドウ園さんでブルーベリーの収穫体験を行いました。参加者からは「甘くておいしい」「春日部市内でこのような体験ができるとは・・・」という声を聞くことができました。

△黒や濃紺のブルーベリーがたくさん実っていました。どれを取ろうか迷ってしまいます。

収穫体験の後は、勾玉作りを行いました。
ろう石を紙やすりで削り形を作るので、皆さん手を真っ白にしながら夢中で作業していました。

△家族みんなで集中!!石が柔らかいのでゆっくりと削りました。

その後、閉講式を行い、解散となりました。
終了後は、職員が午後3時過ぎまで土器を焼きました。”火”焼けにもめげず、破損も少なくほぼ100%成功しました!
今回は、日程を変更しての実施となってしまいましたが、無事に終了することができました。暑い中、またスケジュールの変更もありましたが、参加いただき、ありがとうございました。
来年度も広報かすかべや市ホームページ等で参加者の募集を行いますので、ご応募お待ちしています。

神明貝塚の特製ジオラマ、お披露目です。

春日部市郷土資料館で開催中の「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展に、神明貝塚の特製ジオラマが登場しました。
写真:神明貝塚のジオラマ
このジオラマは、縄文時代後期、いまから約3800年前の神明貝塚のムラを150分の1スケールで再現したものです。貝塚の東側にあった東の谷の水辺や馬蹄形に広がる貝の分布、イエや人々の生活様相や環境が細かく再現されています。写真はイエの近くに埋葬された2人の縄文人(平成28年に発見された人骨)の墓の部分です。
まだご覧になっていない方は、ぜひおいでください。

展示室の近況

春日部市郷土資料館の展示室、一見かわりばえしていないようですが、実は少しずつ変化しています。今日は、その近況をいくつか紹介します。

その1
内牧塚内古墳群の埴輪(人物埴輪と朝顔形埴輪)が出張しています。
県立さきたま史跡の博物館に貸出したもので、
同館の「埼玉の古墳3」展(平成30年9月15日(土)~11月14日(水))で展示される予定です。

ご来館の皆さまにはご迷惑をおかけしますが、県立さきたま史跡の博物館でご覧ください。

写真:はにわの貸出

その2
福岡県春日市で出土した大きな甕棺を展示しています。

写真:地名ひみつ
なぜ、春日市の甕棺が展示されているのか、それは春日部の地名に関係があるのです。
このたび「かすかべの地名のヒミツ」と題した解説パネルを設置しました。からくりびょうぶをつかった「からくりパネル」も用意しましたのであわせてご覧ください。

動画で解説!神明貝塚(3日目)

本日(8/22)、春日部市郷土資料館の夏季展示「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展の関連イベント「動画で解説!神明貝塚」の3回目を開催しました。

このイベントは、展示室で神明貝塚の紹介映像を上映し、学芸員が解説するものです。
写真:動画解説
本日も多くの皆さんにお集まりいただき、動画を上映しました。
参加された皆さんは、上映後、担当の学芸員に対して、さまざまな疑問・質問をなげかけていました。「昭和40年代に出土した人骨2体と、展示中の人骨3体の関連性はあったのか?」など鋭い質問もありました。調査研究が十分でない部分もあり、今後の課題も山積みのようで、答えられない部分もあるようでしたが、神明貝塚に対する理解を深めていただけたようです。

その後、企画展示室に移り、展示解説。
学芸員が、ご参加の方とアットホームな感じで会話をしながら、資料について解説しました。
写真:資料解説の様子
郷土春日部の神明貝塚への愛着がはぐくまれたひと時になりましたでしょうか。

「動画で解説!神明貝塚」は、展示会期中の毎週水曜日8/29・9/5・9/12の10:30と15:00に開催しています。お見逃しなく。

郷土資料館体験ワークショップを開催しました

平成30年8月18日(土)、郷土資料館展示室で「体験ワークショップ からくり屏風を作ろう!」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「からくり屏風」を作りました。屏風にみたてた板を動かしていくと、
4つの絵柄が出てくる不思議な屏風に、参加した子供たちは大変喜んでいました。

ワークショップ

ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。

ワークショップ風景

 次回ワークショップは、平成30年11月18日(日)に「ぴょんぴょんカエル」や「紙てっぽう」を作ります。ご参加をお待ちしています!

「かすかべ弁」わかりますか!?

「げいろ」「ありんど」「せいかち」「かまげっちょ」これは何のことでしょうか??春日部市郷土資料館の常設展示の一コーナー「春日部壁展示」に「かすかべ弁~かすかべの方言~」のパネルを展示しました。実はこれらは春日部に伝わる郷土の言葉。答えは展示室で確かめてください。
写真:かすかべ弁の展示
市域には、埼玉県東部地域と共通する郷土の言葉(方言)が伝来しています。しかし、電話やラジオ・テレビが普及し、各地域の人々の交流が盛んになる高度経済成長期以降、急速に郷土の言葉は失われていきました。
今回、紹介しているのは、過去の聞き取り調査などで記録されてきた言葉です。市域でも町場と農村、世代・時代の違いによって、若干言葉が異なるようです。

「かすかべ弁」とか「方言」というと、「田舎だと馬鹿にしているのか」と怒られそうですが、春日部の春日部らしさ、地域の特徴だと思います。

みなさんも、この夏休みに年配の方とお話しするときに、少し注意して郷土の言葉を聞いてみると、新たな発見があるかもしれませんよ。

明治43年の水害『新編図録春日部の歴史』からのご紹介ーその57

今年は猛暑、豪雨と異常気象が続いていますが、明治43年(1910)8月は長雨に見舞われました。
明治43年8月5日ごろから関東地方では梅雨前線による降雨、さらに11日、14日と二つの台風が、関東地方から東北地方に上陸・接近しました。これらの雨により各地で大水害が発生し、埼玉県内では特に北部から東部、南部にわたる低地が浸水し、死者、行方不明者あわせて347人にのぼりました。春日部市域でも、8月12日に新町橋が流されるなど大きな被害を受けました。

ご紹介する写真の時田家文書には、当時の炊き出し記録と浸水程度調査表が含まれています。銚子口地区の多くの家が床上まで浸水したことや浸水後の8月17日から被災者に白米・味噌が配布されたことが記録されており、当時の被害状況や生活の混乱をうかがい知ることができます。

「明治四十三年の水害と水塚」『新編図録 春日部の歴史』176ページ

明治四十三年埼玉県洪水氾濫記念図
明治四十三年埼玉県洪水氾濫記念図(『埼玉県水害誌』 埼玉県 1912)

豊野村の炊き出し記録
豊野村の炊き出し記録(時田家文書)

浸水程度調査表
浸水程度調査表(時田家文書)

動画で解説!神明貝塚(2日目)

本日(8/15)、春日部市郷土資料館の夏季展示「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展の関連イベント「動画で解説!神明貝塚」の2回目を開催しました。

このイベントは、展示室で神明貝塚の紹介映像を上映し、学芸員が解説するものです。
手前みそな言い方ですが、動画は約15分で神明貝塚の特徴をわかりやすく、まとめています。しかし、疑問に思ったこと、動画に出演された考古学の先生方に踏み込んで聞きたいことを、話しかけても動画は教えてくれません。
写真:動画上映の様子
このイベントでは、動画をご覧いただいた後、発掘担当の学芸員に質問ができることが最大の特長です。
本日は、神明貝塚の「神明」の由来、縄文土器の製作者などについて質問がなげかけられました。「神明」は西親野井の小字(こあざ)であり、古くから天照大神を祀る神明社が所在したことにちなむと考えられます。ちなみに、神明社は明治40年(1907)に親野井神社に合祀されています(『庄和町史編さん資料12 民俗Ⅱ』)。

さて、動画の後は、展示室で原物の資料をみながら、展示解説。
ご参加いただいたみなさんは熱心に学芸員の話に耳を傾け、時には質問し、神明貝塚の調査成果に対する理解を深めていただいたようです。
写真:展示資料の解説
さながら、ギャラリートークです。いや、むしろ動画がみれて、ギャラリートークより、お得(?)かもしれません。
大阪からお越しのお客様からは「貴重な資料がたくさんならび、説明が詳しくて、よくわかりました。来てよかったです」とご感想をいただきました。
「動画で解説!神明貝塚」は、展示会期中の毎週水曜日8/22・8/29・9/5・9/12の10:30と15:00に開催しています。お見逃しなく。
まだまだ気温が高い日が続く予報が出ていますが、郷土資料館はクールオアシスとなっています。学んで涼める場ですのでお気軽に来館ください!!

館跡とくらし『新編図録春日部の歴史』からのご紹介ーその56

粕壁地内の浜川戸に所在する浜川戸(はまかわど)遺跡では、鎌倉時代の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)、内堀(うちぼり)、外堀(そとぼり)で構成される館跡(たてあと・かんせき)が発見されています。

外堀は、幅が約2.5mの溝が2重に作られています。内堀の規模は、140m×100mの楕円形に展開しています。掘立柱建物は、2棟が発見されており、柱の穴の中には礎石(そせき)が置かれているものもあります。
また、館跡の北西側には、県指定天然記念物の浜川戸河畔砂丘(はまかわどかはんさきゅう)があり、館の防御機能の一つとなっていたと考えられます。

この館跡は、鎌倉時代に、この地域に暮らした春日部氏の館であった可能性が高く、中国で作られた青磁(せいじ)や白磁(はくじ)、お茶をたしなむ天目(てんもく)茶碗などの品々と共に当時の武士の暮らしをうかがい知ることが出来ます。

「館跡とくらし」『新編図録 春日部の歴史』62ページ

外堀
上空からみた外堀(写真中央左上から右下へ斜めに通っている溝・下図中の「外堀1」)

内堀
内堀とその断面

浜川戸遺跡館跡
浜川戸遺跡で発見された館跡

「縄文」を体験しました!

平成30年8月10日(金)「さわってみよう!縄文体験」を開催しました。春日部市郷土資料館で開催中の「ここまで分かった!神明貝塚と縄文人のくらし」展の関連イベントです。
このイベントでは、まず企画展示室で神明貝塚で発見された女性の人骨や、いろいろな模様のついた土器について、担当の学芸員が解説しました。
当日は、小学生の子どもたちが多く参加しており、人骨をみて「ちょっとこわい」「大昔の人がピアスやブレスレットをつけていたなんでびっくりした」などと感想をもらしていました。
写真:神明貝塚で発見された人骨の解説を聞く子どもたち

解説の後、人骨と一緒に埋葬されていた土偶をもとにして、オリジナルの土偶粘土でつくりました。縄や竹べらなどで土器と同じような模様をつけて、子どもたちも、大人のかたも熱心に土偶づくりをしました。
写真:ねんどでオリジナル土偶づくり

午後の部では、土器のかけらをつかって、鉛筆拓本をとりました。縄文人がつけた不思議な模様をじっくり観察もらいました。
写真:土器の拓本とり

最後に、神明貝塚出土の縄文土器をかかえて記念撮影。
写真:土器をかかえて記念撮影
「楽しかった」「来てよかった」と満足そうに話してくれた参加者のみなさん。
3800年前の神明貝塚を身近に感じていただけましたでしょうか。
次回の「さわってみよう!縄文体験」は、9月1日(土)10:30~、15:00~です。
申込は要りませんので、ぜひお越しください。大人の方にもお薦めです。

土器たちのその後①・・・

土器作り教室1日目(7月22日)を開催してから、3週間ほどが経ちました。
参加者の皆さんが作成した土器たちは、教育センター内の日陰で風通しのよい場所で、野焼きの日を待っています。
今日からは直射日光に当てて土器の乾燥を進めました。

◇本格的な土器です!



◇表面が茶色から白くなってきました!少しちいさくなったかも・・




◇かわいい土偶や土鈴、手形もあります!


2日目の土器作り教室は、8月19日(日)に開催予定です。ブルーベリーの収穫体験もご用意しております。
※雨天の場合8月26日へ順延となります。

完成した土器に会える日が楽しみですね。