校歌紹介
市貝小学校校歌

 作曲された古関裕而先生は、昭和時代に活躍された日本を代表する作曲家で、「オリンピック・マーチ」や夏の甲子園の大会歌「栄冠は君に輝く」など約5000曲もの歌を作曲した日本を代表する作曲家です。本校の校歌も古関裕而先生の作曲された曲の一つです。栃木県で古関裕而先生の作曲の校歌は日光中、小山女子高等学校と本校の3校だけだそうです。現在も歌われているのは、日光中と本校だけ、小学校では県内でただ一つの小学校です。古関先生には作曲だけでなく、公募した詩の中から、選定もしていただいたようです。
 どうして、そんなに有名な方に、本校の校歌の作曲をしていただけたのでしょう。
 昭和58年4月、市塙小と上根小の2つの学校が統合し開校しましたが、校歌等は定まっていませんでした。また、新しい校地だったため、環境整備等もたいへんだったようです。PTA活動、後援会活動もたいへんご苦労があったとお聞きしました。そのような中、「第1回目の卒業生が胸を張って歌える校歌もないもないまま送り出すには忍びない」と、PTA・後援会の方が校歌・校章の選定委員会を立ち上げ、すばらしい校歌を創ろうと、たくさんのご労苦の中で誕生したようです。
 古関裕而先生に依頼できたきっかけは、益子町に住まれていた『福田京穂先生』のご紹介があったそうです。その福田先生は当時のPTA会長とつながりがあった方で、福田先生は、古関先生と同じぐらいの年齢で、茂木町の小学校で先生をされていたとのことでした。実際に依頼の際等、古関先生のご自宅に校歌選定委員の方々がお出かけになったことが、当時の校務日誌に記されています。
 当時の保護者、地域の方々、そして先生方のたくさんのご努力、ご苦労、そして本校に対する思いのおかげで、日本を代表する作曲家である古関先生に作っていただけたことを改めて光栄に感じています。この曲が、本校の子どもたちにいつまでも「エール」を送ってくれることを願っています。

 作詞は、当時芳賀教育事務所長をされていた、元市貝町教育長、市貝町町長の國井義慧先生によるものです。本校の第4代校長先生でもあります。
 
2020年7月