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☆ 8月 7日(水)素晴らしい作品をWEBでも!!~アートの卵2024~

8月1日から25日まで、流山市大畔(おおぐろ)にある「森の美術館」で行われている、流山市立中学校美術部合同展「アートの卵2024」(休館日:8月11日~15日及び月・火曜日)。

南流中美術部の部長でもある唐馨怡さん(3年)の作品「Peter & St.Paul Church」が見事に「アートの卵賞」に選ばれたことは、先日お知らせしたところですが(→詳細はこちら)、森の美術館ホームページでは、全展示作品の動画がWEBで公開されています。市内美術部の子ども達の素晴らしい作品の数々を是非ご覧ください!!(→詳細はこちら)

 

       

☆ 8月 6日(火)忘れてはならない日。

今日は「広島原爆の日」。昭和20年(1945年)8月6日に原子爆弾が投下されてから79年。唯一の被爆国に住む我々にとって、決して忘れてはならない日。平和の意味を考えたい日でもあります。

本日午前8時から始まった平和記念式典で、広島市の小学生が「平和への誓い」を読み上げました。この言葉をかみしめたいと思います。以下全文です。

 

目を閉じて想像してください。
緑豊かで美しいまち。人でにぎわう商店街。まちにあふれるたくさんの笑顔。
79年前の広島には、今と変わらない色鮮やかな日常がありました。
昭和20年(1945年) 8 月 6 日 午前 8 時15分。
「ドーン!」という鼓膜が破れるほどの大きな音。
立ち昇る黒味がかった朱色の雲。
人も草木も焼かれ、助けを求める声と絶望の涙で、まちは埋め尽くされました。
ある被爆者は言います。あの時の広島は「地獄」だったと。
原子爆弾は、色鮮やかな日常を奪い、広島を灰色の世界へと変えてしまったのです。
被爆者である私の曾祖母は、当時の様子を語ろうとはしませんでした。
言葉にすることさえつらく悲しい記憶は、79年経った今でも多くの被爆者を苦しめ続けています。
今もなお、世界では戦争が続いています。
79年前と同じように、生きたくても生きることができなかった人たち、
明日を共に過ごすはずだった人を失った人たちが、この世界のどこかにいるのです。
本当にこのままでよいのでしょうか。
願うだけでは、平和はおとずれません。
色鮮やかな日常を守り、平和をつくっていくのは私たちです。
一人一人が相手の話をよく聞くこと。
「違い」を「良さ」と捉え、自分の考えを見直すこと。
仲間と協力し、一つのことを成し遂げること。
私たちにもできる平和への一歩です。
さあ、ヒロシマを共に学び、感じましょう。
平和記念資料館を見学し、被爆者の言葉に触れてください。
そして、家族や友達と平和の尊さや命の重みについて語り合いましょう。
世界を変える平和への一歩を今、踏み出します。
令和 6 年(2024年) 8 月 6 日 こども代表

▼昨年度の3年生は、G7広島サミット直後の令和5年5月21日に修学旅行で広島を訪問。語り部の方からのお話に真剣に耳を傾ける姿。広島平和記念資料館(→HPはこちら)で展示に見入る姿。3年生の子ども達は事前の「平和学習」で多くのことを学び、深く、深く考え続けてきた成果が表情に表れていました。

 

☆ 8月 6日(火)宝物たちの見守りをよろしくお願いします!!

夏休み前半の部活動も今日で終了。振り返るとあっという間の日々だったように感じます。今朝は、いつも自転車の安全指導を行ってくださっている鰭ヶ崎の三村さんが、除草作業を行ってくださっていました。ありがとうございます!!

1・2年生が中心となった部活動もすっかり定着し、3年生からのバトンをしっかりと確実に受け継いでいます。

今日は、午後1時半から青少年健全育成会議の樫村あい子会長を始め、委員の方5名が本校にお越しになり、校内をご覧いただきました。日頃から本当にありがとうございます!!

明日から学校も機械警備。しばらくは子ども達が学校に来ない日々、家庭や地域で一日の大半を過ごす日々が続きます。

保護者・地域の皆様方、子ども達一人一人は決して学校のものではありません。この地域を作る、日本の未来をつくる大切な宝物です。どうかこの宝物たちへの見守り、声かけを、よろしくお願いいたします。

☆ 8月 5日(月)みんなが行きたくなる学校って?

先日、千葉県立流山北高等学校にて行われた「中高生との交流会」。以下は当日引率してくださった鮒藻先生からの報告です。

8月1日(木)に「令和6年度東葛飾地区中学生・高校生との交流会」が開催されました。本校からは生徒会執行部の野端さんと伊藤さん(ともに2年生)が参加。当日は、流山市の中学生・高校生が集まり、4つのグループに分かれ、次の2つのテーマについての話し合いが行われました。

  ◆テーマ①「みんなが、行きたくなる学校って、どんな学校?」

  ◆テーマ②「みんなが、幸福で充実した人生を送るために何が必要?」

それぞれのテーマについて、事前に考えてきたワークシートをもとに班内で発表。どちらも難しい質問でしたが、活発な意見交換が行われました。

その後、各グループでパワーポイントを作り、全体の場で意見を共有。テーマ②については、伊藤さんがグループ代表として発表しました。多くの人の前で堂々と発表する姿は本当に素晴らしかったです。

発表後は、それぞれ感想を記入しました。一部をご紹介します。

  〇野端さん「他のグループの発表の中にあった例にとても共感した。他人に思いやりを持つというのは、自分だけが考えるのではなく、相手のやってほしいことを引き出すということも大切だと思った。」

  〇伊藤さん「違う学校の人と意見を交わすということは、今までなかったため緊張したが、他人の意見を聞き、考えを深める機会となり良い経験となった。」

 

☆ 8月 4日(日)「能登半島地震」を忘れないで!!

マグニチュード7.6、最大震度7を記録した「能登半島地震」から7カ月が経過しました。8月4日と5日の2日間にわたって訪れた姉妹都市の能登町とお隣の珠洲市。実際にこの目で見た被災地は道路のひび割れなど、徐々にですが復旧が進んでいるように見えます。しかし、建物など町全体の復興はまだまだこれからという状況。

いま日本は、連日オリンピックで大変な賑わいを見せています。しかし今年の1月1日午後4時10分に能登地方で起こった、あの大地震を絶対に忘れてはいけない。苦しいなか、今なお不自由な生活を強いられている方がたくさんいる。そうした方々に寄り添い続ける必要があると思いました。

▼倒壊した家屋。今年のお正月、この中で楽しく笑いあい、穏やかに生活していた家族がたくさんいたのです。

▼奥に見えるのは、津波で流されてきた家屋が逆さまになっているところ。また、能登伝統のキリコ祭の提灯が倒れています。

▼道路から浮かび上がったマンホール。道路の真ん中にあるため、車の通行は不可能です。こうしたところがまだまだたくさん。周辺の雑草を見ると、かなりの時間が経過したことがわかります。

▼神社で倒れたたくさんの石灯籠。

▼珠洲市で最大の避難所となっている学校。外壁も多数剥がれ落ちています。

▼食事の炊き出し場所となっている自転車置き場。手作りで、屋根や電気、ガスを設置したそうです。

▼自衛隊が設置してくださったお風呂。いまだに多くの方々が利用されているとのことです。

▼能登のシンボルとして有名だった「見附島」(→詳細はこちら:珠洲市ホームページより)。石川県の特別天然記念物でもあるこの島は、形が軍艦に似ているところから別名「軍艦島」とも呼ばれる高さ28mの奇岩でした。

しかし、能登半島地震で島の先端が崩落(→詳細はこちら:読売新聞オンライン)。手前にあった砂浜も、干潮時には島まで徒歩でも渡れた踏み石部分も消失してしまいました。

▼名物だった「鐘」の下部分も崩れ、電話ボックスも斜めになっています。