2019年2月の記事一覧
古文書勉強会の成果(その10)
新年1月からは、新たに3名の方が加わり、大所帯となりました。今回は、1月12日(土)に解読した成果を披露します。
【史料番号313】
(表紙)
「 松平五郎左衛門様御知行所御内
神間邑百姓持高帳
元文五申三月改之 」
(反古)
「上田四町五反壱畝歩
中田五町六反七畝拾三歩
下田七町弐反拾五歩
上畑五町八反三歩
中畑 」
十二 上田四町五反壱歩 五斗五升取
十 中田五町六反七畝拾歩 五斗取
八 下田七町弐反拾五歩 四斗八升取
十 上畑六町九反六畝四歩 百三拾七文取
八 中畑五町八反三歩 百弐拾弐文取
六 下畑拾弐町九畝八歩 百六文取
下々畑三畝廿四歩 七拾文取
十 屋敷弐町六反弐畝拾壱歩 百拾文取
田合拾七町三反八畝廿八歩
畑合弐拾四町八反九畝九歩
田畑屋敷合四拾四町九反拾八歩
此高三百八拾三石三斗壱升六合
此訳ケ
一 高拾四石五斗八升八合六勺 半兵衛
椿村弥三郎分
一 同三拾壱石八升四合九勺 門右衛門
一 同拾石八斗三升六合 同人
野田金乘院分
一 同弐拾七石九斗三升三合 忠兵衛
椿村弥三郎分
一 同三拾石四斗五升壱合 藤兵衛
当村仁右衛門分
一 同弐拾弐石八斗六合 又右衛門
屏風庄左衛門分
一 同拾四石五斗三升三合 角右衛門
椿村庄次郎分
一 同拾六石壱斗五升九合 惣右衛門
五左衛門八右衛門安右衛門三人分寄高也
一 同三石九斗四升六合七勺 源次郎
一 同六石六升 彦兵衛
一 同六石壱斗七升七合 吉左衛門
一 同三石壱斗六升七合 八右衛門
一 同五石九斗弐升 彦八
一 同弐石弐斗三升三合 市右衛門
一 同五石八斗五升弐合 助右衛門
一 同拾石三斗四升六合 甚左衛門
一 同四石壱斗壱升四合 浅右衛門
立野村八左衛門分
一 同九石八斗四升七合 同人
内四石八升三合甚左衛門分分ケ高入
二十二石三斗一升 金野井村孫右衛門分
一 同弐拾弐石三斗壱升 又七
一 同拾石四斗弐升弐合弐勺 孫八
一 同弐石五斗弐升
一 同五石九斗六升三合弐勺 吉右衛門
一 同拾壱石弐斗四升八合八勺 門左衛門
一 同拾八石壱斗壱升七合七勺 伝五右衛門
一 高五石四升六合 茂兵衛
一 同七石弐斗弐升弐合六勺 藤七
一 同壱石九斗三升五合 安左衛門
一 同四石弐斗四升 文右衛門
金野井村孫右衛門分
一 同三拾五石八斗弐升六合六勺 定右衛門
一 同拾弐石三斗三升六合六勺 園右衛門
金野井孫右衛門分
一 同五石八斗九升六合
一 同拾四石弐斗四合 兵左衛門
内弐石九斗壱升源兵衛分高入
右惣高合
一高百六石六斗八升五合五勺 椿村
一同六拾七石七斗四升壱合三勺 小平村
(ひとことメモ)
元文五年(1740)の神間村のうち松平五郎左衛門知行所内の百姓の所持高をまとめた記録。松平五郎左衛門は諱(いみな)を正員(まさかず)といい、下総国葛飾郡・伊豆国田方郡・加茂郡に1100石を知行する旗本です(『寛政重修諸家譜』)。
【史料番号32】
御請書之事
一永百六貫七百七拾六文四分 豆州
一永百八貫百六拾弐文三分 武総五ケ村
右は年来御過納上納ニ相成候分相違無御座候、然ル処
当年御暮方御仕法も相立兼候ニ付、前書上納之金子
当寅年より無利足永年賦ニ被 仰付奉畏候、御下ケ金
之義は来ル辰年より年々御収納之内ニ而御下ケ金ニ相成候様
被 仰付一同奉畏候、左候ハヽ此上御過納之儀被 仰付
間敷と是又奉畏候、依之御請書奉差上候、以上
御知行所
豆州間宮村
嘉永七寅年二月 吉田伊右衛門代
藤兵衛
武総五ケ村
代
千塚村
名主 孫右衛門
永沼村
名主 孝右衛門
御地頭所様御内
渡辺宗輔様
(ひとことメモ)嘉永七年(1854)二月に旗本能勢氏知行所の伊豆・武蔵・下総の村々が能勢氏の用人渡辺宗輔あてに提出した請書。村々が上納した「過納」分を無利息の年賦金として借用するものとし、来辰年より「御収納」(村が納付する年貢)の内から差し引いて返済することとなった。これを命じた下知書は以前読んだ史料番号1にあたります。近世後期には旗本の家政は悪化し、知行所の村々に対し上納金を命じられることが広く行われました。
【史料番号350】
(表紙)
「 嘉永六年
御鷹御捉飼場締御請証文
丑八月
神間村 」
差上申御請証文之事
一御鷹場村々従 御公儀様被 仰出候通
御條目之趣堅相守可申候、御鷹鳥は不及
申諸鳥ニ至迄殺生為致申間鋪候事
一当村ニは四季打鉄砲無御座候事
一御鷹匠様方当村方江御泊人馬継と御先触
参候ハヽ早速御届ケ可申候、勿論犬猫繋置
御鷹之障ニ不相成様可仕候事
宿被仰付節は火之元入念大切可仕候事
附御鷹匠様方御旅宿被 仰付候節
火之元入念大切ニ可仕候事
一疑鋪相見江候御鷹匠様方御出御鷹遣
候ハヽ御焼印引合可申候事
附合札御焼印違候歟、所持不致候ハヽ
御鷹為遣不申早々御届ケ可申候事
一鶴雁鴨之類追立申間敷候、勿論番屋抔
仕立道具等為持追立申間鋪候、若相背追
立御場廻之節御見附被成候ハヽ何様ニも可
被 仰立候、殊病鳥落鳥御座候ハヽ隠置
不申御届ニ可申候事
一八月より翌春三月迄之内人寄ケ間敷儀一切仕
間鋪候、勿論無拠神事仏事一日之祭礼御座
候共已前御届御下知を請可申候事
一沼川通用悪水堀々堅殺生仕間敷候、勿論八
月朔日 御制禁之建札可仕候事
一川鳥売買仕候もの当村ニは一切無御座候、仮
令脇村より参売買仕候共捕置早速御届可申
候事
一鉄炮其外何ニ而も殺生仕候もの見付候ハヽ捕
置早々御届可申候事
一八月より三月迄之内用悪水堀先規より掛来
候場所仮橋無御差支懸置可申候、勿論
御鷹御用不相済内は囲堀亦は外之堀々ニ至
迄無拠普請御座候ハヽ早速為御知可申候事
一田船之儀当十月より来春迄御用不相済内
は用悪水堀々通壱艘も差置申間敷候、縦令
川通渡場ニ候共渡船計差置外小船差
置申間敷候事
一御鷹匠様方他村江御止宿被遊御捉飼ニ御
出村内野場御通行掛り之節御用等居合候農
人亦は百姓家江御立寄御用之趣被 仰付候共
無遅々相勤御用御間ニ合候様可仕候、勿論常々
村中惣百姓並水吞小供ニ至迄申付置御鷹
御用無御差支可仕候事
一飼鳥之儀水鳥は不及申小鳥ニ至迄飼鳥為
致申間敷候事
一堀筋通段木伐透下草刈払御捉飼
御差支無之様可仕候事
一従 御公儀様より被遊御渡候御焼印餌
鳥合判鏡ニ仕餌鳥人参候ハヽ合判可仕候事
右箇條之趣被 仰渡得其意村中惣百姓
寺社領門前百姓并地借店借末々召遣之者
迄堅為相守可申候、若背仕候者御座候ハゝ何様
ニも可被 仰立候、為後日御請證文差
上申候処仍而如件
松平健之助
中根鎗次郎
能勢十次郎 知行所
久野伊三郎
武嶋内蔵助
下総国葛飾郡
神間村
嘉永六年 右五組惣代
丑八月 名主
久左衛門㊞
組頭
源太郎㊞
百姓代
兵左衛門㊞
戸田五介様御組
野廻役
関口栄助殿
(ひとことメモ)
嘉永六年(1853)八月の幕府の鷹場にあたる村々が提出した証文。神間村をはじめ春日部市域は幕府で飼育する鷹の訓練場(捉飼場・とらえかいば)であった。捉飼場の村々には鷹の訓練に支障が生じないようにさまざまな生活規制が強いられた。
次回は3月23日(土)14時~を予定しています。
近いうちに、2月の成果も更新しますのでお楽しみに。