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2023年10月の記事一覧

秋季の民俗芸能の公開【赤沼の獅子舞・銚子口の獅子舞】

  暑さ寒さも彼岸までといわれるように、ようやく長く暑い夏が終わり、今年も秋のさわやかな季節が訪れました。また、アフターコロナの中、市内の伝統芸能も活気と熱が再興し、伝統芸能を継承する保存会の皆さまも連日連夜、例祭に向けた練習に汗を流しています。

 市民の皆さまも赤沼と銚子口地区に伝わる春日部市無形民俗文化財に指定されている『伝統の技と舞』応援を是非ともよろしくお願いいたします。

 

 公開日)10月15日(日曜日)

 時 間)赤沼の獅子舞(午後1時より~)  場 所)赤沼神社

     銚子口の獅子舞(午後2時より~) 場 所)銚子口香取神社

赤沼の獅子舞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲勇壮な三匹獅子による「出端の舞」(赤沼の獅子舞)

▼天狗を先頭に境内を清める三匹獅子による「天狗の舞」(銚子口の獅子舞)

銚子口の獅子舞

春日部の子どもたちと #関東大震災 (その4)

10月8日までのミニ展示を少し詳しく紹介するシリーズ。粕壁小学校に遺された児童作文集から、100年前の子どもたちと関東大震災について紹介しています。その4は東京の避難民について。 #関東大震災100年

地震が発生した1日の夜、まだ小さな揺れもあり、倒壊しかかっている建物で過ごすことができず、多くの方は野宿をすることになりました。夜中には、南の空が真っ赤になっていたといいます。東京の火災が春日部からも見えたのです。

赤くなった空をみて、東京の火事が春日部にまで来るのではないかと、不安に思うひとも多かったようです。町では、消防組や青年団(下の写真)が夜番にあたったといいます。

写真:粕壁町の青年団

注目されるのは、高等科の女子による次の作文。

一日の夜十二時ごろになると東京からしなん民がにげてきた

「しなん民」とは、避難民のこと。すでに1日の夜中には東京から焼け出されて逃げてくる人が春日部にまで到達していました。

東京から粕かべにひなんしてきた人がたくさんきました。これらの人にみちをおしへてやつたりしました。その中にわ、きものがこげてぼろぼろになつているものもあれば、目のたまのない人たちがたくさんにげてきます(3年男子)

街道の町である粕壁には、多くの東京の避難民がやってきました。夜が明けると自動車で避難してくる人も大勢来たと記す子もいます。避難してくる人は、着物がボロボロだったり、体のほうぼうにやけどがあったり、足がむくんでしまっている人もいました。9月3日・4日になると、表通り(現春日部大通り)は「おまつりのやうに混雑」するほど、東京の避難民が通り、町内会や青年団で炊き出しや麦湯・薬を配ったりしたそうです。

子どもたちは、東京の避難民に接するなかで、東京のすさまじい状況を耳にしました。料理屋の倅であった高等科の男子は、店に出入りしている仕事師から次のような話を聞いたようです。

「私は被服廠に逃げましたが、火の上に火が重り合つておしよせてきますので、唯では熱つくてゐられないので、石油の空鑵を頭にかぶり足の方には着物をかけてゐましたが、風がひどくて吹きとばされてしまいました。それからゐたまらなくなったので、かうりを泥水でしめし、その泥水で口をゆすぎゆすぎしてゐましたが、其の水の中に女のかみがあつて手を入れるとさらさらとさはってとても今のではのめないと、それから火が遠くなつたので、起上つて見ると、まわりは死体で一ぱい、馬の下で生残った者と我達とで二十何人ゐました。ぐずぐずしてゐると青年団がバケツに水を持って来て、「水をほしい人はこい」といったので、すぐ行くと女達や子供が手を入れてのんでゐました。私は後でのみに行くと泥水でほんのすこし有るばかりでした。それをやっとのみ、それ安田さんの氷室へ行き、丸太で氷をかき、それをしゃぶってゐましたが、あつくてとけてしまひました。そこへビールを六七本さげてくる人がありました。その人にビールを二本もらひ、のんでやつと命だけは助かりましたが、せなかや、うでにこのやうにやけどをしてしまひました。」と背中を見せながら目に涙をうかべていひました。

この仕事師(職人)は、多くの死者をだした東京の本所の被服廠から春日部に帰ってきました。水が飲めるか飲めないかギリギリのところで、まさに九死に一生を得たのです。やけどを見せながら、語る姿をみて、この話を聞いた男子は、「私達はま不幸とはいひ、此の様な艱難辛苦をして九死に一生を得て、帰って来た人と比較すれば、どれ程災難をまぬかれたかしれません」と記しています。

3年生の男子は、「東京はどこもどこもやけてしまったとのことでした。私たちは東京の人から見ればうちの中へねられたのは幸福だとおもっております」と記しています。この子は自宅で眠れたようですが、粕壁の被害も少なからずあったにも関わらず、東京の被災状況に接し、東京の人たちがいかに気の毒であり、自分たちは恵まれているとの考えに至ったようです。

自らの町だけでなく、遠隔地の被害を自分事としてとらえた当時の子どもたちのまなざしは、メディアを媒介に世界で起きている悲惨な出来事してどこか他人事にとらえがちな、私たちも見習うべきことなのかもしれません。

 

展示もいよいよ終盤です。最終日の10月8日(日)には、児童の作文を読み解く歴史文化講演会も準備しています。ぜひ、ご参加ください。

日時:令和5年10月8日(日)14時~16時

会場:春日部市教育センター

定員:80名(先着順・申込制)

費用:無料

申込:郷土資料館まで直接、または電話、または電子申請

 

【なぞとき郷土資料館 Second season】秋、それはなぞときの季節

食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、

そして、、、なぞときの秋

 

ということで、今年もやります!

 

令和5年10月3日(火)から開催の小学校地域学習展の期間中、

「なぞとき郷土資料館 Second season」を開催します!

なぞとき2ポスター

 

開催期間中は郷土資料館受付で、なぞときプリントを配布します。

プリントの中には、問題を解いてキーワードを書くものと、エリア内に設置してあるキーワードを探すものがあります!幅広い世代の方に参加していただくために、ヒントも用意していますのでご安心ください。

館内風景

所要時間はおおよそ30分を目安にしています。昨年は担当者が知る限り、小学5年生の女の子がほぼヒントを使用せず、約15分でクリアしたのが最速だったかと思います!

ぜひ今年も大人から子供まで、郷土資料館の見学がてら、頭を悩ませに来てください♪

 

なぞときアイテム&宝箱

“ごく一部で熱狂的なファンを獲得した(?)なぞとき郷土資料館の第2弾”

【なぞとき郷土資料館 Second season ~資料館からの挑戦状~】(参加費無料)

期間:令和5年10月3日(火)~令和6年2月25日(日)

場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)

内容:なぞときプリントの配布(受付で「なぞときやります」と声をかけてください)

   クリアした方には記念品をプレゼント

   自由参加

#蔵出し 懐かしい写真も展示(くらしのうつりかわり展)

10月3日(火)より、小学校地域学習展「くらしのうつりかわり」展を開催します。

展示では、約60年前の春日部の写真や道具を展示します。小学校第3学年の社会科単元に対応したものであり、また、大人の方には懐かしく感じていただける内容となっています。

今回は、テレビモニターを活用して、昭和45年(1970)前後の春日部市域の写真をスライドショーで紹介します。今回、はじめて公開する写真もたくさん用意しました。たとえばこんな写真。

写真:昭和45年春日部駅前

昭和45年の春日部駅前(現東口)です。改札を出た正面にはお蕎麦屋さんがあったそうです。当時は、西口の開設がまだされておらず、文字通り春日部の玄関口であった頃の写真といえるでしょう。

昭和45年は、現在の春日部市庁舎が完成間近の年でした。

写真:昭和45年建設中の市庁舎

現在の市庁舎が完成したのは、昭和46年(1971)のこと。そののち、春日部駅に西口が開設されます。写真は、西口開設前の写真。

写真:昭和46年7月春日部駅西口側

西口改札の開設後、何もなかった土地が、だんだん、いや急激に開発されていくことになるのです。

写真:昭和47年駅前通り

現在の市庁舎の完成の昭和45年ごろ、市庁舎の建設からはじまって、春日部駅と駅周辺が大きくかわり、春日部の市街地が急激に変化しました。くしくも、春日部も、先日、新しい市庁舎の工事が竣工し、駅前は高架工事のさなかです。今、まさに春日部は新たなまちづくりの転機を迎えているのかもしれません。

ともかく、懐かしくもあり、知らない人は驚くかもしれない、蔵出しの写真を用意していますので、ぜひご覧ください。スライドの写真は、少しずつ増やしていく予定です。

展示名:第40回小学校地域学習展「くらしのうつりかわり~なつかしのくらしの道具展~」

会 期:令和5年10月3日(火)~令和6年2月25日(日) 月曜・祝日・年末年始は休館

会 場:郷土資料館企画展示室(春日部市粕壁東3-2-15 教育センター1階)