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塚崎遺跡のカマド『新編図録春日部の歴史』からのご紹介49
春日部市の北東部、塚崎地区にある塚崎遺跡は、古墳時代後期から奈良時代(今から1500~1200年前ころ)にかけてのムラが発掘されています。
この時代の住まいである竪穴住居には、”カマド”と呼ばれる、調理を行う施設が設けられています。カマドは、住居の壁に接した部分に粘土などをドーム状に押し固め、火を焚く部分を作り、ドームの天井部分に調理器具である甕(かめ)を設置する穴があけられます。
カマドをもつ住居跡の発掘調査では、甕を設置する天井部分を左右から支える袖(そで)という部分がよく残っている場合があります。
平成19年度の調査では、現在の茨城県などを中心に製作、使用された常陸型甕(ひたちがたかめ)を袖を支える芯材(しんざい)として使用したカマドが発見されました。
市内では、宝珠花地区をはじめとした市の東部に所在する遺跡で常陸型甕が比較的多く用いられていたようで、当時の人々が、茨城県方面の人々と交流をもっていたことがわかります。
さらに、塚崎遺跡で発見されたカマドの芯材に常陸型甕を使用している事例は、住居施設の資材として使われるほど、常陸型甕が日常にとけこんでいたことを示すものです。
「古墳時代の生活と文化」『新編 図録 春日部の歴史』30ページ
塚崎遺跡で発見されたカマド
袖の粘土を除去すると、常陸型甕が左右2個体ずつ口を下に設置されていた
カマドから発見された常陸型甕
袖に使われた4個体の他に、調理に使われたと思われるものが1個体発見された
この時代の住まいである竪穴住居には、”カマド”と呼ばれる、調理を行う施設が設けられています。カマドは、住居の壁に接した部分に粘土などをドーム状に押し固め、火を焚く部分を作り、ドームの天井部分に調理器具である甕(かめ)を設置する穴があけられます。
カマドをもつ住居跡の発掘調査では、甕を設置する天井部分を左右から支える袖(そで)という部分がよく残っている場合があります。
平成19年度の調査では、現在の茨城県などを中心に製作、使用された常陸型甕(ひたちがたかめ)を袖を支える芯材(しんざい)として使用したカマドが発見されました。
市内では、宝珠花地区をはじめとした市の東部に所在する遺跡で常陸型甕が比較的多く用いられていたようで、当時の人々が、茨城県方面の人々と交流をもっていたことがわかります。
さらに、塚崎遺跡で発見されたカマドの芯材に常陸型甕を使用している事例は、住居施設の資材として使われるほど、常陸型甕が日常にとけこんでいたことを示すものです。
「古墳時代の生活と文化」『新編 図録 春日部の歴史』30ページ
塚崎遺跡で発見されたカマド
袖の粘土を除去すると、常陸型甕が左右2個体ずつ口を下に設置されていた
カマドから発見された常陸型甕
袖に使われた4個体の他に、調理に使われたと思われるものが1個体発見された