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「古文書解読勉強会」の成果(その3)
「古文書解読勉強会」の成果、第三弾です。
引き続き、当館所蔵の神間村文書です。今回から「勉強会」に参加された皆さんの(復習のための)読みやすさに配慮して、少し大きな文字で入力しました。担当者が一言加えた「ひとことメモ」もあわせてご覧ください。
第一弾(史料番号1・4)、第二弾(史料番号2・12)はそれぞれのリンクをご参照ください。
【史料番号10】
乍恐以書付御届奉申上候
御知行所武総五ケ村惣代
神間村名主源兵衛奉申上候、当午田
方之義植付後稲草生立も宜敷
一同大悦ニ相心得居候処、当月六日
之大雷雨ニ而追々雨天打続田方
一円水深ニ相成居候処、猶又十四日十五日
之大雨ニ而江戸川通拾合余之出水
相成、水防人足夥敷差出相防候
処、漸々此節人足引払ニ相成、然ル処
内郷村々殊ニ低場村之義ハ田方水冠
ニ相成、殊ニ畑方之儀も同様水押上り
難渋悲歎仕罷在候、乍併此侭水干ニ
相成候は、何程相立帰り可相成候哉、暑
中之儀ニ候は(傍書)「得は」、案心不仕ニ奉存候、
猶見極メ之上、御注進可奉申上候間、
右之段宜敷御聞済被下置度、偏ニ
奉願上候、以上
安政五年六月 御知行所
千塚村
名主
粂次郎
芦橋村
名主
利右衛門
神間村
名主
源兵衛
上柳村
名主代組頭
忠兵衛
五ケ村惣代神間村
源兵衛
御地頭所様御内
御役人中様
(ひとことメモ)
本史料は、神間村等5か村が旗本能勢氏の役所に提出した文書。『埼玉県史調査報告書 旧旗下相知行調』(1986年)によれば、能勢氏の所領は600石あり、神間村のほか、下総国葛飾郡芦橋村・上柳村・永沼村(現春日部市)、武蔵国葛飾郡千塚村(現幸手市)、下総国豊田郡牛縊(うしくびり)村(実際は常陸国筑波郡、現茨城県つくば市)、伊豆国田方郡間宮村(現静岡県函南町)・長崎村・三輪(実際は三福)村(現静岡県伊豆の国市)に分散していた。文書に中の「武総五ケ村」とは神間・永沼・芦橋・上柳・千塚の5か村とみられるが、なぜか永沼村の役人の署名がない。
【史料番号13】
差上申一札之事
下総国葛飾郡
神間村
百姓作左衛門倅
八郎左衛門
当寅弐拾二才
右之もの儀、当村地内ニおゐて御召捕ニ相成、
私共立会罷在、所持之品相改メ候処、一切
無御座候、且又御召捕筋之義ニ付御非分成
御取計毛頭無御座候、依之場所書一札
差上申処、仍而如件
能勢十次郎知行所
慶応二年寅二月廿六日 右村
名主
源兵衛㊞
関東御取締御出役
安原燾作様
(ひとことメモ)
関東取締出役とは、江戸幕府が文化2年(1805)に創設され、関東八州の幕領・私領を巡回し、無宿人や博徒などの取締まりや、農民への教諭活動等を行なった幕府の役人。