2024年8月の記事一覧
校長ブログNo120 2枚の絵から感じた戦争と平和
引き出しを整理していたら、ポストカードが数枚出てきました。昨年、都内の美術館で開催された展覧会「生誕100年山下清展 百年目の大回想」で買ったものです。
▼美術館入口の広告バナー
今回はその中から記事に関連して2枚紹介します。
まずは、「長岡の花火」です。日本三大花火である「長岡まつり大花火大会」は8月2日(金)・3日(土)に開催されました。特に8月3日(土)は千葉県内でも多くの地域で花火大会が開催されました。(残念ながら全国的に見ると、さまざまな理由で中止になっているところもあるようですね。)久しぶりに目にしたポストカードから、戦争と平和について感じました。花火には、鎮魂(レクイエム)の気持ちが込められています。
山下清さんといえば映画「裸の大将」(主演・小林桂樹)のモデルで知られていますが、私は山下清氏を画家だと知っていても、映画を見たことがなく詳しいことはほとんど知りませんでした。学生時代、新潟県佐渡で泊まった宿に大きな絵が何枚も飾られており、その素晴らしさが心に残っているくらいでした。この展覧会で千葉県にもゆかりのある人物であることを初めて知りました。
山下清(参考 ウイキペディア)
やましたきよし 1922年(大正11年)現在の東京都台東区出身)
幼少期の風邪からの消化不良により重篤に陥り、言語障害、知的障害が後遺症として患う。少年期に現・千葉県市川市八幡の八幡学園の生活の中、「ちぎり紙細工」に出会い、素質を学園の顧問医師の目に留まり、指導を受けながら才能を開花させていった。その後、各地で展覧会で絶賛され、日本のゴッホとも呼ばれた。戦後は全国巡回展も各地で開かれた。1971年(昭和46年)逝去)
▼ 長岡の花火(貼り絵 1950年(昭和25年))
原画は、たて約50㎝×よこ約70㎝くらいだったでしょうか。現在の長岡の花火大会は1945年(昭和20年)8月1日の長岡空襲からの復興を願い、戦後1946年(昭和21年)に開催されました。長岡の花火を見た山下清は、次のように述べています。「みんなが爆弾なんかつくらないで きれいな花火ばかりつくっていたら きっと戦争なんか起きなかったんだな」この言葉が重く心に残りました。漆黒の夜空と信濃川の水面に輝く華やかな長岡花火の一瞬を心に捉えた名作です。 山下氏は他にも花火を題材とした絵をたくさん描いているとのことです。初めて原画を目にして驚いたのが、なんと紙をこよりにして1枚1枚貼り合わせた貼り絵でできていたこと。真っ暗な会場で描いたわけでもなく、今の時代のように写真や動画などの映像に撮ってとったわけでもなくどのようにこの絵を描いたのでしょう。山下氏は、自身がもつ「瞬間記憶能力」を活かし、学園に戻ってから制作に取り組んだそうです。どれだけの年月をかけて作ったのでしょう。山下氏の想いが花火の大輪を構成する一つ一つの紙に込められていることが伝わり、絵画は鑑賞する人たちをくぎ付けにしました。
そしてもう1枚
メダルラッシュが続く日本勢パリ2024オリンピック大会のシンボルタワー「パリのエッフェル塔」
▼ パリのエッフェル塔(水彩画 1961年(昭和36年))
最初、なぜこのポストカードを買ったのだろうと思い返しました。去年からパリオリンピックのことを思って買ったとは思えず、おそらく、エッフェル塔の鉄骨の細部まで緻密に描かれていることや、道路の真ん中で指揮(交通整理ですが)をしているかのような警官を中心とした対称的な構図と時代を感じさせないデザインや色合いに惹かれて買ったのだと思います。今、まさしくパリでオリンピックが開かれていますが、開会式でIOC会長が「戦争や紛争によって分断された世界において、選手たちが一つになる。私たちは世界の平和をつなぐ大会の一員なのだ」と挨拶し、オリンピック大会が「平和の祭典」であることを考えると、前作の「長岡の花火」と共に、戦争と平和についても改めて感じることになります。また、パリは近代五輪を創設したクーベルタン男爵の出身地で、100年ぶり3度目の舞台ということですから、山下清が生誕した当時以来の開催となります。山下氏が生きていた時代の日本は、東京1964オリンピック大会に向けて日本が大変貌を遂げていく時代でしたが、今生きていたら東京2020大会やパリ2024大会をどのような気持ちで見てどのような絵画が生まれていたでしょうね。
参考までに、今年は新潟県立近代美術館で8月18日(日)まで開催されているそうです。
https://kinbi.pref.niigata.lg.jp/tenran/kikakuten/kkk_kaisaichu/
今年で、日本は戦後79年が経ちます。あさって8月6日は、世界で初めて原子爆弾が投下された広島の「平和記念日」です。その3日後の8月9日は、2回目に原子爆弾が投下された長崎の「平和の日」です。白浜小学校は戦争当時どのような状況だったのか「創立100年誌」に戦争当時勤務していた教員による寄稿文がありましたので、後日お伝えしたいと思います。
校長ブログNo119 私たちの研修①(暑い夏に熱~いトレーニング)
児童にとっての夏休み中、私たち教職員は学校での勤務の他に、各所に出張し研修に参加しています。研修は講義、演習、実技、研究会、講演会、オンライン、資料を読むなど内容や形態はさまざまです。研修の模様を少し紹介したいと思います。
7月22日(月)夏季休業中の出勤日1日目、「校内モラールアップ研修」を行いました。
モラールアップ研修
「モラールアップ」とは「やる気」や「志気」を高める研修という意味。研修を通して職場の親睦と同僚性を高め、労働性や生産性を高めるメリットにもつながります。また、リラックスした雰囲気でコミュニケーションを取ることができることから、職員のチーム力向上にもつながる効果が期待されます。
今年のテーマは「夏だからこそ、体をきたえよう! 簡単筋トレ研修」でした。
講師は、ご自身がバレーボーラーであり、オリンピック日本代表を想起させるような実力ある本校の体育主任です。パーソナルトレーナーのように、自身の経験から導いた効果的なトレーニング法を私たちに教えてくれました。(昨年度は同じくバレーボール経験者である当時の校長とタッグを組み、熱血な研修が繰り広げられたそうです。アタックナンバーワンの世界だったかも?!)
さっそく、1人1枚マットを用意して真剣にトレーニング開始。今回は筋トレの中でも体幹を鍛えることを目標に腹筋の強化に特化して行いました。「プランク」、「サイドエルボーブリッジ」そして究極は1日1回30秒のトレーニングで激ヤセ!!ポッコリお腹を凹ませる魔法のトレーニング「ヒンズープッシュアップ」(これはきつかったです)「魔法」という言葉に飛びつきましたが、「魔法」とは、努力した人にだけ与えられるものだとやってみて感じました。実技は個人で取り組みましたが、横並びで向きを変えながら他の職員の様子を見ることもできました。また、質問や感想を交流させることでトレーニングに関心をもつことができました。今回教わったトレーニングも知識としては知っていても継続することの大切さを感じ取りました。
ここでいったん休憩...
学校教育目標は「知・徳・体」を柱とし、バランスよく児童を育成する目標となっていますが、私たち教職員も同じです。健全な精神と健康な体を大切にすることを今回の研修を通して改めて意識しました。夏季休業を利用して教職員は健康診断や人間ドック等を受けます。2学期もベストな状態で指導できるようコンディションを整えたいと思います。
休憩をはさみ、後半は、「プロテイン」についての正しい知識をもつという話です。今やブームとなり、コンビニエンスストアでも手軽に購入できる「プロテイン」について。私が大きな勘違いしていたのは、「プロテイン」は筋肉をつけるために飲むものだと思っていたこと。「プロテイン」=日本語で「たんぱく質」。そうです!「たんぱく質」は三大栄養素(炭水化物・脂質・たんぱく質)でもあり、疲労回復、良質な睡眠、良質な爪・髪・肌をつくることにも効果があるのです。人の体は7割が水分で、2割が「たんぱく質」で構成されていることを考えると、筋肉のことを考える前に、まずは大切な栄養素であることを意識しなければいけませんね。そして大切にしたいのがバランスのとれた食事です。休み中は学校給食が食べられませんが、当ブログでも常時掲載している学校給食のありがたみを感じます。食事だけでは足りない栄養を補うための「プロテイン(たんぱく質)」と考え、自分に合った「プロテイン」の種類を補給することがいいようです。(奥が深い。)昨年の夏、食品メーカーの味の素「CookDo」が大人気漫画「ハイキュー!!」とコラボして、「食え。そして、強くなれ。」という名言をコピーした広告を出していました。また、味の素は「あなたのカラダはあなたの食べたものでできている」をキャッチコピーとして学校にも出前授業を展開しています。暑い夏だからこそ運動も大切。食事も大切。いろいろと学ぶことの多い研修でした。
この日のモラールアップ研修午前の部は「動」の研修でしたが、午後の部は「静」の研修でした。何をしたのかは、後日お伝えしますのでお楽しみに...。
【後日談】
研修の次の日。床に落としたモノを拾ったら「イテテ...」今日はやけに腹筋が痛い。なぜ?思い当たる節は、昨日の「筋トレ」研修によるものでした。体に効いています。私は参加者の中で最年長でしたが、若い教職員に負けないよう、年齢のことも考えて無理せずコツコツと取り組んでいきたいと思います。3日坊主どころか口だけで終わらないように(苦笑)
校長ブログNo118 シリーズ「先生からの夏だより(暑中見舞い)」①
今日は、みなさんに白浜小学校の先生からの暑中見舞いをお届けします。今回紹介するのは2名の先生からの手紙です。(先生の名前は、ブログ掲載順に、A先生というように、アルファベット順に書きますので、みなさんはどの先生からの手紙か想像しながら読んでくださいね。)
それでは、まず1枚目
A先生からの暑中見舞い(しょちゅうみまい)です。
暑中お見舞い申し上げます。
「なつやすみスイッチ」を守って夏休みをすごせていますか。毎日暑い日が続いていますが、今年の夏は、今しかありません。楽しいこと、おもしろいことをたくさん経験してください。2学期にみなさんから思い出話を聞くのを楽しみにしています。
9月2日に元気な顔を見せてくださいね!
(ひらがなぶん)
しょちゅうおみまい もうしあげます
「なつやすみスイッチ」を まもって なつやすみを すごせていますか。まいにち あついひが つづいていますが、ことしのなつは、いま しかありません。たのしいこと、おもしろいことを たくさん けいけんしてください。2がっきに みなさんから おもいでばなしを きくことを たのしみにしています。
9がつ2にちに げんきな かおを みせてくださいね!
つづいて 2枚目
B先生からの暑中見舞い(しょちゅうみまい)です。
暑中お見舞い申し上げます
これから暑さが厳しくなる一方ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。夏休みが始まってまだ2週間ですが、私はみなさんに会えないこと、元気で明るい声が聞こえてこないことにさびしさを覚えています。夏休み中に事故やけがなく、皆さんが無事に新学期登校できることを祈っています!夏バテに気をつけて夏休みをお過ごしください。
令和6年盛夏
(ひらがなぶん)
しょちゅうおみまいもうしあげます
これから あつさが きびしくなる いっぽうですが、みなさま いかがおすごしでしょうか。なつやすみが はじまって まだ 2しゅうかん ですが、わたしは みなさんに あえないこと、げんきで あかるいこえが きこえてこないことに さびしさを おぼえています。なつやすみちゅうに じこやけがなく、みなさんが ぶじに しんがっき とうこうできること を いのっています! なつバテに きをつけて なつやすみを おすごしください。
れいわ6ねんせいか
いかがでしたか?せんせいがたも みなさんと ながいこと あっていないので さみしくなっているようです。でも、げんきで すごしていれば せんせいたちも ニッコリそれが いちばんです!! また ほかのせんせいから おたよりをあずかったら おとどけしますね
校長ブログNo117 本で楽しむ夏
今日もギラギラと容赦なく照りつける太陽。暦の上では「大暑」の真っ只中で、七十二候「土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)」(7月28日~8月1日)と、「猛暑」どころか「酷暑」いや「炎暑」といったほうがいい。読むだけでもジリジリと焦げそうな暑さです。昨日、気象庁から「7月の日本の月平均気温は、統計を開始した1898年(明治31年)以降の7月として最も高くなりました。向こう1か月も引き続き全国的に厳しい暑さになる見込みです。」と発表がありました。暑くなければ夏ではないのですがどこまで気温が上がり続けるのか昨日の話は雲でしめくくりましたが、今日も天気の話にお付き合いください。
炎暑の夏。暑さにとろけそうになり、くじけそうになってもその中にどこか楽しみを見つけたくなるようです。毎日空を見上げてうんざりではもったいない。白浜小学校に勤務してから往復の通勤時、雄大な空を見て癒されることが多くなりました。そんなこともあり、かつてから読みたいと思っていた、気象学者である荒木健太郎さんのベストセラー本を購入し、少しずつ読み進めています。他にもたくさんシリーズ化されているのでぜひ読んでみてください。
空を見上げると雲たちものびのびと自由自在に自分たちを表現しているかのようです。あまりのまぶしさにほとんどあてずっぽうでシャッターをきって改めて見てみたら、偶然にも飛行機が映りこんでいました。(飛行機に気づいていたらもう少し構図を考えていたかもしれません。)が、暑さに負けてそんな余裕はこれっぽっちもありませんでした。
同じ日の夕方、西には怪しげな雲が...最近、夕方になると雷雨が多くなってきました。目に飛び込んできた美しい空の景色はその瞬間瞬間で、刻々と変化していきます。
別の場所から同じ雲をもう一枚。先ほどまで出ていた太陽が、わりと低めの積雲の上に隠れ、その上から「ぼくはここだよ~また明日ね~」といった感じで光を放っていました。
フランスの夏 日本の夏
花の都・芸術の都 パリはどんな天候なのでしょう。オリンピックパリ大会の開催国フランスは緯度が48度です。日本の最北端である稚内(わっかない)の緯度が45度であることを考えるとそれよりもさらに北に位置します。千葉県横芝光町の緯度は35度ですからだいぶ北になります。理論上、夏でもカラッとしていて過ごしやすいはずなのですが、今年の現地は熱波で最高気温が35度以上と猛暑とのこと。選手村は、環境保護の観点からエアコンを設置せず、代わりに地熱冷却システムを導入しているとのことですが、選手のコンディションを考えると心配ですね。がんばれニッポン!!
真夏におすすめの絵本
そんな真夏に読みたい本の紹介。昔、私も子供へ読み聞かせたこともあり、夏になると再び読みたくなる本です。どこかノスタルジックな雰囲気が漂い、千葉の里山風景にぴったりの大好きな絵本です。人気のある絵本ですので読まれた方やお子さまへ読み聞かせをされた方もいらっしゃることでしょう。先日お知らせした「クーリングシェルター」や「涼み処」になっている図書館でゆっくり読まれてみてはいかがでしょうか。
校長ブログNo116 おうい雲よ!
7月26日に開幕したパリ2024オリンピック大会も今日で1週間を迎えます。序盤からメダルラッシュに沸く日本。歴史的競技の馬術では92年ぶりのメダル獲得。そして東京2020大会から始まった新種目スケートボードでは男女共に金メダルを獲得。幅広い種目で各国の選手が全力で取り組む姿に目を見張るとともに、アスリートならではのたくさんの汗と涙に感動させられます。「今年の夏は特別です。」と過去ブログでも書きましたが、月替わりでカレンダーをめくるとき、「7月が終わり今日から8月だ!」と時の流れをはっきりと意識させられます。オリンピックは4年に1度ですが、各地では伝統的な夏祭りや盆踊り、花火大会などが繰り広げられています。まさに日本の夏、世界の夏です。さて、8月のカレンダーには、異名月で「葉月(はづき)」、8月1日の欄には「八朔(はっさく)」と書かれています。
葉月(ウェザーニューズ2021年8月1日付より引用)
一般的には、木の葉の紅葉が進み、葉が落ちる月、「葉落ち月(はおちづき)」が略されたものといわれています。 また、稲の穂を張る月、すなわち「穂張り月(ほはりづき)」が略されたという説、初めて雁が渡ってくる月であることから「初来月(はつきづき)」を略して「葉月」と呼んだ説などがあります。
▼横芝光町図書館の花壇(芙蓉(ふよう)をはじめとする夏の花が美しく咲いています。)
また、同図書館2階ギャラリーでは企画展が催されています。
https://www.library.yokoshibahikari.chiba.jp/gallery.html#gal01
児童の作品から 夏の風情を感じる俳句をいくつか紹介します。
夏まつり 大きなおみこし おどってる
夏まつり ぼうしをかぶった チョコバナナ
りんごあめ おこりんぼうの おじょうさん
網やぶれ 金魚すくいの 落としあな
夏の夜 空に咲いた 花畑
めんつゆで 泳ぐそうめん 上手だな
セミたちが声を合わせて歌ってる
八朔(はっさく)
「八朔」とは「八月の朔日(ついたちのこと)」に行われる風習をさします。「朔(さく)」という言葉は日常生活ではほとんど使いませんが、「朔日(さくじつ)」は「朔日(ついたち)」とも読みます。
1 果物の名前
「はっさく」と聞いてまず思い浮かぶのはあの丸い黄色いミカンのようなものですが、旧暦の8月1日は、現在の暦では2024年の9月3日にあたるそうです。ちょうどその頃から「はっさく」が食べられるようになる頃といったことで名付けられたとあります。(明治19年頃)現代では冬の旬の食べ物ですが、夏の終わりに食べられるようになるとはどんな味覚だったのでしょうね。
2 朔(さく)とは
つまり「朔(さく)」は、月の最初の日を表し、「物事の始まり」を意味します。そのため、人名(読み方として「さく」や「はじめ」)でも使われることが多く、特に「令和」=「新しい時代の始まり」にちなみ名付ける人も増えているそうです。
3 豊作祈願の願いを込めて
9月上旬頃、ちょうど稲がたわわに実り収穫を迎える頃。収穫できる喜び、そして無事に実りをいただけるようにと、田の神様に、「田の実」の豊作祈願をする日となりました。
▼写真は7月初めに2年生生活科学習「学区探検」(学校からしおさい公園方面へ)で一緒に歩いたときの風景。シラサギも飛び交っていました。
4 徳川家康の江戸入府
歴史上では、八朔(8月1日)は、1590年(天正18年)に初めて徳川家康が江戸に入府した日とされ、江戸幕府にとって重要な日とされていました。
7月の終わり頃から夕方になると雷雨が増えてきました。空を見上げると今日もいろいろな雲が浮かんでいます。夏というとモクモクとわく入道雲(積乱雲)が思い浮かびますが、こんな雲もあるんですねぇ。ひつじ雲でしょうか。雲の高さによって形や色も異なるなんておもしろいですね。
昔、学校で習った『雲』山村暮鳥(群馬県出身の詩人・児童文学者 1884(明治17年)‐1924(大正13年))の詩を思い出します。(この詩は山村氏が逝去した翌年出版された詩集『雲』に収められています。)冒頭の「雲」の詩の中から一部を紹介。
雲 丘の上で としよりと こどもと うっとりと雲を ながめている
おなじく おうい雲よ ゆうゆうと 馬鹿にのんきそうじゃないか どこまでゆくんだ ずっと磐城平(いわきだいら)の方までゆくんか
ある時 雲もまた自分のようだ 自分のように すっかり途方にくれているのだ あまりにあまりにひろすぎる涯のない蒼空なので おう老子よ こんなときだ にこにことして ひょっこりとでてきませんか