日誌

10月25日(火)晴れ その1 中村雅俊講演内容から 1

<中村雅俊氏の講演内容から 1> 今朝は一桁まで気温が下がりました。今日から来週末にかけて最高気温が上がらず、11月の気温になるという予報が出ています。 生徒たちは、体調管理に十分、注意してほしいです。

〇中村雅俊氏の講演内容から・・・・・・先週金曜日に聴講した中村雅俊氏の講演内容を何回かに分けて掲載します。 中村雅俊さんは65歳とは思えないくらいスリムな体格とふさふさの髪の毛に、私は大金驚きを感じました。 
●中村さんの歌とは?・・・・・・うれしく、楽しく、自分にフィットするもの。 

●小学校時代に・・・・・・女川(おながわ)役場に三波春夫さんが来て、歌を聴いたときの驚きは今でも覚えている。 父親とは5歳で死に別れ、母と姉2人の中で育つ。 母親は女川で飲み屋をやっていた。

●中学校では、方言で「おだずもっこ(やんちゃ)」と言われた・・・・・・中学では「やんちゃな生徒」だったようです。 担任に、「休み中、学校に来い」と呼びだされ、担任と「鍋焼き」を食って、一緒に学校の「夜回り」をして、学校で寝たことがあった。 「今じゃ、考えられないでしょう!」となかむらさんは 話していました。
母親の飲み屋に、学校の先生が飲みに来て、酔っ払って、「雅俊は!」と呼ばれて,酒の相手をよくしたそうです。 酔った先生は財布を店に置き忘れ、次の日職員室で内緒で渡していた。 授業中(?)、数学の先生が仙台出張の時、「雅俊、ついてこい」と言われ、何故だか先生と仙台に行ったことがあったそうです。「これも考えられないでしょう?」と話していました。  

●中学・高校時代はバスケットボールに明け暮れる・・・・・・「身長が伸びる」ということで、中1からバスケットボールをはじめる。 県立石巻高校では、1年次から身長が高いと言うことでレギュラーになる。 厳しい練習に耐えながら、練習後、ダッシュで電車に乗り込み女川に帰るという高校生活。 高3でキャプテンに。 6年間バスケットボールをやっていた。 

●中・高時代、定期テスト前2週間は勉強した・・・・・・部活漬けの日々だったが、定期テスト前2週間は勉強した。 高校では、五木寛之の本を読みはじめた。 五木寛之の本の影響で、ソ連に関心が高まり、友人には「将来、外交官」になると、言っていた。 
 ******大学時代からの講演内容は、次回に書かせていただきます。