校長室のひとりごと「努力」
教員がよく使う呪文のような言葉の一つに「努力」という言葉があります。
部活動顧問、学級担任として第一線で生徒たちと関わっていた頃は、一切迷いもせず「努力は報われる」と生徒に呪文(?)を唱えていたものです。
多くのスポーツ選手は「努力」について名言を残しています。例えば世界のホームラン王「王貞治」氏は「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるとすれば、それはまだ努力と呼べない」と残しています。また、サッカーのメッシ選手は「努力は報われる?そうじゃないだろ、報われるまで努力するんだ」と述べています。一方でフィギュアスケート「羽生結弦選手」は「努力はウソをつく。でも無駄にはならない」。他にも「努力は報われるとは限らない」「努力が報われるのであれば、みんなメダリストになっている」…… などと残しています。 陸上競技の「為末 大」氏は「一流のアスリートは、そもそも努力を努力だと思っていない」と著書に綴っています。いったい「努力」って何なのでしょう?
以前、全校生徒に「努力は必ず報われる。しかし、自分が思っている形で報われるかどうかは別の話。仮に努力したのに報われなかったと感じていても、その努力は違う形で自分の力になっているはずです。これからも惜しまず努力できる人になってほしい」と話したことがあります。
歳を重ねるにつれ、私自信「努力は報われる」と思っていますし、一方で「努力しても報われないこともある」とも思っています。
先ほどの「為末大」氏は「現在の日本は、努力しても報われないと感じる人間が多数派を占める社会になっているように思う」とも記しています。
中学生という成長段階においては、どのパターンで「努力」という言葉を投げかけるかが問題です。中学生は全てが経験全てが勉強です。何事にもガムシャラに取り組める人間、そして惜しまず努力できる人間になって欲しいと切に願っています。