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150周年クイズ 答えの書き込みはタイトルをクリック

150周年クイズ第5問 解答と解説

第5問の答えは、Bの修学旅行は今と同じ日光まで行った、でした!

今回は間違えたことを書いているものを選ぶ方式でした。

昭和一ケタの頃は戦時色が強くなってきていて「国防服を着て伊勢の皇太神宮に修学旅行に行きました」とあります。

今のように日光に行くようになったのは戦争が終わって平和に戻ってからのようです。

また、選択肢のAにあるように、普段の学校には毎日着物を着て、下駄を履いて通っていたようです。

さらに、驚くことにはCにあるように坂川が今よりもとてもきれいで、そこで泳いでいたとの記録もありました。

今回の解答と解説はいずれも「創立100周年記念誌」の座談会の記録から抜粋しました。

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150周年クイズ第5問

今の八木中がある古間木の地での「八木村立尋常高等小学校」の学校生活はどのようなものだったのでしょう。

「創立100周年記念誌」でその頃学校生活を送っていた、昭和7,8年頃に入学した方たちの座談会の記録がありましたのでそこから出題します。

次のA~Cのうち、間違っているものを一つ選んでください。

A.学校には毎日着物を着て、下駄を履いて、通っていた。

B.修学旅行は今と同じ日光まで行った。

C.プールはなくて坂川に入って泳いでいた。

※答えがわかった人は、「150周年クイズ第〇問」というタイトルをクリックすると下のほうに書き込みができるスペースが出てきますので、そのコメント欄に書き込んで「+コメント」というところをクリックしてください。

第5問の答えと解説は、8/13(火)にお知らせします。

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150周年クイズ第4問 解答と解説

第4問の答えは、Aの火事で校舎が燃えてしまったからでした!

上の画像にもあるように大正7年2月26日に八木村立第一尋常小学校の校舎、そして学校に記録として残していた公文書類がすべて燃えてなくなってしまったようで、学校自体も前ヶ崎の宝蔵院と野々下の浄蓮寺に分かれて授業をすることになりました。

その後、徐々に学校を立て直し、大正9年にはさまざまなことが起こります。「高等科」を設置して、学校名も「八木村立尋常高等小学校」と改め、今の八木中がある古間木の地に新校舎が設立されました。

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150周年クイズ第4問

さて、やっと1つの学校になった八木南小学校だったのに、大正7年2月26日にまた前ヶ崎の宝蔵院と野々下の浄蓮寺に分かれて授業をおこなうことになります。

その理由はなぜでしょう?

次のA~Cの中から一つ選んでください。

A.火事で校舎が燃えてしまったから。

B.関東大震災で校舎がつぶれてしまったから。

C.児童数が増えすぎてしまったから。

※答えがわかった人は、「150周年クイズ第〇問」というタイトルをクリックすると下のほうに書き込みができるスペースが出てきますので、そのコメント欄に書き込んで「+コメント」というところをクリックしてください。

第4問の答えと解説は、8/6(火)にお知らせします。

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150周年クイズ第3問 解答と解説

第3問の答えは、Cの明治33年5月26日で、八木村立第一尋常小学校でした!

前回紹介した創立120周年記念誌「学びや」にも、八木第一尋常小学校が開校したという記事が年表に残っています。

開校当初は4学級編成で新学制の施行により6学級編成となったとあります。

驚くのは285名の児童に対して教職員5名という少なさ!

わり算すると先生1人あたり57名の児童ということになります。

さて、これまでクイズの答えの書き込みができない状態だったようで申し訳ありません。

HPの設定を変えてもらって書き込み可能になったので、皆さんの積極的な書き込みを期待しています!

早速、答えを書き込んでくれた方も2名?(1名が2回?)いたようでありがとうございます。

残念ながら歴史的には、Bは昭和なので一番最近のことになります。

時代の古い順に並べると、C→A→Bとなります。

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