いきいき子育て⑥
本当に「理解のある親」とは
子供は成長していくとき、時にその成長のカーブが急上昇するときがあり、自分でも押さえきれない不可解な力がわき上がって来るのを感じるときがあります。それをなんでもいいからぶつけてみて、ぶつかった衝撃のなかで、自らの存在を確かめてみるようなところがあります。その時、子供がぶつかってゆく「第一の壁」として、親というものがあります。親の壁にさえぎられ、子供は自分の限界を感じたり、腹を立てたり、悔しい思いをしたりする。そのような体験を通じて、子供は自分というものを知り、現実というものを知るのです。最近の、いわゆる「理解のある親」というものは、このあたりのことを誤解している者もいて、子どもの前に立ちはだかる壁になるのではなく、親子が友達のような関係を作り、「子どもの気持ちもよくわかる」などと言って、実は子供との衝突を無意識かもしれませんが、回避しているケースが少なくないのです。壁のない子どもは、自分がどこまで突っ走っていいのか、どこが立ち止まるべき境界線なのか分からなくなってしまいます。相撲取りは、ぶつかり稽古で強くなると言います。せっかくぶつかろうとしているのに、胸を貸す人生の先輩が逃げていては、成長の機会をなくしてしまいます。正しく言うと、理解のある親が悪いのではなく、理解のあるふりをしている親が、子供にとって不幸なのです。子供を真に理解することは、大変素晴らしいことです。しかし、真の理解などというものは、ほとんど不可能に近いほど難しいという自覚も必要です。そんな難しいことをするよりは、まず自分がしっかりと生き、正しいと思ったことを子供に伝え、間違えたら素直に謝り、「三歩進んで二歩下がる」という考え方で子供と接していくのが現実的には、よいのではないでしょうか。(11月13日 校長)