明治政府は富国強兵を旗印として、欧米諸国と肩を並べることができる国民を育成するため、明治5年に「学制」を頒布し国民皆学を目指して近代的な学校と義務教育の普及を図りました。
これにより最勝院というお寺を借りて粕壁学校が開校しました。その後明治11年に現在の春日部市商工振興センター・アクシス春日部の場所に2階建て校舎が新築されましたが、震災により倒壊。明治37年に新校舎が新築されました。
▲最勝院(現在の写真)
▲明治37年に新築された校舎
当時の修学背景
当初の小学校は、6歳~9歳までの児童を下等小学校、10歳~13歳までの者を上等小学校として教育が行われていました。上下小学校ともそれぞれ8級に分けられ6ヶ月ごとに試験があり、その試験に合格すれば進級ができました。
しかし、教科書や学用品、授業料や学校経費まで自己負担だったため、子どもを学校に出すのが困難な家庭が目立ちました。
■開校当時の生徒数 → 男115人、女34人
■教員数 → 男5人、女1人
■校舎 → 最勝院(教室数5クラス)
児童数の変遷
明治時代の歴代校長先生
■本校最勝院(首席)佐藤由義
■分校真蔵院(首席)厚芝周之助
初代 佐藤由義
2代目 土肥鋭之進
3代目 松沢角三郎
4代目 多田惇
5代目 内野清太郎
6代目 小林好三
7代目 川上定之丞
8代目 金井大澂
9代目 河野芳男
明治2年
廃藩置県により粕壁地区は大宮県となる
明治4年
郵便制度が始まる
明治5年
学制発布
明治5年
太陽歴に変わる
明治6年
地租改正条例により、年貢から地租へ
明治11年
西南戦争
明治19年
尋常小学校4年が義務教育化となる
明治22年
大日本帝国憲法発布
明治26年
千住馬車鉄道が粕壁まで伸びる
明治27年
日清戦争
明治32年
東武鉄道開業
明治37年
日露戦争
明治42年
粕壁町で電話が通じる
明治43年
8月の大雨で堤防が決壊し粕壁地区も浸水被害に
明治44年
不平等条約撤廃