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粕壁宿めぐりが開催されました。

9月26日(火)、9月28日(木)に粕壁宿めぐりが開催されました。
現在のかすかべ大通りは、かつての日光道中「粕壁宿」の町並みがあったところです。文化財保護課、都市計画課、商工観光課の職員が、春日部市の歴史や景観資源、フードセレクションを案内しながら、粕壁宿の名所・旧跡と大落古利根川沿いを巡りました。
ご興味のある方は、来年度のご参加お待ちしております。
(広報かすかべ、ホームページ等でお知らせします。)

粕壁宿めぐり①



粕壁宿めぐり③

やじま橋『新編図録春日部の歴史』からのご紹介22

江戸時代、日光道中の脇往還(わきおうかん)として、粕壁宿と岩槻城を結ぶ「岩槻道」がありました。この道の古隅田川にかけられていた橋がやじま橋です。昭和60年に春日部市指定有形文化財に指定されています。

やじま橋は、元文(げんぶん)2年(1737)に作られた現存する石橋では県内最古の橋です。18枚の大石からなる橋面は長さ約5.6m、幅約2.5m、橋脚から橋面までの橋の高さは約1.9mです。橋脚の下には、松の丸太5本が井桁(いげた)に組まれていて、昭和59年に河川改修に伴って現在の古隅田公園に移されるまで、丸太はしっかりと橋を支えていました。
橋面に使われている大石のうち、中央列の1枚の下面には次のように刻まれています。
「元文二巳ノ夏 永井氏のため志 鶴のハシタテ 亀のカウラン」
この一文から、元文2年の夏に、当時の岩槻藩主であった永井氏のために作った橋であったことが推定できます。

「城と宿を結ぶ」『新編 図録 春日部の歴史』96ページ


現在のやじま橋


移設前のやじま橋

藤塚小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成29年9月26日(火)に藤塚小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
少し昔に使われていた道具を実際に手に取ったり、千歯こきを使い脱穀を体験しました。
郷土資料館では、10月3日(火)から3月18日(日)まで、昔の懐かしい道具や写真を展示する「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催します。

見学の様子
見学の様子

内牧塚内4号墳から発掘された直刀『新編図録春日部の歴史』から21

内牧に所在する内牧塚内古墳群は、19基の古墳からなる古墳群です。
このうち4号墳は昭和52年8月16日から9月17日まで、市史編さんのために発掘調査が行われました。
発見された様々な副葬品は全て春日部市指定文化財に指定されています。
今回はその中から直刀(ちょくとう)をご紹介します。直刀は反りがない刀のことです。反りのあるいわゆる「日本刀」は、このあと平安時代ごろから使われるようになります。

直刀は3振りが発掘され、それぞれ全長が32.5㎝、100.3㎝、95.6㎝をはかります。いずれも木の残存物が付着していたことから、副葬された当時は、木製の柄(つか)が付けられ、木製の鞘(さや)におさめられていたものと考えられます。
直刀の郷土資料館での実物の展示は不定期です。

「大和王権の地方支配」『新編 図録 春日部の歴史』27ページ

直刀

元禄下総国絵図『新編図録春日部の歴史』からのご紹介20

正式名称を「元禄国絵図下総国」といい、元禄15年(1702年)に関宿藩と古河藩によって作られ、幕府に献上された絵図です。
郡ごとに色分けされた小判型の枠内に村名と村の石高をはじめ、河川や主要交通路、一里塚などが描かれています。
寛永12年(1635年)に描かれた「正保下総国絵図」と比べると、新しい村名が出現しており、約70年の間に江戸川の開削により新田が開発され、多くの村が増えたことがわかります。

この絵図は、原本は国立公文書館の内閣文庫に所蔵されており、同館のデジタルアーカイブで高精細な画像を見ることができます。
 国立公文書館デジタルアーカイブ「元禄国絵図下総国」

「台地や自然堤防周辺の開発」『新編 図録 春日部の歴史』84ページ