木間ケ瀬中「歳時記」

木間ケ瀬中「歳時記」

9月15日(火)

 我々の年代では9月15日は「敬老の日」でお休みというイメージが色濃く残っていますが,「祝日法」の改訂により,9月の第3月曜日が「敬老の日」になっています。しかしその名残を残そうということで,今日9月15日は「老人の日」だそうです。子供の頃勝手に「老人=ヨボヨボ」とイメージしていましたが,最近の老人は元気ですね!町を歩いていても,私の横を軽快に抜いていく高齢者の方々や,自転車で凄い勢いで車と併走する高齢者など,明らかに私より体力があるように思えてなりません。
 さて,本日「葛北支会中学校英語発表会」が興風会館で行われます。この発表会は野田市と流山市の各中学校の代表生徒が,英語のスピーチを行うもので,今年度本校からは「荒井 果李さん(1年生)」「黒尾丸 渚さん(2年生)」「中山 梨那さん(3年生)」「渡邉 麗菜さん(3年生)」の4名が代表として発表してくれます。この代表4名は夏休み中も登校し練習していました。大勢の前でスピーチする,それも英語で・・・ 素晴らしいですね。 私も余裕があれば応援に行きたいと思っています。 ぜひ練習の成果を発揮しがんばってほしいものです。

9月14日(月)

 めっきり秋めいてきましたが、また今日から新しい一週間の始まりです。
 さて,第2回定期テストが各教科で返却されました。どうだったのでしょう?以前もこの場で紹介しましたが,テストが返却された今が大切です。16日(水)より体育祭の練習が開始されます。体育祭当日まで十分に時間があるようですが,何しろ今週末から「シルバーウイーク」5連休です。連休明け木曜には予行練習という強行日程ですので,体育祭練習は朝から一日行うことになります。つまり授業はありません。体育祭が終わり授業が再開するのは30日。もう9月も終わりです。この間,全校で体育祭一色,盛り上げてほしいのですが,日頃続けている家庭学習は続けてほしいものです。今回のテストの結果が思わしくなく,第3回(10月23日)で挽回しようと考えるなら,みんなが勉強から目が遠のきがちな今が「勉強の旬」だといえるでしょう。

9月12日(土)

 おはようございます。
 今朝方は「地震で目が覚めた」なんて人も少なくないことでしょう。野田市は震度3ということでしたが,危険を感じるほどの揺れでした。数日前の台風による大雨,冠水や今朝方の地震など,日頃より災害に対しての準備をしておく必要を痛感します。先日の大雨の際には,大雨・洪水警報が野田市に発令されていました。同じ市内でも我が家の方では「避難準備」を促す防災無線や,消防車が巡回していました。「どうせ大丈夫・・・」と何の根拠もなく避難する準備もせずいつも通りの生活をしていました。結果として被害もなく何事もありませんでしたが,何の根拠もない決断だけに「もしも・・だったら・・・」と考えると恐ろしくなるばかりです。大雨で地盤が緩んでいる状況なだけに今朝方の揺れはドキッとしました。改めて防災意識や危機管理意識を高く持ち,身の安全を守りたいものです。
 PS:停電の夜中に,スムーズに避難できるような準備はできていますか?
    家族ばらばらで災害にあったときの避難場所・合流場所は相談済みですか?
    
    私も今晩家族で話し合いたいと思います。

9月11日(金)

 昨日までの豪雨から一転,朝から雲の合間から青空が除いています。そういえばずいぶん久しぶりに青空をみたような気がしますね。雨が大気中のチリ等を一緒に洗い流したのか,一層青が目にしみます。
 さて,14年前の今日9月11日は,あの衝撃的な映像を思い出す「9.11アメリカ同時多発テロ」が起こった日です。14年前の2001年と言えば,今の中学生には「歴史の一コマ」のように感じているのでしょうか。当時ライブ映像でTVにNYの高層ビルに旅客機が衝突し,多くの人が中に残されたまま崩壊するビルの映像は,本当に衝撃的でした。多くの人が卑劣なテロという暴挙の犠牲になったことを考えれば,これも風化させてはいけない事件の一つかもしれません。
 私事ですが,当時スポーツ競技に携わっていたこともあり,ワールドツアーに参加するため世界中を遠征していました。2001年9月,毎年のように長期遠征に出ようとしていた矢先の事件でした。幸い,遠征はヨーロッパでの強化合宿,一時帰国し10月の始めに今度は北米に渡ります。事件当初は,詳しいことはわからず「旅客機がビルに衝突した事故」と報じられていたため,どこか他人事で報道を見ていましたが,時がたつにつれて不慮の事故ではなく「テロ事件」だったことがわかってきました。合宿を終え一時帰国するとスポーツ界は慌ただしく揺れていました。各競技がアメリカ遠征を中止していたのです。その年明けにはソルトレークシティ(米国)五輪が控えています。冬のどの競技も,五輪の出場権を得るためワールドツアーでランキングをあげなくてはなりません。フィギュアスケートチームなどいくつかの団体ははアメリカへの遠征を中止しました。我々も窮地に立たされています。出場人数を増やすためNY州レイクプラシッドでのWカップ初戦に参加しなくてはなりません。外務省を通してJOCより渡航を控えるように指示が出されましたが,会議を重ね「参加は国代表ではなく個人の意志で個人で参加します。事件事故も個人の責任です。」という趣旨の念書を提出し,結局渡米したことを思い出します。NYの空港も武装した軍が取り囲み,入国審査も厳重で何時間かかりました。例年とは違った重苦しい雰囲気で始まったワールドツアー,どの競技でもアメリカの強さ,底力が際立っていました。そして迎えたソルトレークシティ五輪,当時テロの本当の目的は五輪だとも噂されていましたが,五輪は威信にかけても成功させるというアメリカ国民の団結もあり,五輪自体はアメリカの強さがここでも際立ちました。今ではソルトレーク五輪の日本は惨敗だったと言われていますが,私はそうだとは思っていません。やるだけのことはやり,精一杯戦っていましたが,アメリカが強すぎたのです。 そんな14年も前の話をしてみました。 長々とすみません。

PS:五輪開会式でスタジアム外で入場を待っていた際,突然開会セレモニーの盛大な花火が打ち上がりました。「バンバン!ズドン!」各国の選手たちは一斉に身をかがめ,花火だと理解できると国を超えてみんな笑顔で話していたことを付け加えます。