40周年記念
「七小山」について
第5回は「七小山」についてです。
七光台小のシンボルのひとつでもある「七小山」。今でも子ども達のお気に入りの場所となっています。業間休みや昼休みには多くの七小っ子が集まり、鬼ごっこやかくれんぼ等をして友達と楽しい時間を過ごしています。
開校記念誌によると「七小山」は開校記念事業の一環として作られことや、完成予想図も掲載されていました。
開校記念の航空写真にはまだ「七小山」が写っていないことから、工事の開始は11月以降であることが想定されます。
「七小山」の工事は野田市内の建設業者が請け負い、費用が約200万円かかったということが、当時の開校記念事業実行委員会の資料から伺えます。かかった費用は多くの方からの寄付の一部で賄ったということもその資料からわかりました。
10周年記念誌には、61年3月にPTA奉仕作業が行われた様子が記載されています。最後の仕上げとして多くのPTAの方が協力していただいていたことがわかりました。
「七小山」の他にも、タイヤ跳びなどの遊具も、PTA奉仕作業によって作られていたことがわかりました。左後方に「七小山」が写っていないことから、「七小山」ができる前にタイヤ跳びの遊具ができたと想定されます。開校当時、遊具も樹木も何もないことから、多くの人の手で遊具を作ったり、多くの樹木の寄贈をいただいたりしていました。当時、七光台小に対する期待が大きかったことがわかります。
当時の資料からその時の校長先生が、七小っ子に名前の募集をしていたことがわかりました。おそらく、その後の決戦投票により「七小山」に決まったものと思われます。「七小山」は開校当時の子ども達の願いが込められた名前なのです。
30周年記念の際には、古くなった「七小山」が30周年記念事業によりリニューアルしました。その後も大切に「七小山」を守ってきましたが、令和4年野田市の遊具一斉点検により、「七小山」の滑り台は安全基準が満たしていないことから、残念ながら滑り台は撤去という形になってしまいました。しかしながら現在も「七小山」は七光台小学校のシンボルとして、今も子ども達の一番のお気に入りの場所になっています。