学校長からのお話を掲載しています
間もなく冬休み!!
12月25日(火)は2学期終業式です。そして、年末年始の冬季休業に入ります。生徒の皆さんにとって、この2学期はどんな学期だったでしょうか?
2学期を振り返ってみますと、日ごろの学校生活において、生徒の皆さんが授業や部活動、学校行事などに真剣に取り組み、着実に成果をあげることができたと思います。
特に、「運動会」や「聖が丘祭」などの学校行事では、生徒会を中心によくまとまり、各学級の団結も強くなりました。『この学級でよかった』という帰属意識が高まったことと思います。
また、部活動では、日々の真剣な活動により、大きな成果を挙げました。郡市新人大会では サッカー部の優勝、バドミントン部女子団体の優勝、卓球部は男子が優勝し女子は4位、そして 県新人大会では卓球部が男女とも準優勝という活躍をしました。
さらに、文化面でも、吹奏楽部と特設合唱部が県音楽祭中央祭への出場し、郡市英語スピーチコンテストで上位入賞し、県英語スピーチコンテストに1名が出場しました。
今学期の成果と課題を確認し、有意義な冬休みになることと、2019年が生徒の皆さんにとって素晴らしい年になることを心から願っています。良い新年をお迎えください。特に3年生は1月4日から私立高校の入試が始まります。準備をしっかりして臨んでください。
平成31年1月8日(火)の始業式に、元気な姿の生徒の皆さんに会えることを、益子中学校の全職員は楽しみにしています。
芳賀郡市新人陸上競技大会で男女総合準優勝
☆9月20日(木)真岡市総合運動公園陸上競技場で行われた芳賀郡市新人陸上競技大会で、益子中学校1・2年生がよく頑張りました。その結果、男女総合で市貝中学校に次いで準優勝になりました。
結果は下記のとおりです。
記
○ 男女総合 準優勝、 ○男子総合 第3位
○ 女子総合 準優勝、 ○2年男子 優勝
なお、県大会に出場する上位2位まで(リレーは3位まで)の種目は以下のとおりです。
(1)2年男子3000m 1位 9'19"45(大会新)
2年男子1500m 1位 4'21"64
(2)2年男子800m 2位 2'13"63
(3)2年男子110mH 2位 17"40
2年男子走幅跳 1位 5m57
(4)1年女子100mH 2位 19"03
(5)2年女子800m 2位 2'27"00
(6)2年男子4×100mリレー3位で県大会出場 48"23
短期間・短時間の練習でしたが、よく頑張りました。
秋季大運動会、大いに盛り上がる!!
平成30年9月8日(土)、予定どおり秋季大運動会が行われました。
朝5時頃から並んで待ったいた保護者の皆様が、朝6時の花火合図で、一斉に応援場所の確保をしました。ルールを確実に守ってくださいました。この整然とした動きは、益子中学校保護者の伝統になっています。毎年運動会の日も、朝から清々しい気持ちでスタートができます。生徒共々、保護者や地域の皆様の協力的な姿には頭が下がります。誠にありがとうございます。
今年の運動会のスローガンは、
『今こそ目覚めよ 聖心魂 光り輝け 益中星!』です。
全校生徒が、元気いっぱいに練習に取り組んでいます。今年3年目となる全生徒による『益中ソーラン』では、オレンジ色の法被(はっぴ)を全校生徒が身につけ、本気で踊りました。
また、各学年が3学級ずつ揃い、色別の縦割り対抗の得点争いも行ったので、他学年の同じ色を応援するという盛り上がりもありました。各クラスとも、大縄跳びや各種リレーなどに、心を一つに団結して競技しました。
地域保護者の皆様には、早朝より御声援や励ましをいただきありがとうございました。 地域保護者の皆様には、早朝より御声援や励ましをいただきありがとうございました。
郡市総体陸上競技大会で好成績
☆☆芳賀郡市総合体育大会 陸上競技大会☆☆
男女総合第3位、男子総合準優勝、女子総合第3位、2年男・女共に優勝
7月10日(火)真岡市総合運動公園陸上競技場において、芳賀郡市総合体育大会陸上競 技大会が行われました。
最初の種目、2年男子3000mで長岡蓮人さんが優勝し、幸先良くスタートしました。その勢いを継続し、多くの種目で入賞者が生まれ、総合3位、男子準優勝、女子3位、2年男女とも優勝という好成績を収めました。21日から始まる、郡市総体各種大会でも、益子中の各部が大いに 活躍することを期待しています。
朝会講話 『藤根善治』の話
益子の聖人・・・たきぎ様『藤根善治』の話
江戸時代、下野国芳賀郡の益子、七井、清水、生田目、上大羽、栗生、深沢の7か村は、黒羽城主大関候の治める土地であり、下の庄と言われた。益子村に陣屋があり、黒羽藩から役人が派遣され一切の政事を司っていた。したがって年貢も、毎年江戸の黒羽藩屋敷に送られた。
1728年(享保13年)の大凶作は益子村を含むこの地域も襲った。そのため、領民は年貢米を納めるのを先延ばししてもらおうとしたが、薪(たきぎ)で納めるように言われ、その代わり平年の倍増の納入を要求された。領民の生活はひじょうに苦しく困ってしまった。
さらに大変なことに、次の年もまた凶作に襲われ、領民はどうしようもない困窮の状況に陥ってしまった。
そこで領民は、薪(たきぎ)年貢を半減してもらえるよう強く願ったが許されなかった。この時、益子村の藤根善治という人は、寝食を忘れて難民の救助に心を砕いた。しかし、苦しさは変わらず、我慢できなくなった領民が一揆を起こそうという形勢に入った。この領民の行動をやめるよう説得し、藤根善治は7か村の代表となって黒羽に赴き、領民の窮状と代官の暴政等を強く訴えた。
これにより、訴えが聞き届けられ、薪年貢は半減納入を許された。領民は負担が軽くなり、助かった。しかし、代官の謀略(ぼうりゃく)により、一揆の頭領、訴え者の代表ということで重罪として捉えられ、1730年(享保15年)2月16日、斬罪を仰せつけられ、妻子もろとも処刑された。その首は、益子町の内町にさらされたという。領民は悲しみ慟哭(どうこく)した。その後、正宗寺(益子中の南東に隣接する寺)に埋葬された。
今も益子中学校の正宗寺に石碑がある。
益子中の建っているところは、聖が丘という。聖とは立派な人という意味であるが、藤根善治を思い浮かべることができる。人のために命がけで年貢の軽減を訴えた藤根善治の生き方には、現在の我々も大いに考えさせられる。
人は、自分のために生きることが大切だが、誰か人のために生きることは、さらに素晴らしい生き方だと思う。
今年は『ふるさと学習』に力を入れていく。その手始めとして、益子の聖人、藤根善治を紹介した。
益子中の生徒には、「利他に生きる(人のために生きる)」という精神が宿っているかもしれない。その生き方を考えてほしい。