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備後小の校歌が出来て、40年の月日が流れました。
校歌が誕生して以来、多くの子供たちに歌われ、沢山の思い出やドラマの中に、この歌が刻みこまれています。
校長室の「校歌制定記念」の額 |
備後小学校の校歌は、備後小が誕生してから2年後の1974(昭和49)年3月1日に制定されました。
作詞は、宮沢章二氏、作曲は、溝上日出夫氏によるものです。
制作期間を考えると、1973(昭和48)~1974(昭和49)年初め頃の作品でしょうか。
1973~74年頃といえば、オイルショックによるトイレットペーパーや洗剤の買いだめ騒動、佐藤栄作元首相のノーベル平和賞受賞、元日本兵の小野田寛郎がルパング島から30年ぶりに救出など、今では、社会の教科書に出てくるような出来事があった時代でした。
スポーツでは、プロ野球が大きなにぎわいを見せ、読売巨人軍(ジャイアンツ)のV9、「巨人軍は永遠に不滅です。」という名言を残した巨人のスター選手長嶋茂雄の引退、江川卓の巨人入団騒動がありました。
また、芸能や映画、テレビの世界では、アイドル新御三家(西城秀樹・野口五郎・郷ひろみ)の誕生、映画「燃えよドラゴン」、「エクソシスト」、「寺内貫太郎一家」がヒットし、8時だよ全員集合の「ちょっとだけよ」や超能力ブーム、ロングスカートが流行しました。
そんな世相を見ると、一つの時代が終わり、今までとは違う、何か新しい時代への期待感や変化のようなものが見られた年だったのではないでしょうか。
宮沢章二氏、直筆の校歌の詞(原本) | 溝上日出夫氏、直筆の校歌の楽譜(原本) |
宮沢章二氏や溝上日出夫氏、その当時の校歌制定に尽力なされた方々の言葉や想いを知る人は今の備後小にはもういません。
しかし、そんな時代に生まれた備後小の校歌の詞やメロディーには、一つの時代の終わりから新しい時代へと突き進もうとしていた未来への期待感、高揚感と、子供たちの夢や希望に満ち溢れた素敵な将来が重ね合っているのではないでしょうか。