収蔵資料の紹介
資料名 | 亀田鵬斎書の看板(かめだほうさいのかんばん) |
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年代 | 江戸時代(18世紀ごろ) |
法量 | 61.1×43.0×厚さ3.0センチメートル |
資料種別 | 歴史資料 |
文化財指定 | 未指定 |
収蔵番号等 | 535-43 |
資料写真 | |
解説 |
この看板は、現在も春日部市内で営業しているカネコ薬局にかけられていたものです。金子家は代々七右衛門と名乗り、元禄時代、初代七右衛門が粕壁宿にて薬屋を創業しました。大正時代には粕壁に開園した「国立薬草園」の創設に十二世七右衛門が携わりました。 書は江戸時代後期の儒学者としても有名な亀田鵬斎によって書かれたものです。鵬斎が病気になった際に宿泊させたことがあり、そのお礼として書いてもらったものであるといわれています。書は草書体で書かれたもので、「家伝 たんせきのくすり 鵬斎老人書」、現代語に直すと「家伝 痰咳のくすり 鵬齊老人書」と書かれています。 看板の左下(図1)には「下界★仙人」(げかいこうせいにん。★は病垂れに缶という字)「麹部尚書」(こうぶしょうしょ)と書かれた落款が押されています。「麹部尚書」とは「工部尚書」をなぞらえたものではないかと考えられています。 具体的な年代は不明ですが、18世紀頃のものと思われます。 |
図1 | |
図2 | |
図3 | |
図4 | |
語注 |
粕壁宿(かすかべしゅく):江戸日本橋から千住、草加、越谷に続く日光道中4番目の宿場町。 国立薬草園(こくりつやくそうえん):現在の市立中央図書館の敷地にあった施設。大正11年(1922)に内務省薬用植物園として開園し、昭和13年(1938)に厚生省へと移管され、昭和55年(1980)にはつくば市へと移転。世界各地の薬用植物約3000種の栽培管理・品質改良が行われていた。 亀田鵬斎(かめだ ほうさい・ぼうさい):宝暦2年〜文政9年(1752〜1826)。江戸時代後期の儒学者。通称文左衛門。幼名は弥吉。名 |
参考文献 |
『春日部市の文化財』(春日部市教育委員会 1979) 『亀田鵬斎』(杉村英治 三樹書房 1985) 『江戸の文人交友録 亀田鵬斎とその仲間たち—渥美コレクションを中心に—』(世田谷区立郷土資料館 1998) |
その他 | (このページの製作者 令和2年度博物館実習生・榎本茅菜) |
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