郷土資料館の収蔵資料

収蔵資料の紹介

資料名 埼玉県下江戸川筋御猟場絵図 (さいたまけんかえどがわすじごりょうばえず)
年代 明治39年(1906)3月以降
法量 33.2×84.4cm
資料種別 歴史資料
文化財指定 未指定
収蔵番号等 水角関口家文書№131
資料写真
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解説 埼玉県下に広がる江戸川筋御猟場は、宮内省御猟場のひとつで、明治16年(1883)に陸羽街道(日光街道)を境界に東に広がる区域でした【図1】。明治17年(1884)6月、県界の江戸川を東端とし、西は岩槻街道、北は権現堂(幸手市)、南は八潮(八潮市)という広い区域に設定されました【図2】。明治39年(1906)3月には粕壁町(春日部市)・南桜井村(春日部市)を北端とした区域に縮小されました【図3】。
 この絵図は、江戸川筋御猟場の猟場監守を勤めた家に伝えられたもので、その職務に関わって作図されたものと考えられます。本図は、明治39年3月以降の江戸川筋御猟場を示し、県下の御猟場は6つに区分され、それぞれに見廻りの監守が置かれ、これを束ねる監守長や、監守の職務を補佐する見回(みまわり)や餌差(えさし)が配置されたことがわかります。また、町村毎に獲物となる鳥の名が記載されており、市域では鷭(ばん)・雁(かり)・雉子(きじ)などを捕獲できました。
 実際に、明治33年(1900)6月には、徳川慶喜が鷭猟(ばんりょう、鷹狩をして鷭を獲る猟)をおこない、粕壁町に宿泊しています。また、昭和戦前には、南桜井村西金野井に皇族伏見宮が遊猟に訪れ、住民が遊猟の案内をしたという伝承もあります。
 江戸川筋御猟場は、拡張・縮小を繰り返し、昭和26年(1951)に廃止されました。
図1
図2
図3
図4
語注 江戸川筋御猟場(えどがわすじごりょうば) :明治16年(1883)、埼玉県・千葉県の江戸川沿岸に設置された御猟場。
御猟場(ごりょうば): 明治時代に全国各地に設置された皇室専用の遊猟場。皇族のほか、政治家や官僚なども使用し、伝統的な狩猟が行われた。
猟場監守(りょうばかんしゅ): 御猟場内を巡視し、密猟者の取り締まり、有害動物の捕獲駆除などを行った。地域の有力者が採用された。
監守長(かんしゅちょう) :猟場監守を統括する者。
見回(みまわり): 監守の職務を補佐し、猟場内を巡回する
参考文献 『最後の将軍がみた春日部―野鳥と御鷹場・御猟場―』(春日部市郷土資料館、2013年)
その他