郷土資料館の収蔵資料

収蔵資料の紹介

資料名 粕壁国民学校1年生の絵手紙(かすかべこくみんがっこういちねんせいのえてがみ)
年代 昭和20年(1945)1月
法量 10.8×16センチメートル
資料種別 歴史資料
文化財指定 未指定
収蔵番号等 428-1〜36
資料写真
解説 この資料は、昭和20年(1945)1月、粕壁国民学校(現春日部市立粕壁小学校)の一年松組の児童が、ある青年兵に宛てた慰問の絵手紙です。絵手紙をもらった青年兵は、三重県の海軍に配属された粕壁町の出身の方で、一年松組のある児童のお兄さんでした。絵手紙は、全部で35通あり、児童一人ひとりがたどたどしい文章や挿絵で思い思いに手紙を綴っています。
手紙の文面の一部を紹介すれば以下のようになります。
「ヘイタイサンオゲンキデスカ」「ヘイタイサンモオゲンキニタタカテクダサイ」などと青年兵の身を案じるもの、「ベンキョヲマイニチヤテイマス。ニチヨウビデモアソバナイデ、ベンキョウヲヤテイマス」「お正月ニヲモチヲイアダキマシタ」などと自分の近況を報告するもの、なかには「アメリカヤイギリスヲヤツケテクタサイ。ニクラシイベイエイヲヤツケテクダサイ」などと当時敵国だったアメリカ・イギリスを打ち負かすように願う文面や、「ボクモオキクナテヘイタサンニナテゲンキニヤリマス」と将来の出征を希望するもの、「アメリカノヒカウキガマイバンキマスカラチツトモユツクリデキマセン」と粕壁の上空に戦闘機が飛来し、空襲に備えて落ち着かなかったことなどが記されています。
挿絵は、平和に縄跳びをしたり、学校に登校する絵などを描いたものもありますが、日本軍の戦闘機が敵機を撃ち落す絵、戦闘機の飛ぶ空の下で羽子板遊びをする絵など、戦時下ならではものが目立ちます。
ある児童の手紙には「兵タイサンオタヨリアリガトウ」とあるので、青年兵の手紙に対する返信なのかもしれません。また「コナイダハ○○サンノオトウサンニミンナデテガミヲダシマシタ」と記す手紙もあることから、この学級では、児童の家族の出征者に手紙を宛てていたのかもしれません。
これらの絵手紙は、当時8歳ほどの幼い子どもたちが体験した、アジア・太平洋戦争下の暮らしや心情を伝える貴重な資料といえます。
この絵手紙が出された約半年後の昭和20年8月15日、終戦となりました。
図1
図2
図3
図4
語注 国民学校(こくみんがっこう):小学校に代わり昭和16年度(1941)から実施された初等教育機関。初等科6年と高等科2年の8年制(高等科は実施延期のまま終戦を迎えた)。昭和22年(1947)3月廃止。
アジア・太平洋戦争(あじあたいへいようせんそう):アジア・太平洋地域での日本と連合国との戦争。昭和16年(1941)12月8日〜昭和20年(1945)9月2日。この戦争による犠牲者は、日本310万人以上、アジア・太平洋地域で合計1900万人以上と推定。春日部市域からは1017名の方が出征され、命を落とした。
参考文献 『春日部市史 第6巻 通史編2』(春日部市教育委員会、1995年)
『春日部市史庄和地域 近代・現代』(春日部市教育委員会、2013年)
『岩波日本史辞典』(岩波書店、1999年)
その他