郷土資料館の収蔵資料

収蔵資料の紹介

資料名 備後石井家伝来の俳額(びんごいしいけでんらいのはいがく)
年代 嘉永元年(1848)9月
法量 50.5×189.3センチメートル
資料種別 歴史資料
文化財指定 未指定
収蔵番号等 259-24
資料写真
解説 この俳額は、俳諧の一派で葛飾蕉門の三代目にあたる素丸の門人で、備後で「宜春園」(ぎしゅんえん)として活躍した石井文龍を輩出した石井家に伝えられたものです。元々、春日部地域を中心とした葛飾蕉門の流れを汲む者たちによって作られ、嘉永元年(1848)9月の墨書があり、神社あるいは寺社に奉額されていたものです。額には、白鵞による菊花の俳画が描かれ、26名の俳句が寄せられています。
俳句を寄せた者には、「宜春園 吟路」、「其日庵 錦江」という名前があります。「宜春園 吟路」は、石井文龍の後に、宜春園を号としていた人物で、「其日庵 錦江」は葛飾蕉門の九代目にあたり、判者を務めていた人物です。松尾芭蕉を俳聖として広まった江戸時代後期の俳諧は、点取り俳諧ともよばれ、門人の句を評者が審査し、評価することが一般的でした。
そのほか、嘉月、白鵞、楽山の3名は、落命した武士の魂を鎮魂する目的で建てられたほろ墓(市内銚子口に所在・嘉永7年建立)にも俳句を寄せています。
この俳額は、葛飾蕉門の流れを汲む人々が春日部地域に広がっていたことを示すものです。

俳額には次の名前・村名が確認される。「催主 嘉月 補助 梅林、亀永、大枝 素船、要昇、之孝、秀月、梅兒、備後 笑山、素林、蘭?、大場 竹露、昇月、原棠、有中、新方袋 馬六、千里、和月、岱山、銚子口 陽花、白鵞、大川戸 香鼠、不曲楼 楽山、宜春園 吟路、得々庵 素円、其日庵 錦江」
図1
図2
図3
図4
語注 葛飾蕉門(かつしかしょうもん):松尾芭蕉の俳友山口素堂を祖とする、埼玉県域では東南部の粕壁・松伏・大川戸周辺に門人が多かった系譜で備後・大畑村を中心に活動していた。
宜春園(ぎしゅんえん):石井文龍が授けられた号。後に、吟路に伝来する。
其日庵(きじつあん):葛飾蕉門の中心となる人物が代々受け継ぐ号。
判者(はんじゃ):歌合・句合を目利きし、鑑定する者のこと。
参考文献 『日本俳書大系 15』(日本俳書大系刊行会、1927年)
春日部市史編さん委員会『新編図録春日部の歴史』(2016年)
春日部市教育委員会『春日部市昔むかし』(1997年)
その他 (このページの製作者 令和2年度博物館実習生・金田恭一)