郷土資料館の収蔵資料

収蔵資料の紹介

資料名 西金野井回漕店の板木(にしかなのいかいそうてんのはんぎ)
年代 明治10年代(1877〜1886)
法量 2.5×9.0×2.5センチメートル(乗船券)、17.5×16.0×2.1センチメートル(広告)
資料種別 歴史資料
文化財指定 未指定
収蔵番号等 岩井家文書278・282
資料写真
解説 この資料は、西金野井の回漕問屋(かいそうどんや)を営む旧家に伝わった板木(はんぎ)です。
小さい方の板木(図1)には、「第 号 自西金野井 至 」「乗客壱名券」「賃金 」「岩井回漕店」と刻まれており、西金野井発の乗船券の板木であるとわかります。
大きい方の板木には、「広告」とあり、回漕店の広告の板木であるとわかります。
広告の板木には、次のような文章が刻まれています。「私儀往古ヨリ荷物受払船積問屋営業罷在候処、各々様方ノ御引立ヲ蒙リ日増繁栄仕難有奉存候、今般私儀運送会社入社致シ、汽船乗客取扱仕、和船早船安価ニ毎日東京へ出帆致シ候間、自今一層御客様方ハ勿論御荷物等注意尽力取扱候間、何卒四方の諸君陸続ニシテ御来車且津出シ方奉願上候也」「利根川通り西金野井川岸通運丸発着取扱廻漕店岩井八郎」「明治十 年 月 日」
これによると、明治10年代に、西金野井の岩井家は運送会社に加盟することになり、西金野井に東京に向かう蒸気船が毎日発着するようになったこと、蒸気船は荷物や人を従前の和船や早船よりも安価に運べることを広告しています。江戸川の開削以後、西金野井には河岸が設けられ、粕壁宿をはじめとして周辺農村の年貢米の津出しなど物資集散の一拠点となりました。岩井家は、少なくとも享保年間には河岸問屋(かしどんや)を営んでいたことが確認されます。明治以降も江戸川に蒸気船が就航すると、関東地方各地と東京を結ぶ主要な流通産業として栄えましたが、鉄道や自動車産業が成長すると、舟運業は衰退しました。
江戸川には、昭和初めまで大型の蒸気船が、昭和30年ごろまでポンポン船などが走っていたといいます。本資料は往時の河岸場の賑わいを伝える貴重な板木といえます。
図1
図2
図3
図4
語注
参考文献 『春日部市史 庄和地域 近代・現代』(春日部市教育委員会、2013年)
その他