収蔵資料の紹介
資料名 | 水戸浪士金子借用証文(みとろうしきんすしゃくようしょうもん) |
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年代 | 元治元年(1864)5月 |
法量 | 42.7×30.5センチメートル |
資料種別 | 古文書 |
文化財指定 | 未指定 |
収蔵番号等 | 中島家文書1995 |
資料写真 |
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解説 |
この資料は、水戸藩の浪人・天狗党千葉小太郎ら4名が、西宝珠花村釜屋新蔵より金61両3朱を借用した時に取り交わした証文です。 元治元年(1864)5月26日、水戸藩の浪人・天狗党千葉小太郎ら4名は、下総国野田町(現千葉県野田市)周辺に出没し、野田の醤油醸造の商人たちから軍資金を徴収しました。攘夷のために水戸藩をはじめ諸藩の有志たちが太平山に屯集し、費用がかかるので軍資金を借用したいというものでした。同時に、千葉たちは、江戸川対岸の河岸場西宝珠花の商人らに手紙を宛てました。手紙の内容は、「国事」について話したい事があるので、明日早朝に一同で来るようにというものでした。これをうけて、西宝珠花の商人たちは、一同で相談し、軍資金を貸与することはできないと浪人たちに申し入れます。 ところが、浪人たちは立腹し、「夷人之取計」(外国人のように取り計らう)と脅してきました。実際に、千葉たちが暴力を奮うことはなかったようですが、釜屋市兵衛が700両、鉄具屋(かなぐや)仁兵衛が300両、釜屋源兵衛が200両、釜屋新蔵ほか6名が500両を貸与します。このほかに清水屋治兵衛・釜屋作兵衛らも出金し、西宝珠花では総額1800両もの軍資金の貸与をすることになりました。 「長久記」(市指定文化財)によれば、天狗党の脅迫により、町内が静まり、祇園祭も静かに執り行われたと記されています。天狗党に目をつけられた西宝珠花の町は、江戸川の河岸の町として相当賑わっていたことが想像できる資料です。 |
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語注 |
天狗党(てんぐとう):水戸藩士のうち尊王攘夷運動の過激派・改革派。元治元年(1864)3月27日、筑波山で挙兵し、攘夷決行のため関東各地の富家を脅し、軍資金を集め、要求に応じない者には暴力をふるい、放火をすることもあった。 攘夷(じょうい):幕末期に外交・通商に反対し、外国人を排除する思想。攘夷は夷狄(いてき)を攘(はら)う意。 太平山(おおひらやま):栃木県栃木市 長久記(ちょうきゅうき):西宝珠花村の薬種問屋境屋の家記。4代にわたり約100年間の記事がある。市指定有形文化財。 |
参考文献 |
『幕末のかすかべ—開国・攘夷・天狗党—』(春日部市郷土資料館、2012年) 『春日部市史庄和地域 原始・古代・中世・近世』(春日部市教育委員会、2013年) 『芝田家文書 長久記』(庄和町教育委員会、1976年) |
その他 |
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