収蔵資料の紹介
資料名 | 日光道中の道標(にっこうどうちゅうのみちしるべ) |
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年代 | 江戸時代 |
法量 | 120×21.5×19.8cm(右)、183×29.5×22cm(左・複製) |
資料種別 | 歴史資料 |
文化財指定 | 未指定 |
収蔵番号等 | 常設展示 |
資料写真 | |
解説 |
道標(みちしるべ)は、通行人が道に迷わないように道沿いに建てられた道路標識です。現在まで残っているものは、石造のものがほとんどですが、江戸時代には木で造られた道標もあったようです。 郷土資料館の展示室にある二つの道標は、いずれも江戸時代、日光道中が通っていた粕壁宿付近に建っていたものです。写真左側のものは複製品で、元の位置・方角とは異なりますが、現在も春日部大通りに建っています。木製の立札が朽ちたため、天保5年(1834)に粕壁宿名主関根次郎兵衛らにより高札場付近に建てたられたもので、 「西南 いハつき(岩槻)、北 日光、東 江戸、右の方 陸羽みち」と刻まれています。 右側のものは、古利根川の川浚(かわざら)いの時、新町橋のたもと付近で発見されたものです。新町橋を渡って、八丁目側に建てられていたと考えられています。この道標には、「向 江戸道、此方宝珠花二里・野田三里・金ノ井一里半・岩井四里、此方日光道中・関宿道四里八丁・是ヨリ三町先庚申塔ヨリ右別」と刻まれています。「庚申塔ヨリ右別」とあるのは、小渕の追分に今も残る庚申塔と道標を指しています。庚申塔脇にある宝永六年(1709)建立の道標には、「左あふしう(奥州)道、右せきやと(関宿)道」と刻まれています。 |
図1 | |
図2 | |
図3 | |
図4 | |
語注 |
道標(みちしるべ):道の行き先や現在地などを示す標識。近世の道標は個人や組織の慈善的行為として設置されたため、設置に際し五街道では道中奉行の許可を必要とした。現存する道標は石造がほとんどだが、純粋な道標は少なく、石仏や供養塔などと兼ねあわせて作ったものが大半で、庶民の信仰心がこめられている。 宝珠花(ほうしゅばな):現在の春日部市西宝珠花。江戸川の河岸があり、町場として栄えた。 野田(のだ):現在の千葉県野田市野田。醤油の醸造が盛んであった。 金ノ井(かなのい):現在の春日部市西金野井。 |
参考文献 |
その他 |
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