郷土資料館の収蔵資料

収蔵資料の紹介

資料名 鷹番廃止の高札(たかばんはいしのこうさつ)
年代 享保6年(1721)7月
法量 36.7×61×3.2センチメートル
資料種別 歴史資料
文化財指定 未指定
収蔵番号等 収蔵庫
資料写真
解説 この資料は、市内の上蛭田地区に伝来した高札です。
江戸時代、幕府は庶民を統治するための根本法を高札として掲げました。
法令の内容は、鷹番を廃止し、村の者が常々注意して密猟者を取り締まるように命じたものです。鷹番とは、鷹狩りの鷹につけられる番人のことです。これ以前、鷹番は、鷹1居につき3人の人足が現地の農民に課せられ、夜は有明行灯を灯すなどして、 1日中見張るものでした(『越谷市史 三 史料一』p689)。鷹番は、鷹狩時の事故(鷹が野良犬等に襲われる・狩りの際にどこかに行ってしまう等)を未然に防ぐものとして、また無許可の鷹狩りを取り締まる目的で設置されたものと考えられます。しかし、鷹番は地域の負担と判断されたため、享保6年に廃止されました。
江戸時代、市域は将軍の鷹を訓練する捉飼場という鷹場に指定されており、鷹の訓練を担当した鷹匠がしばしば訪れました。幕府の鷹場では、幕府の鷹匠や一部の大名による鷹狩りのほかは、原則的に鳥を獲ることは禁じられていました。
この高札は、幕府の鷹場の町や村に掲示されたもので、無許可で鳥を獲る疑いのある者を村中で取り締まることを命じ、密猟者を取り締まらなければ、名主はもちろん全村人を処罰すると定めています。村による密猟者の取り締まりを明文化した高札として効力をもち、鷹場が廃止されるまで各町・村の高札場に掲示され続けました。市域では慶応4年正月にこの高札の取り外しを命ずる法令が回達されています。
図1
図2
図3
図4
語注 高札(こうさつ):法令を広く一般に告知するため、法令内容を墨書した板を掲げたもの。江戸時代では人々が往来する場所(道路の辻)や名主の屋敷内に高札場(高札を掲げる場所)が設置されることが多かった。
捉飼場(とらえかいば・とりかえば):幕府の鷹場の一つ。主に鷹匠が将軍の鷹を訓練・調教するための場として利用された。享保年間(1716-1735)以降、春日部市域をはじめ、埼玉県東部地域は捉飼場だった。なお、幕府の鷹場は慶応3年(1867)5月に廃止された。
参考文献 『最後の将軍がみた春日部—野鳥と御鷹場・御猟場—』(春日部市郷土資料館、2013年)
『春日部市史近世史料編2』(春日部市教育委員会、1980年)
『春日部市史近世史料編5』(春日部市教育委員会、1990年)
『越谷市史 三 史料一』(越谷市教育委員会、1973年)
『御触書寛保集成』(1934年、岩波書店)
その他