春日部はじめて物語 水道編
あらゆる物事にははじまりがある。春日部における、物事の始まりをこそっと教える「春日部はじめて物語」。第一回目(最終回かもしれませんが)、皆様の生活に潤いを与える水(水道)の話です。水道の整備は、都市への移り変わりの歴史でもあります。
春日部で、水道が使われるようになったのは、昭和29年(1954年)4月のことです。当時は、春日部町。この年の7月に、「春日部市」が誕生しましたので、水道は春日部市の誕生より少し前から利用されていたことになります。
昭和29年の春日部市の人口は、3万人ほどでした。はじめ、水道を使うようになったのは、市街地のわずか5000人ほどの人たちで、それ以外の人は、井戸の水を使っていました。
水道が普及する以前、赤痢(せきり)や疫痢(えきり)など、消化器系の感染症が流行ることがありました。この解決策として水道は整備されていきました。
昭和30年(1955)以降、春日部市の人口は急激に増えていきます。人口が増えると水道の利用も増え、飲料水が不足することになります。市は、水源を確保するため、深井戸をほる工事を進めました。
深井戸は、従来の井戸(浅井戸)に対し、30メートル以上の深さから地下水を利用するもので、機械を組み立てて掘削します。当時の広報誌の写真がのこっています。
昭和35年(1960)3号深井戸さく井
昭和38年(1963)4号深井戸さく井
昭和39年(1964)5号深井戸工事
相次いで、各所に深井戸が掘削されたのです。
しかし、 昭和37年(1962)9月15日の埼玉新聞によれば、当時、春日部市では全市の73%にあたる2万7000人に給水するが、後から給水が開始された農村部、武里の大畑・大枝・備後付近では水の出が悪く、7、8月には学校の給食やプールの水に事欠き、家庭でも水が出ないために氷を買っているありさまだ、と報じられています。
昭和41年(1966)7月武里地区での水道管工事
さらに、人口が激増するなか、水をろ過、滅菌処理する浄水場の建設も相次ぎました。
昭和37年(1962) 北部浄水場が完成
昭和42年(1967) 南部浄水場が完成
昭和45年(1970) 東部浄水場が完成
昭和49年(1974) 庄和浄水場(県の施設)が完成
昭和50年(1975) 西部浄水場が完成
現在、春日部市の水は、江戸川の表流水、地下水が水源となっています。