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謡曲「隅田川」の舞台と梅若塚『新編図録春日部の歴史』からーその6

「梅若忌(うめわかき)」という晩春の俳句の季語は、謡曲(ようきょく)「隅田川」で人買いにさらわれた梅若丸が隅田川で亡くなった旧暦の3月15日を表します。今年は4月11日が旧暦の3月15日にあたります。


梅若の伝説は、東京都墨田区と春日部市が伝承地と言い伝えられています。物語に出てくる「隅田川の渡」も、墨田区の場合は古代東海道の渡(わたし)、春日部市の場合は中世の奥州道が春日部市新方袋の近辺で隅田川(現在の古隅田川)を渡っていたと考えられています。

どちらが史実の舞台であるかといった研究は江戸時代から行われており、近世期に学問が広く普及し、地域の文化を見直す動向が芽生えていたことがわかります。しかしながら現在に至るまで確たる根拠は示されてはおらず、その真相は不明です。


梅若の伝説にとどまらず、墨田区と春日部市には、同じ地名や似た地名が多くみられます。これもどちらの地名が最初なのかはわかりませんが、川を通じた人々の交流が古い時代からあったことを示しています。


「隅田川の渡-謡曲「隅田川」の舞台-と梅若塚」 『新編図録 春日部の歴史』72ページ


満蔵寺境内図(『新編武蔵風土記稿』) 満蔵寺裏に隅田川(古隅田川)が流れている


満蔵寺梅若塚(新方袋)