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校長室のひとりごと

校長室のひとりごと「空からの贈り物」

 昨日、出勤すると教頭先生から「これが落ちていました」と紙が付いた割れたピンク色の風船を手渡されました。何かと思いその紙を見れば表には「武蔵村山市立第一小学校」の名前が印刷されていました。そのピンク色の風船に付けられた紙(手紙)をもう一度よく見れば、表には5月23日の日付で「110周年おめでとう」と、また「開校110周年を記念して風船を飛ばしました。拾われた方はメッセージをいただければうれしいです」と印刷されていたため、この風船が何なのか理解できました。紙の裏面には、鉛筆で書かれたこどもの字で手紙が書かれていました。内容は「学校でヤギを2匹飼っていること」「何かのスポーツをやっていて勝ち進み優勝したいこと」などが可愛らしい字で書かれており「この手紙を読んでくれてありがとう。5年」と締めくくられていました。
 小学5年生が、間違えては消しゴムで消し、書き直しながら、最後の行までビッシリと字が書かれており、一生懸命手紙を書いている姿が頭に浮かんできました。自分が通う歴史と伝統ある第一小学校の110歳の誕生日に、大空という無限で未知の世界に向けて自分が書いたメッセージを風任せの風船に託すという、小学生にとってはワクワクするイベントだったに違いありません。
 以前、市内小学校の周年記念行事に招かれた際に同じように風船メッセージを児童が飛ばしたことがありました。子供たちが声高らかに「せーのっ!」と満面の笑みで風船を放ち、いつまでも見えなくなるまで大空の風船を見ていた、あの輝くまなざしを思い出しました。今回の件があり、その市内小学校の校長先生に電話して伺えば「風任せだから、実際には人が暮らす街なのか、海の真ん中なのか、山の中なのか、どこに飛んで行くかわからないし、ほとんどメッセージは返ってこなかった」と教えてくださいました。
 子供たちの夢を乗せた風船にしては、現実はそんなものかと淋しい気持ちになり、私なりに少しでも武蔵村山市立第一小学校のためになればと、返事を書き早速割れた風船とそれに付けられた手紙を返送しました。

 ピンク色の割れた風船、そこにテープでとめられた雨風にさらされた跡の残る紙に、鉛筆で書いては消し書き直しを繰り返された空からの贈り物の手紙。
何となくホッコリと心温まる一日でした。

校長室のひとりごと「ごみゼロの日」

 今日5月30日は「ごみゼロの日」。野田市では26日(日)に江戸川クリーン作戦が行われましたが、全国各地で様々な形で「ごみゼロ」にちなんでクリーン作戦などが計画されていようです。
 この「ごみゼロの日」、始まりは1970年代、愛知県のある山岳会の「美しい山を守るために落ちているごみを見つけたら拾って持ち帰りましょう」という呼びかけが広まり、その後官民一体となって更に全国に広まり今日の「ごみゼロの日」に至っているそうです。
 当時は、自然の中に捨てられたゴミを拾いきれいな山、環境を維持することが目的でしたが、最近のゴミ事情は、そう単純な問題ではなくなっています。皆さんもご存じのとおり、2015年の国連サミットで全加盟国が合意した、持続可能な開発目標いわゆる「SDGs」について「何か学校としてできないか」「どうしたら生徒たちの意識が高まるか」私は常に考えています。そんなこともあり色々と調べを進めると「ゴミ問題」がやはり地球にとって喫緊の問題だと学びました。近年ファストフードでは、プラゴミを出さないためにストローなどを紙製品に変更したり、スーパーやコンビニでは袋を有料化が進んでいます。

 ちなみに、自然に放置されたゴミが自然に戻るには「ペーパータオルが3週間」「レジ袋が20年」「発泡スチロールが50年」「ペットボトルが400年」かかると言われています。また2050年の海はプラスティックゴミの数が、全海洋生物の数を上回るのではとも言われています。衝撃的な話です。もう少し身近な話として日本の1年間の食品ロスは「洋菓子が1905㌧」「パンは3468㌧」「豆腐が4148㌧」「乳製品に至っては6360㌧」とも言われています。(プール1杯分で約360㌧)
 「落ちているごみを拾おう」と始まった「ごみゼロの日」ですが、今では「ゴミの削減」「ゴミを出さない」ための活動に変化しつつあります。
 次の世代、またその次の世代にと美しい地球を引き継ぐために、一人一人ができることを続けることが大切なのだと改めて考えさせられました。

校長室のひとりごと「市内陸上大会」

 野田市総合公園陸上競技場において、野田市中学校陸上競技大会(以下、市内陸上大会)が本日開催されます。天候が心配されるところですが、これまで練習してきた成果を発揮し、自分の記録の更新を目指して頑張ってほしいと思います。
 市内陸上大会は、昭和25年の第1回大会開催から、今回で75回(令和2年度はコロナのため中止)を数える歴史と伝統ある大会です。今、HPをご覧になっている方の中にも出場した経験がある方もいらっしゃるかもしれませんね。
 先日、各種運動部の市内大会が行われましたが、この陸上大会は、陸上部という部活動単位の大会ではなく、どこの中学校も全校生徒の中から選手を選抜し、各種目にエントリーするという、個人の順位はもちろんですが、学校対抗戦の形式で行われてきました。
 過去74回の大会の歴史の中で本校は、昭和40年の第16回大会で女子優勝、昭和44年第20回大会で男女総合優勝、平成17年第56回大会で男子優勝という結果を残しています。
 そういえば、私が教員になりたてのころには、陸上大会だけではなく、市内体操競技大会、市内水泳大会も同様に行われていました。その頃は体操部や水泳部がある学校もありましたが、近年、これらの部活動はなくなり、体操競技も水泳もクラブチームが主の活動場所になっていることもあり、学校対抗の市内大会は行われなくなりました。
 今日、本校からは普段は陸上部以外で活動している選抜選手と陸上部員、併せて42名が参加しています。記録や順位ももちろん大切ですが、一人一人が納得のいく「走り」ができることを願っています。

校長室のひとりごと「SNSの恐ろしさ」

 若者たちは、不特定多数の相手だったり、複数人でグループを作ってSNS等でメッセージのやりとりしています。次のメッセージのやり取りをご覧ください。

A「何時にどこに行けば良いの?」 B「なんでくんの?」
 これは、休みの日にみんなで遊ぶ約束をしていた友達同士のやり取りです。これがトラブルの原因となりトラブルに発展してしまいました。理由がおわかりでしょうか。Aは確認の意味で集合時間と場所を尋ねます。良くあることです。Bは歩きなのか自転車なのか、それともバスなのか手段を尋ねたつもりです。しかし、Bからの返信を見たAは、「なんで?ってお前から誘ったんだろうよ」と怒り始めけんかに発展してしまいました。
 二つ目の事例です。
C「今日はゴメンね」 D「もういいよ」
 仲良しの女子小学生同士のやり取りです。学校で些細なケンカをしてしまって互いに帰宅後のことです。きつく言い過ぎたと思ったCは仲直りしようとメッセージを送りました。Dは少ししてからメッセージに気付き「もう怒ってないよ!」の意味で「もういいよ」と返信しましたが、Cはすぐに返信がなく不安な思いを巡らせ返ってきたのが「もういいよ」。怒っている口調の「もういいよ」〇〇ちゃんなんてもう知らない!の意味に捉えてしまい気まずい日々が続いてしまいました。
 三つ目の事例です。
E「〇〇って□▽くんに似てない?」  F「そうかな?少しは似てるかも」  G「オモシロいね」
H「おもしろくない」…
 これは女子数人のグループでのチャットです。EとFとGの3人で他愛もない会話をしていると、同じグループ内のHがチャットに入ってきました。それ以外にも同じグループには何人かいますが、そのE、F、G以外の女の子たちにあてて「ねえねえ面白いよ、ね、面白くない?」とHはメッセージを送ったつもりでしたが、「?」をつけ忘れたばかりに、E、F、Gは「つまらない」の意味で受け取ってしまい、Hはそのグループから退会されてしまいました。

 SNSのレスポンスの良さが故に、きちんと文章にせず一言二言で瞬時にやりとりするため、こんな勘違いですらトラブルに発展してしまいます。これらの事例を参考に、お子さんをトラブルから守るためにも、ご家庭で一緒に考える時間を作ってほしいと思います。

校長室のひとりごと「開幕まで2ヶ月」

 7月26日のパリ五輪開会式まであと2カ月となりました。各競技の選考会も大詰めにきています。今から日本チームの活躍が楽しみですね。
 記憶に新しい前回の東京五輪では、野球・ソフトボールが北京大会以来の復活となり、空手(公開競技)、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィン、BMXなどの新種目として採用されました。今回のパリ五輪では「ブレイキン(ブレイクダンス)」が新たに採用されるそうですが、野球・ソフトボール、空手は不採用となってしまいました。
 1896年に第1回近代オリンピックがギリシャのアテネで開催されてから今回のパリ大会で128年、時代の流れとともにオリンピックも随分と様変わりしてきました。その様変わりの一つに「実施種目」が挙げられます。もともとオリンピックのモットー「より速く、より高く、より強く」は、より優れた卓越性を追求しベストを尽くすというオリンピアンの価値を示す言葉ですが、近年その考えも随分と変化してきています。その背景には「五輪の商業化」や「時代の変化」などによる価値観の変化などがあります。前回の東京大会も例外ではなく、五輪開催には莫大な金銭が動きます。その莫大な金銭を回収するためには、どちらかといえばコテコテの昭和の体育会系の競技だけではなく、レクリエーション的というか、遊び感覚の「ストリート系」スポーツを好む子どもや若い世代を取り込む必要があるようです。ちなみに新種目の採用案には「チェス」「スカッシュ」「eスポーツ」なども議論の対象になっているそうです。
 スポーツを通した人格形成と世界平和という基本理念も時代の流れや社会の変化に伴い、
潮流との調和をとりながらの開催が、これからの持続可能なオリンピックへの進化には必要なのでしょう。

校長室のひとりごと「校則の改定」

 『人間誰しもが「自由に生きる権利」を有しています。憲法の基本的人権の尊重でも様々な自由が記されていることからも裏付けられます。しかし自由だからと思うままに行動して良いかは別問題です。混んでいるからと行列に割り込んだり、急いでいるからと赤信号で渡って良いかといえばそうではありません。みんなが安心して自由に生活するために社会のルールやマナーが存在するからです。
 「自由」に似て「勝手」という言葉がありますが、似ているようで正反対の意味を持ちます。「勝手」でわがままな言動は、周囲の人に迷惑をかけたり嫌な思いをさせてしまいます。一方「自由」な言動は、そもそも社会のルール・マナーを尊重しているため、誰にも迷惑をかけず、嫌な思いをさせることもありません。無人島でない限り「互いの自由」を尊重するためにルールやマナーが存在するのです。
 スポーツにもルールがありますが、用具の進歩など取り巻く環境の変化に伴い、選手の安全のため、ルールが加わったり複雑化していきます。自由の範囲が狭まると、「これなら大丈夫だろう」と抜け道を探す選手も出てきてしまいます。人間の心理として、ルールが細かければ細かいほど抜け道や隙間を探し、つまり先端の葉っぱや枝先ばかりを見つめ、太い幹や一本の木、森全体が目に入らなくなってしまいます。
 「校則」も同様です。一人一人の生徒が自由で安全に学校生活を送るためには一定のルールが必要です。しかし時代の流れや社会の変化に伴い、付け加えられ、細分化し複雑になったルールでは、校則本来の意味から離れてしまい「枝や木を見て森を見ず」、冷静な判断力を見失いがちです。それが今回の「校則の改定」の理由です。
 これから生活する中で疑問も出てくるかもしれません。その時には、先端の葉っぱや枝先だけではなく、冷静に一本の木、そして森全体を見渡して見てください。
 244名全員にとって居心地がよく自由で安心できる学校になると良いですね。』

 昨日の生徒総会での「校則改定」を受け、総会の最後に校長として話した言葉を紹介しました。

校長室のひとりごと「地球温暖化」

 長期予報では、6月、7月、8月は今年も平年より暑く、猛暑・酷暑となる日が多いそうです。生徒たちの熱中症の心配からか、日頃から「地球温暖化」「気候変動」という言葉に敏感に反応してしまいます。
「地球温暖化」「気候変動」で思い浮かぶのは「京都議定書」です。1992年京都で開催された地球温暖化防止会議では、先進国の二酸化炭素など温室効果ガスの排出量の削減目標が定められました。これを「京都議定書」と呼んでいます。そして、その続編とも言えるのが「パリ協定」です。パリ協定は2015年国連において気候変動問題に関する国際的な枠組みが採択されました。その枠組みとは「2020年以降の気温上昇を産業革命以前に比べ+2℃より低く保つ」という世界共通の長期目標です。
 いつものように新聞に目を通していると「パリ協定の目標超過」という見出しが飛び込んできました。記事を読むと「2023年の北半球の気温が、過去2000年で過去最高だったと英科学雑誌で発表された」ということです。更に読み進むと「1850年から1900年頃の産業革命の平均気温に比べ2.07℃上回ってしまい、既に「パリ協定」の世界共通の長期目標を上回った」ということです。
 記事を読みながら一つの疑問が浮かびました。「過去2000年の気温」をどうやって計ったのか?なんでわかったのか?という点です。実は記事を更に読み進めると「実際の測定と気温に応じて変わる木の年輪から推計した」と書かれていました。
 地球温暖化等、気候変動により、近年地球上は大規模な山火事、溶け始めた氷河による海面上昇、熱波と干ばつ、ゲリラ豪雨など、甚大な被害が各国で発生しています。子供や孫、その先の世代にまで青く美しい地球を残すために、自分にも何かできないか、と思いを巡らせるばかりです。

校長室のひとりごと「スマートグラス」

 「脱・学歴社会」と言われ久しくなりますが、海外には「超」がつくくらいの大学受験での競争激化が著しい国もあります。競争が激化している国の大学受験では、何とか合格しようと、時には外壁を登って窓から受験生に合図を送ったり、イヤホンをつけスマホで外部とやり取りするなど不正行為もデジタル化しています。その不正は度々日本でもニュースになるため皆さんも映像で見たことがあるのではないでしょうか。
 先日、日本でも大学受験で驚くような不正行為について報じられました。不正行為に使われたのは「スマートグラス」、メガネ型のIT機器で、そのカメラ機能を悪用し、スマホ経由で問題用紙の画像を不特定多数にSNSで配信し、正答を教えてもらおうとしたそうです。
「スマートグラスなんて厄介なものを作ったから…」なんて安易に考えてしまいましたが、調べてみたところ、そもそも「スマートグラス」には悪用されたカメラ機能だけではなく、メガネのレンズがモニターとして情報を得ることができるなど、様々な分野での活用が進んでいます。例えば、遠隔で現場の作業を指示したり、図面を見たり、映画や観劇、会議などで瞬時に多言語で字幕表示を、また職人の手先の作業をモニターに写したり、そして何より、会話を聴力障碍者へ瞬時に言語化しモニターとしてレンズに写したりと、スマートグラスで便利になったり助けられたりとIT機器の技術発展は著しいことを改めて感じました。
 スマートグラスはもとより、技術の進歩は我々の生活を便利に、そして豊かにしてくれる手助けをしていますが、その機器を使用する人間側の問題はこれからも考えていかなくてはならないと感じました。

校長室のひとりごと「人を育てる」

 我々教員の最も本質的で大切な仕事、それは人を育てることです。人を育てるうえで多くの教員が「生徒が思ったように動いてくれない」と悩むものです。人にはそれぞれの意思があり、様々な価値観があるため簡単にはいきません。経験の少ない教員は、何とか生徒たちをコントロールしようと躍起になり、うまくいかないばかりか互いにストレスをためてしまいます。一方経験豊かな教員が同じように指示を出すと、サッと生徒たちが動いてくれます。一見同じことしかしていないようでも、実は見えないところで「種をまき」、しっかりと「水をあげている」ものです。
 教員は生徒たちに話をする機会がたくさんあります。例えば毎日の「帰りの会」では必ず最後に担任の先生が話をします。経験の少ない先生は「あれも話さなくては…」「この連絡を忘れないように…」とメモした内容を必死に伝えます。言い方を変えれば教員の都合で一方的に話してしまい時間が過ぎてしまいます。経験豊かな先生は、4月からコツコツと「こんな生徒になってほしい」など考えや願いを語り、その考えや願いを生徒と共有しようとします。これが「種まき」です。また休み時間など、他愛もない雑談から上手に生徒たちの思っていること、考えていることを聞き出します。そして会話の節々に「すごいね!」「さすがだね!」と相槌を入れたりします。これが「水やり」です。こうしたコミュニケーションの積み重ねが根を張り、信頼関係のつぼみをつけ、互いに相手のことを理解し、どうしてほしいのか、どうするべきなのかを自然に考え、自分から動こうとするため、同じ指示を同じように出しても結果は違ってくるものです。
 足掛け4年のコロナ禍では、こうした「種まき」「水やり」も行動制限があり十分にできない時期が続きました。
コロナ禍が明け1年。今は職員室という畑に種をまき、時間を見つけ若い先生方に水をあげている毎日です。

校長室のひとりごと「英語検定」

 市内大会も終わり、来月の定期テストに向け取り組みを始める時期となりました。ところで高校入試の合否の判断基準は一般的に受験当日の「入試の得点」「面接等の得点」それに、これまでの「内申点」です。受験する学校により、これらの占める割合は異なります。意外と知られていないのが「内申点」です。私立の入試での推薦基準も、この「内申点」で決まる学校がほとんどです。知っているようで、はっきりわからない内申点ですが、簡単に言えば「内申点とは通知票の各教科の数字の合計」です。各教科5段階評定の9教科ですから、オール5で「45点」、3年間なら「135点」となります。また高校によって、その他の活動実績を点数化し加算しています。例えば、生徒会(委員会)活動や部活動の実績、展覧会等での表彰、英語検定などの各種検定などが加算され「内申点」となるわけです。

 先日、文部科学省が「2023年度英語教育実施状況調査」の結果を公表しました。この調査は、中学校であれば中学卒業レベルの英語検定3級取得、または3級相当の人数を、高校であれば、高校卒業レベルの英語検定準2級取得、または準2級相当の人数を調査するものです。調査結果は、それぞれの人数を%で示し、中学、高校とも前年度を上回り、中学では英検3級以上、3級相当が50.0%、高校では準2級以上、準2級相当が50.6%だったそうで、どちらも過半数に達したそうです。
 グローバルな時代に必要な資質として挙げられる「コミュニケーション能力」「英語力」の客観的な物差しとなる「英語検定」がこれまで以上に注目を集めそうです。
 2025年度の実施は断念されたようですが、大学入学共通テストの英語を、英語検定など民間のテストのスコアを採用することが検討されていることからも、より生きた英語力を身に着けた人材を求めているということなのでしょう。
 今年度も本校を会場として3回の英語検定を予定しています。多くの生徒が受験し合格を目指してほしいと思います。