校長室より

校長室より

手賀沼殉難事件について

昭和19年11月22日、その日は西風の強い日であった。手賀沼はもうすっかり冬景色となっていた。東部女教員相互視察研究会が湖北国民学校と手賀東部国民学校で開かれた。

その頃は若壮年の男子教員はほとんど出征して行って、若い女子教員がどこの学校でも半数以上を占めるといった有様であった。その若い女子教員を対象に研究会は開かれたのであった。

我孫子中央国民学校(現在の我孫子第一小学校)からは、千浜宗一郎校長以下、椎名芳子、湯下光代、浅倉ふさ、香取好子、吉元アツ、中村良子の7名が参加していた。

午前中は湖北校を視察し、授業や閲兵分列を見学したあと、午後は沼向こうの手賀東部校に行くことになっていた。一行40名は、午前11時30分、中里の渡しから船に乗った。

風は強かったが、こちら側は危険を感じさせるほどではなかった。しかし、一艘ずつでは危ないので分乗した三艘の舟を横に並べて綱で結び合わせた。

 沼に出ると風が一層強くなり、波のうねりが高まってきた。湖の真ん中まで来ると、繋ぎ合わせた綱がゆるみ始めた。舟と舟の間があき、そこから水しぶきが吹き上げてきた。若い女性の先生方は着ている着物を気にして声を上げながら体をよける。そのたびに舟はぐらりと傾いた。

「動いてはいけない。動いては危険だから、じっとしていなさい。」

千浜校長がたしなめた。

 舟があと三分の一で対岸に着くところであった。水しぶきが上がり、本能的に皆が身を寄せた時、西からの突風が襲い、あっという間もなく三艘の舟が一緒に波に呑まれ、全員が湖に投げ出された。悲鳴が波に消された。

 沼には農民の藻取り舟が出ていたのだが、丁度昼休みでみんな岸に上がって休んでいた。

それも不幸であった。

 急報はあちこちへ飛んだ。

 我孫子中央国民学校では田口教頭が残っていた。その日、生徒は早めに下校していた。

「千浜校長危篤、すぐ医者を連れてこい」

 田口教頭にもたらされた報せはこのようなものであった。使いの人に聞いても、詳しいことは分からない。田口教頭は直ぐに学校医である山下先生、矢口先生の二人に連絡を取ったが、二人とも不在であった。自転車を飛ばして日立精機の診療所へ行き、診療所の医者を自転車の荷台に乗せて現場へ急いだ。

 対岸へ駆けつけた時は、事件の発生から一時間も経っており、すでに引き揚げられた遺体が土手に並べられていた。その中に我孫子中央国民学校の千浜宗一郎校長と中村良子准訓導の悲しい姿があった。18名の教員や学生等が犠牲になった。殉難者は寒さと厚着のために水中で体の自由を奪われたのであった。

 その夜、全職員が両家に分かれて行き、しめやかに通夜を営んだ。

 11月24日千浜校長の葬儀が行われた。5年生以上の児童と全職員が会葬するため、正午に校庭に集まっていると空襲警報が発令された。そのため全員を下校させ、田口教頭が代表して参列した。

 名校長と仰がれ、我孫子小学校に「千浜時代」を作った校長の戦時教育に殉じた哀しい最後であった。

 26日には中村良子先生の葬儀が柴崎の分教場で行われ、受け持ちの4年生男子組と柴崎青山分教場の4年生以上の児童と職員が参列した。

 児童の一人は、「おっかない先生が死んだ。」と思い、四角いお棺の真っ白な被いをぼんやりと見ていた印象を語る。お棺はリヤカーで墓地まで運ばれた。

 12月2日は、千浜校長と中村先生の町葬が執行された。22日には郡教育会の主催で、殉難教員の合同慰霊祭が行われた。

 手賀沼殉難事件の慰霊碑は、今は干拓農地となっている中里の渡しを見下ろす小高い丘に、ひっそりと建っている。
(我孫子第一小学校 百年史より抜粋)

 

 私達我孫子第一小学校の先輩教員であるお二人の哀しい事件から、今年は丁度70年を迎えることになりました。

 戦争も遠い昔のような感じとなりましたが。この時代に起こった「手賀沼殉難事件」を語り継ぎ、戦争のない平和な時代に感謝し、学校で学んでいる児童の安全を地域の方と共に、しっかりと守っていきたいと切に思います。

 平成26年11月22日(土)、我孫子市立湖北小学校にて手賀沼殉難教育者慰霊式

(殉難70年にあたり)が執り行われる予定です。

我孫子市長・教育長、柏市長・教育長、両校長会・教頭会等の関係者が参列します。

ご遺族の方には心よりご冥福を申し上げます。

 11月4日の全校朝会では、校長の話としてこの哀しい事件のことを児童全員に伝えます。子ども達は、学区にあり身近に感じていた手賀沼で、過去にこのような哀しい事件が起きたことを知る機会になります。合掌。 

手賀沼殉難事件の慰霊碑にて献花
(平成26年10月24日)


 

自然は恐い 御嶽山の噴火

 10月の全校朝会で子ども達に次のようなお話をしました。

皆さんも既にテレビや新聞等で見ているように長野県にある御嶽山(おんたけさん)が、9月27日午前11時52分噴火しました。

この御嶽山は、3067メートルもある高い山で、昔から信仰の山として修行したり初心者も気軽に登れたり近年は特に登山客に人気があったようです。突然の噴火により楽しく山登りをしていた人が50名以上も亡くなったり大けがをしたりしました。

小学校5年生の女子も犠牲になるなど大惨事となりました。

 

自然の怖さについて、私達は色々と経験しています。

身近なものとしては、台風と地震、そして雷や急な大雨等があります。

台風は今年も既に19号が発生し、日本各地に被害をもたらしました。

地震も経験したことありますね。

3年前には東日本大震災があり第一小学校も大きく揺れて体育館の壁が崩れました。

幸いにもケガ人が出なかったことに感謝したいです。

 

 では、火山の噴火を経験したことある人はいますか。

この中には、恐らくいないでしょう。自然災害については、小学生でも多くを経験しているのですが、火山噴火についてはテレビ等のニュースでしかその恐怖はなかなか分かりません。

 

 我達は大きな地球に住んでいます。

この地球が誕生したのが、今から約45億年前であり、宇宙にある隕石という石がぶつかり合って、どんどん温度を上げていき、ついには真っ赤な「炎の星」になりました。

やがて、この地球に雨が降り炎だった地球は「水の星」へと変わりました。

しかし、地球の中はマグマという大変熱くてドロドロしたものがあります。

それが、時々火山などの山で今でも爆発して地表に出てきます。

私達の住んでいるこの日本は、その火山が大変に多く集まっている国です。

いつ噴火してもおかしくない「活火山」が、なんと110もあるそうです。

3776メートルもある日本一高い富士山も実は「活火山」の一つです。

最後の噴火は、今から約300年前です。

江戸時代の1707年、宝永(ほうえい)の大噴火と言って、東京の町まで白い灰は降り平均で約2センチに達し、多いところでは5センチから10センチも積もったそうです。

まるで雪が降っているようだと、当時の人々は日記に書いています。

もし今、富士山が噴火したとしたら東京の町はどうなるのでしょうか。

 

私は、改めて今回の御嶽山の噴火で、地球は生きているのだ。

日本は、火山の国なのだ。

北海道から九州まで至るところに火山があることを再認識しました。

そして、自然の力は偉大であり、恐いものだと思いました。

人間の力では到底どうにもならないものの存在を感じました。

親と教師について・・・二つの詩から

子どもは常に親から学んでいると「子は親の鏡」の作者であるアメリカの詩人ドロシー・ロー・ノルト氏は語っています。子どもは親の言葉ではなく、親の生き方や喜怒哀楽の姿から良いことや悪いことも含めて吸収しています。

次の詩は、戦後の1954年に書かれた詩ですが、世界中で翻訳されています。


  「子は親の鏡」        ドロシー・ロー・ノルト


けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる

とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる

不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、


子どもは、みじめな気持ちになる

子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる

親が他人を羨(うらや)んでばかりいると、


子どもも人を羨むようになる

叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思って


しまう

励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる

広い心で接すれば、キレる子にはならない

誉(ほ)めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ

認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる

見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ

親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る

子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ

守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ

和気あいあいとした家庭で育てば

子どもは、この世はいいところだと思えるようになる

 

私達が出来ることは、最後の一行にもある「この世はいいところだ」と子ども達に思ってもらえるような家庭、学校、社会を作ることだと思います。

  子どもを励ましましょう。誉めて育てていきましょう。

 

 

 「優れた教師は」      ウイリアム・アーサー・ワード

 

 凡庸な教師は、ただしゃべる

 少しましな教師は、理解させようと努める

 優れた教師は、自らやってみせる

 本当に優れた教師は、生徒の心に火を点ける

 

私達教師は、学校で様々なことを日々教えています。学習も勿論大事な指導事項です。生活態度や友達への思いやりも教えていきます。でも、一番大事な教えとは、子ども自身が本気でやる気になることです。いつも先生にやらされている感があっては、伸び代に限界があります。「生徒の心に火を点ける」ことは、大前提として先生のことを尊敬して、自分も一生懸命に頑張り、そして先生に認められたいと願っていることです。

 

 

人を以て鏡と為す

7月1日の全校朝会では、私は二つのお話をしました。
 一つ目は、水泳に関することです。
晴れた日はプールで水泳学習をしていますが、子どもである今のうちに25メートルを泳げるように頑張りましょう。泳げることと自転車に乗れることは大変似ています。

最初から自転車に上手に乗れる人はいませんね。みんな必死に練習して、失敗して転んで、やっと自転車を一人で乗れるようになるのです。家族の方の協力があったことでしょう。

自分の体の左右のバランスとスピードコントロールを自然と体が覚えていったのです。

でも一度自転車に心地良く乗れると一生涯乗ることができます。

水泳も同じです。高等動物である人間は、犬などの動物と違って練習をしないと水の中では泳ぐことはできません。腕と足の動かし方のバランス、呼吸の仕方、リラックス等の技術を学べば25メートルは泳ぐことができます。後は、持久力と体力を付ければもっと長く泳ぐことができるようになります。一度泳げると一生涯プールや川や海で泳ぐことができます。

 

 二つ目は、尊敬する人を持ち(目標の人)その人を手本として頑張ることが大事であるということです。

皆さんは、「尊敬する人」はいますか。・・・・・・・・

尊敬する人とは、立派だなと思う人のことです。

心から偉いなと感じる人のことです。

お父さんですか? お母さんですか? 担任の先生ですか?

塾や習い事の先生ですか? 歴史上の人物ですか?

友達にも尊敬する人はいますか?

 

皆さんは柔道というスポーツを知っていますね。

柔道は、日本で生まれて全世界に広まりオリンピック競技までになった立派なスポーツです。

この柔道を作ったのが「柔道の父」とも呼ばれている嘉納治五郎です。

日本人が尊敬する人の一人かもしれません。

江戸時代の末期、1860年に今の兵庫県の神戸で生まれました。

なんと身長は、158センチと大変小柄な男性でした。

小さくてしかも体も丈夫でなかった治五郎は真剣に強い人間になりたいと思い当時の「柔術」を習うようになりました。

運動だけでなく勉強も人一倍頑張ったそうです。

一生懸命勉強して今の東京大学を卒業して、文部科学省に勤めます。

柔術を発展させた柔道を作り、「講道館」という道場を開き世の中に柔道を広めました。

その後、東京高等師範学校(今の筑波大学)の校長先生にもなった嘉納治五郎は、明治44年に、我孫子の手賀沼の畔(アビスタの付近)に別荘を作りました。

そして、近くにあるこの我孫子第一小学校にも訪れて立派な「書」を送られました。

そこには、こう書かれていました。

「人を以って 鏡と 為す」

本物は、職員玄関に掲げてあります。

書道家としても有名だった嘉納治五郎は、全国に様々な書を数多く残しています。

「人を以って 鏡と 為す」

この意味は、分かりますか。

鏡とは鑑であり(お手本・模範)のことです。

尊敬する人を持ち、そして、その人を良きお手本として頑張りなさい

という意味です。

自分が生きていくお手本やモデルとなるべき人を見つけると、生きる意味や理想とする姿が分かります。そして新たな目標が生まれます。

小学生の今から、生きる目標となる人を是非見つけて下さい。

 

 

いじめを許さない(その2)

 6月2日の全校朝会で、私が全校児童に「私の妹」という悲惨ないじめの話をしたことを受けて、各学級で再度いじめについて話し合いました。そして、学年集会を開き「いじめゼロ」の具体的な取り組み(いのちを大切にするキャンペーン)を始めました。 
 以下は、学年ごとに取り組んだ内容です。(報告書を簡単にまとめたものです)

☆1学年

 ・学年目標「なかよし」について・・・友達と仲良くするにはどうし
    たらよいかな?

・ふわふわことば、ちくちくことばをかんがえよう!

 ・いろいろな友達のことを知ろう。「補聴器」「装具」「にこにこ
    教室」って何?

☆2学年

 ・校長先生が読み聞かせしてくれた「私の妹」をもとに話し合お
    う!

 「あの妹があなたのクラスにいたら,どんなことをしてあげたいですか?」

   と学級毎になげかけ、「自分だったらこうする」ということを
      ワークシート
に書いた。

②ワークシートを学年集会に持ち寄り,「あの妹」の友達として
      どうしてあげ
たいのかを話し合った。

③最後に2年生の約束を確認した。

・いじめを見たらだまっていない 

・友だちの気持ちを考えて行動しよう 

・いやなことは「いや」とはっきり言おう

☆3学年

 ・「いじめとは何か」「いじめられたらどうするか」「いじめを見
    たらどうするか」

を学年で話し合った。

・その後,教師が子どもの頃のいじめに関する体験を話した。いじめを防ぐために自分ができることを一人一人紙に記入し,学年掲示板に掲示した。

☆4学年

・各学級でいじめのないクラスにするためにできることを話し合い
    発表した。

 ・その後各担任から話をし、校長先生からも命の尊さについての話
    を頂いた。

☆5学年

 ・事前に各クラスでいじめをしないためにどうしたらよいか話し
    合った。

 ・学年集会では、各クラスの話し合いの内容を発表し合い絶対にい
    じめをしな
い・させない・いじめられないを宣言し合った。

 ・そしていじめをすることは犯罪であることをよく肝に銘じた。
    いじめられて
いる人を見かけたら、声をかける・助ける・先生や
    家の人に相談する。一緒
に遊ぶ、いじめている人を見かけたら、
    止める・やめさせる・大人に相談す
る・・・など勇気をもって取り
    組もうと誓い合った。

☆6学年

 ・各学年で話し合ったことを発表し、学年の3人の教師からそれぞ
    れの経験や
思いを話した。

 ・最後に校長先生から,星野富弘さんの詩集から「いのちより大切
    なもの」を
朗読していただき,いのちについて考える時間をもっ
    た。昨年度行った校長
先生の「いのちについて考える授業」の際
    の卒業生の感想を紹介し、いのち
の重みについて真剣に考える時
    間を全員で共有した。

   本校では、各学級で第1回目のいじめのアンケートを実施してい 
 るところです。
昨年度の秋の調査において、「あなたは今、いじめ 
 られていますか」との最初の質問に
14名の児童が「はい」と答え
 ております。その後、担任が詳しく話を聞いたり、指導したりして
 高学年の1件まで解決することができました。低学年においては、
 ケンカ等のトラブルで少し叩かれたり嫌なことを言われたりしたこ
 とでいじめを受けていると回答している場合もあります。いじめへ
 と発展しないためにもこの初期の段階で問題解決に向けて速やかな
 対応をしていく必要があります。高学年での1件は保護者に詳細に
 説明し謝罪して、継続して学級・学年で解決に向けて取り組んでい
 るところです。
 
  我孫子市全体では、小学校で約6%、中学校で約2%の子ども達
 が「いじめを受けている」との結果が出ています。
小学校で多いい
 じめは、「嫌なことを言われた」「仲間はずれをされた」「暴力を
 受けた」等があります。
又、誰に相談しましたかについては、先生
 が41%、親が33%、友達が24%となり学校の先生に相談して
 いる割合が前年度よりも増えております。

  いじめそのものの数は減少傾向にありますが、いじめを見た子どもは小中学校とも「黙って見ている」「一緒に笑ったりからかったりしている」子の割合は増えています。

  「相手がいやがることはすべていじめ」であり、いじめを見ている周りの子の力が大きく影響することを肝に銘じて、子ども達と一緒に今後も考え続ながら、具体的対応策をしっかりと取っていきたいと思います。

 

 

いじめを許さない

「ばか」「あほ」「ちび」「ぶす」・・・いじめの最初の言葉です。何気なく始まるこの言葉が次に「うざい」「消えろ」となります。そして最後は「死ね」という言葉まで出てくることが多いです。いじめは犯罪と同じです。

6月は全校でいじめゼロを目指す取り組みをします。6月2日の全校朝会では、いじめを題材にした実話「私の妹」というお話をしました。自分の妹が小学校時代に悲惨ないじめに合い、不登校になり最後は命を落とすお話です。妹をいじめた人達はやがて高校生になり窓の外を笑いながらおしゃべりしながら通っていくというストーリーです。

 合唱部の協力を得て、ユーミンの「ひこうき雲」のピアノ伴奏と合唱を披露しながら読み聞かせをしました。黙って聞き終えた子ども達の中で泣いている子もおりました。

子どもの心に本当にいじめは怖いことなのだと実感できたのだと思いました。

いじめの構造は、いじめられる子・いじめる子・はやし立てる子・見て見ぬふりする子がいます。大事なのは、大多数の見て見ぬふりをする子の存在です。

先月下旬の新聞報道で、長崎県の中学3年生の男子生徒がいじめを苦にして自殺した事件が紹介された記事がありました。無料通信アプリ「LINE」(ライン)を使って複数の同級生に自殺意志を伝え、一部の保護者もそのことを知っていたが、誰も自殺した両親や学校に伝えていたかったそうです。子どもを亡くした父親は、「子どもが自殺しようとしていることを知っているのに、死ぬまで誰も私達や学校に教えてくれなかった。それこそが最大のいじめではないか。」と語っています。

いじめを見たら黙っていてはいけないということです。周りからの力が解決するのに大事です。

文部科学省の調査でも、小学4年生から中学3年生までの6年間で約9割の子ども達が「いじめられる側」又は「いじめる側」に少しでも関わっているデータがあります。いじめは本当に人ごとではありません。自分自身の問題としても真剣に考えることが必要です。

去年、国が作成した「いじめ防止対策推進法」の第四条(いじめの禁止)の条項に、

 児童等は、いじめを行ってはならないと明記されています。

いじめはどの学校でも、どの学級でも起きることがあり得ます。本校では、どの学級もいじめを担任教師と共に解決できる集団となるよう真剣に取り組みます。

子供同士のいじめ問題で心配なことがありましたら些細なことでも学校までお知らせ下さい。

失敗学とは?

 私は小さい頃から落ち着きが無く、熟慮せずに行動してよく失敗をしたものでした。そして、先生や親から「もっとちゃんと考えなさい」「落ち着いて行動しなさい」と叱責を受けたものでした。じっとしていられない性分だったことは間違いありません。

大人になり自分が教員となってからは昔の自分を見ているような子供も小学校には多くいるような気がします。

今回はその失敗についてお話をします。この世に「失敗学」という学問があることをご存じでしたか。今から7~8年前に、あるテレビ番組で「失敗学」という言葉を初めて聴いて直ぐに興味を持ちました。それから、機会あるごとにこの学問について色々と本を読み調べてきました。

「失敗学」とは、「失敗を正しく学び、生かす」ことであります。

想像力が必要な現代社会は、多くの失敗も必要となります。この失敗を否定的に捉えるのではなく、むしろプラス面に着目して、有効利用しようとするものであることが分かりました。 

 人は、必ず失敗をします。

これが「失敗学」の基本にあります。

失敗とは隠すものではないという文化をつくることが大切であると「失敗学」を長年に渡り研究されてきた東京大学名誉教授の畑村洋太郎先生は述べております。

畑村先生の様々な著書から失敗について私の心を揺さぶった言葉(キーワード)について簡単に書きました。

 

<失敗学の主なキーワードベスト10> 

 失敗は確率現象である

 ヒヤリ体験の時から真剣に向き合う姿勢が大切である。ハインリッヒの法則

 失敗は放っておくと成長する

 未然の防止策を取らないと、いつか大きくなり破裂する。「知りながら害をなすな」

 途中変更が諸悪の根源になる

 生産現場の失敗はほとんどがこれ。最終計画を常に最終として組織全体が認識する。

 特に運動会・林間学校・修学旅行・入学式・卒業式等は最終の訂正版を配布する。

 失敗には階層がある

 個人の無知・不注意・誤判断からの失敗(個人性)。組織や企業の運営不良、行政や政治の怠慢(社会性)。未知への遭遇(誰も防げない失敗・良い失敗)。

 失敗は予測できる

 失敗を隠さず失敗の体験を積極的に学ぶ。失敗の特性をきちんと分析する。

 失敗情報は時間が経つと急激に減衰する。

 過去に津波の大被害(明治29年にも2万人以上の死者)があった東北の三陸地方にある石碑。「ここから下に家を建てるな」。家が立ち並び今回も大被害に遭った。

 失敗は隠れたがる

 失敗の原因は変りたがる。責任問題等で失敗の本当の情報は組織の上には行かない。

8 リーダーの資質と失敗

 トップが安全管理に意識しているか否かで、罹災率は3倍違ってくる。

9 失敗情報を「知識化」していく

 現実の失敗事例を自分や他人が将来使える知識としてまとめる。

10 「想定外」を想定する

 東日本大震災で行政や専門家は、「想定外」として責任逃れをしてきた。

 

運動会は負ける練習の場

いよいよ新緑の季節である5月になりました。今月の一大イベントはなんと言っても24日に予定されている運動会です。学校行事であり日頃の体育学習の成果を発表する場でありますが、私は「運動会とは負ける体験をする絶好の機会」だと思ってきました。

 だいぶ前のことですが、勤務していたある学校でこんな場面に遭遇しました。運動会の閉会式後、校庭の片隅で6年生女子応援団が10名位丸くなって嗚咽を上げて泣いていました。訳を聞くと総合優勝できず、しかも応援賞も取れず悔し泣きをしていたのです。応援団女子が、今日までいかに真剣に応援練習に向き合ってきたかがその姿から分かり大変感動したことを覚えています。

 練習を一生懸命に積み重ねて、ダンスなどで上手に演技したり徒競走で良い結果を出したりすることは素晴らしいことであります。

子ども達は必要以上に勝ちにこだわります。自分が一番になりたいと願うのは当然です。しかし、現実は誰もが一等賞は取れません。どんなに頑張っても結果が伴わないこともあります。大人になれば、絶対に勝ち続けることはあり得ないと分かります。子どもの時期に、「負ける体験や失敗する体験」をすることで、冷静に自分自身と向き合うことができます。

負けた時にこそ学ぶことが多いものです。その時に教師や保護者の助言が大切であり、そして仲間からの思いやりの言葉が何よりも心の糧になり、大きく成長できる機会にもなると考えます。運動会の時にこそ負けた時の態度も学ばせたいものです。

 

 

挨拶の溢れる学校・挨拶のできる子

平成26年度の我孫子第一小学校が始まりました。

始業式から早くも2週間が過ぎました。今年度、学校経営の重点目標の一番目に「挨拶」をおきました。挨拶とはなぜ大事なのでしょうか。そして、挨拶はどのような心持ちでしていけばいいのでしょうか。挨拶とは、相手の存在を認めていることを相手に積極的に伝える行為であります。

つまりコミュニケーションを取るための最初の大事な手段であるとも言えます。すれ違いざまに相手にお辞儀をすることも立派な挨拶であります。先ずは、子ども達に挨拶の意味をしっかりと教えていきたいと思います。

「おはよう○○さん!今日の洋服とっても素敵だね。」先生との朝の挨拶で学校は始まります。大事なのは、挨拶プラスワンです。「おはよう」だけでは、お互いに次の会話に発展しません。挨拶を交わす瞬間、見たことや感じたことを言葉に出してみると二人の親密度は増してきます。
 我孫子第一小学校を挨拶に溢れる学校にしていきたいと思っています。子どもが挨拶をできるようにしていくのは、大人(教師や保護者)が率先垂範することです。学校では教職員が挨拶を進んで行っていきます。挨拶がしっかりできる子は、やはり学習や生活習慣全般においても立派に頑張れる子が多いです。ご家庭でも朝起きて来た子どもと顔を合わせたら、「おはよう!今日はとってもいい天気だよ。」と毎日のように保護者から先に声を掛け続けて頂きたら有り難いと思います。
 私は3月中にこの挨拶に関して感動する事が二つありました。
 一番目は、3月上旬に起きた正門付近でのできごとです。
 この数日前に皆様もご存じの柏市での通り魔事件が発生し犯人が逃亡しているため、全校一斉での集団登校を実施しておりました。私も正門に立って子どもを迎えておりました。我孫子警察署からも若い警察官が朝になると一緒に校門で警備をしてくれており、大変有り難く心強かったものです。その2日目の朝、登校してきた中学年のある女の子が、私に「おはようございます。」と言った後、
警察官の方へ一人で行き「ありがとうございます。」と言って頭を下げて学校の中に入って行きました。小学生が瞬時にそこまでの挨拶ができたことに感動しました。

 二番目は、3月中旬の卒業式間近のある日のできごとです。毎日地域パトロールをしてくださっている年配の男性が校長室へ来られました。最初は、下校途中に子ども達がご迷惑を掛けてしまったのだろうと思っておりました。「校長先生、6年生の男の子が手紙をくれたのです。本当に嬉しかったのでお持ちしました。」と言うのです。

次のような内容でした。

僕は我孫子第一小学校の6年○組の○○です。6年間、雨の日でも台風が来た日でもどんなに寒くても、暑くても、毎日僕たちを見守って頂きありがとうございました。

皆さんがいたから6年間、安全に登校することができました。

4月から白山中学校へ入学します。そして、中学生になります。なので朝早く家を出ることが多くなると思いますがこれからもよろしくお願いします。

お体に気をつけてこれからも僕たちを見守って下さい。

 

 私は、改めて挨拶とは感謝を表すことだと子ども達から教わりました。こんな素晴らしい子ども達が我孫子第一小学校に居たことを誇りに感じました。

挨拶に溢れる学校を目指していきたいと思います。

 

人生の決定権は子供です(ある詩より)

最近、ある教育関係資料から素敵な詩に出会うことができました。
直ぐに、職員にもこの詩を紹介しました。
作者は、皆様もよくご存じの作詞家 秋元 康 さんです。
秋元さんは、あのAKB48をプロデュースした人でもあります。
ご本人は小さい頃から東大を出て官僚になろうと思っていたが、紆余曲折して私立大学を中退して放送関係のアルバイトをしながら、今は本業として芸能活動を続けている方です。
詩の題名は、「芽の出る早さはちがうから」です。
秋元さん自身の生き方からこの詩が生まれたと思います。
人生にはもちろん正解はありません。
大人は自分の人生が上手く行かなかったことや夢を自分自身の子供に押しつけていないでしょうか。もちろん子供の幸せを十分に考えてのことですが。・・・・・            
「人生の決定権を持っているのは本人だ。」「僕にできるのは少しでも選択肢を増やすこと。」
学校でも家庭でも、子供達自身に「あなたは、どうしたいの?」と問うて、あたながよく考えて決定し、結果についても本人に納得させていく。そうありたいと思います。                 色々と考えさせられた詩ですので、ご紹介します。


   「芽の出る早さは違うから」 作詞家 秋元 康

子供は花の種。
同じ花の種でも芽の出る早さはそれぞれ違う。
小学校の一時期にクラスで何番かなんて
長い人生には関係ない。
妻は娘の勉強に厳しいけれど
僕は「まあ、いいんじゃないの」と見守る。
誰も隣の人を見て息を吸うのが速いとか遅いとか考えない。
皆、自分の体に合わせて勝手に呼吸している。
呼吸するように自分のペースで生きればいい。
人生に正解なんてないんだから。

僕は正解がないような仕事をしているから
正解がないことはすごく大事だと思っている。
親や大人たちはどうしても正解を求めがちだ。
一番やってはいけないと思うのは
子供を親の人生の雪辱戦に使うこと。

自分が甲子園に行けなかったから
本当はサッカー好きな子に野球をやらせたり
親の反対で自分の夢が叶わなかったから
娘を宝塚に入れようとバレエを習わせたり。
それは違うと思う。
逆に失敗したり苦労するのを心配するあまり
子供の夢や希望に耳を傾けないで
親が先回りして無難な道を歩ませようとする。
それも違うと思う。

僕の両親はしつけにとても厳しかったけれど
僕の意思を尊重してくれた。

大学を辞めようが、どんな仕事をしようが
僕が自分で決めて行動したことを
黙って温かく見守ってくれた。
そんな仕事がいつまでも続くわけがないと
茨の道が見えていたのかもしれないけれど
「茨があるから行くな」とは言わなかった。
だから僕もそうしようと思う。

もし娘にやりたいことができて
僕の目には茨の道と映っても、黙って見守ろう。
否、頑張れぐらいは言おうか。
もしかしたら彼女は
たくましく茨を跨いでいくかもしれない。
賢く茨を避けてゆくかもしれない。
茨で傷ついたそのときは
黙って手当てしてあげればいい。

たった一度しかない人生
やりたいことをやらせてあげたい。
人生の決定権を持っているのは本人だ。
僕にできるのは少しでも選択肢を増やすこと。
漫画家の友人も小説家の友人も
その道に入ったきっかけは些細なことだった。
些細なことを子供の周りにたくさん集めれば
ピンボールのようにコンコンと当たって
どこかで必ずチーンと花開くと思うのだ。