概要と歴史
<概要>

 飛山城は,約300年間つづいたお城ですが,その形は時代とともに変化しています。

 現在の城跡は,城域がもっとも拡大した戦国時代のもので,史跡地内の掘立柱建物5棟・竪穴建物2棟は,その時期の建物を復元,整備したものです。

 ただし,城内中央西崖よりの古代竪穴建物は,平安時代初めの「のろしをあげる施設(「烽家」)に関係する建物を復元整備したものです。

 

<飛山城とは>

 この城は,鎌倉時代の後半に芳賀高俊によって築かれたと伝えられ,豊臣秀吉の命で破却されるまで,芳賀氏の重要な拠点として機能してきました。

 面積は約14ヘクタール(140,000平方メートル),城の東と西を二重の堀で守られています。北側の3本の堀でまもられた部分が中心部と考えられています。

 昭和52年(1977),国史跡に指定され,平成4年度(1992)から史跡整備のための発掘調査を行いました。調査では,中世を中心とした数多くの成果が得られ,建物や堀・土塁の一部を復元しました。

城山城のあゆみ
1293(永仁元)~1298(永仁6) 芳賀高俊が飛山城を築城
1333(元弘3) 鎌倉幕府が滅亡
1338(暦応元・延元3) 足利尊氏が征夷大将軍となる
1339(暦応2・延元4) 宇都宮・飛山両城の北朝軍が常陸の南朝軍に敗れる
1341(暦応4・興国2) 春日顕国軍(南朝軍)により飛山城落城
1363(貞治2・正平18) 宇都宮氏綱・芳賀高名父子ら武蔵岩殿山合戦で,足利基氏に大敗
(飛山城主芳賀高家が戦死)
1467(応仁元) 応仁の乱(~77)
1485(文明17) 山城国一揆(~93)
1549(天文18) 宇都宮尚綱,五月女坂の合戦で戦死
1555(弘治元) 川中島合戦
1557(弘治3) 芳賀高定が宇都宮広綱を擁し,壬生氏より宇都宮城奪還
(佐竹義昭軍が飛山城に在陣し,これを支援)
1560(永禄3) 桶狭間合戦
1576(天正4) 織田信長が安土城築城
1586(天正14) 豊臣秀吉,太政大臣となる
1590(天正18) 秀吉が宇都宮氏とその家臣に対し,不要な城の破却を命ずる
(飛山城も破却対象となる)
1597(慶長2) 宇都宮国綱,改易