最近の学校の様子から

第40回卒業式

3月25日、今年度最後の教育活動「第40回卒業式」を挙行いたしました。
6年生96名が巣立ちました。

5年生はグループに分かれて少人数で参加しました。
入場音楽のグループの演奏で6年生が入場しました。
 
卒業証書授与。40年間で3,523人に卒業証書を授与しました。

校長式辞

日々、緑の色彩を増していく校庭の芝生や、少しずつ開き始めた一輪一輪の桜の花が、春の訪れを感じさせます。
この春の訪れは、南鶴牧小学校の学び舎を巣立ちゆく、卒業生の皆さんの晴れの門出を祝っているかのように、私には感じます。

保護者の皆様。本日は、多摩市立南鶴牧小学校、第40回卒業式にお越しくださり、ありがとうございます。
お子様のご卒業、おめでとうございます。
思い起こせば6年前の入学式で手をつないで門をくぐったことに始まり、その後の数々の行事や出来事が、昨日のことのようによみがえり、本日の卒業式を迎えられたことに、およろこびもひとしおかとご推察いたします。
6年間にわたる、小学校生活への変わらぬご支援に、改めて感謝申し上げます。誠にありがとうございました。

さて、96名の卒業生の皆さん。改めて、ご卒業、おめでとうございます。
先ほど、私から皆さんへ手渡した卒業証書には、小学校の全課程を修了したことが記されています。
この全課程の修了とは、6年間に予定されていた教科の学習や、運動会や学芸会などの行事をすべて終えたことだけではなく、学校という集団生活の場で様々な経験をしてきたことも含まれています。
それと同時に、皆さんの成長のために日々汗を流し、共に歩んできた南鶴牧小学校の先生方の、熱い思いが込められていることも忘れないでください。

本日は、みなさんの門出を祝し、私から短いお話をさせていただきます。
みなさんの小学校生活を語る上で、2020年の冬から世界中で流行した新型コロナウイルスの感染拡大はとても大きな出来事だと思います。
この感染症の拡大は私たちの地域だけではなく、世界中の経済や学校教育をはじめ、多くの機能をストップさせました。
本校においても、令和2年の3月から臨時休校に入りました。
その後のことは皆さんの記憶の中にも鮮明に残っていると思います。
人類の歴史を振り返ると、現在のコロナウイルスのように、パンデミックと呼ばれる感染症の拡大は何度も起こっています。
そのたびに、人々は知恵と情熱を振り絞り、結果として社会全体が大きな変革と発展を遂げていった例がいくつもあります。
約350年前にイギリスのロンドンを中心にペストという感染症の大流行がありました。
現代と同じように経済活動は止まり、すべての学校が閉鎖されます。
ロンドンに住む人々は、ペストの感染を避けるために、様々な方法でロンドンから離れようとします。
大学の学生たちは寮を出て、故郷の実家へ帰っていきます。
王族のいる宮廷もロンドンからオックスフォードへ避難。
貴族や紳士のようなお金もちは家族や使用人を引き連れて、ロンドンを脱出し、田舎の別荘や知人を頼って避難します。
一方で、一般庶民は田舎へ避難しようにも、生活の手段である生活費をもっていないため、そのままロンドンに居るか、一部は郊外や森の中に避難しました。
当時のロンドンの人口は約46万人。
そのうち、約69,000人がペストの犠牲になったという記録があります。
避難先で亡くなった人もかなりいます。
それらを加えると死者約10万人、これはロンドンの人口の約22%にあたります。
「ロンドン大疫病」として知られる歴史に残る大惨事になりました。
現代のような発達した医学が無い時代です。
ペストを終息するための治療薬開発がされることはありませんでした。
1664年から始まったペストのパンデミックが自然収束したのは1667年、約3年の歳月が費やされました。
では、その3年間、人々は避難生活を送りながら何をしていたのでしょうか。
ただただ、病気そのものに恐れを抱き、何もせず、静かに暮らしていたのか、それともパンデミックの中でも創造力を発揮し、新たな世界を構築するための思索を巡らせていたのか。
一つのエピドードとして、アイザック・ニュートンの話を紹介します。
ニュートンというのは木からリンゴの実が落ちる現象を見ながら万有引力を発見した、近代科学の祖と呼ばれる大人物です。
ペストが大流行していた当時、ニュートンはケンブリッジ大学の学生でした。
その傍ら、大学講師の手伝いをして授業料を免除されていたので、たくさんの雑務をこなします。
よって、自分の研究にはなかなか没頭できません。
ペストの流行により、イングランド東部の実家に戻ったニュートンは、雑務から解放され、全身全霊を込めて研究に没頭できるようになりました。
その期間は2年間です。
この期間の成果として、「万有引力の法則」「微分積分法」「プリズムの分光実験」などが成し遂げられました。
この3つは、ニュートンの三大業績と呼ばれ、人類の発展に大きく寄与することになります。
この2年間のことは多くの人々から「創造的休暇」と呼ばれ、避難生活においても不屈の精神を貫いた象徴として、長く語り継がれています。
実は創造的休暇を送っていたのはニュートンだけではありません。
演劇や美術の芸術の世界でも、この期間に名作が生まれています。
その他にも新しい科学技術が生み出され、ペストが終息した後の社会を豊かにしていきます。
そして、人々の考え方も変わっていきます。
常に死と隣り合わせだったことで、それまでよりも一人一人を大切にする、という思想も広まりました。
一人一人が個性や才能を発揮できる世の中への変化は、現代の私たちにも大きな影響を与えていると言えるでしょう。
このように、感染症の歴史をさかのぼると、パンデミックの後には必ずといってよいほど大きな社会の変革が起きています。
感染症の拡大という、通常の社会とは異なる逆境は一時的に人々の思考を止め、人と人とのつながりさえも分断してしまいます。
ただし、ニュートンをはじめ、先人たちに学ぶならば、逆境のときこそチャレンジ精神や柔軟な思考が生まれるときなのかもしれません。
話をみなさんの学校生活に移すと、八ヶ岳移動教室において、活動の制限がかかった中でも、工夫して楽しく過ごそうとしている姿が今でも昨日のことのように思い出されます。
また、どうすれば全員が楽しめて盛り上がれるのか、その視点でしっかりと考え工夫しながら役割を果たしている姿には頼もしささえも感じました。
一人一人は11歳12歳の子供であっても、一致団結して、その時の状況に合った楽しみ方を創造していたと私は強く強く感じています。

さあ、いよいよこの南鶴牧小学校をみなさんは巣立っていきます。
様々な困難に出合うこともあるでしょう。それでも、恐れることはありません。
あなたたちの創造性とチャレンジ精神で乗り越えていけるはずです。
私たちは少し離れた場所から、みなさんのことを応援しています。
新しい世界をあなたたちが創っていくのです。
そのスタートとなる本日の卒業をお祝いし、私の式辞とします。
令和4年3月25日
多摩市立南鶴牧小学校 校長 森 信行
  
門出の言葉には、5年生の呼びかけグループが参加しました。
  
式後、記念写真を撮ってから、送り出しをしました。
ご卒業おめでとうございます。