木間ケ瀬中「歳時記」
9月13日(火)
さて,先日の日曜日,米ニューヨーク同時多発テロから15年となりました。私などははっきりと記憶に残っているのですが,生徒のみんなは生まれていない人も多いくらい過去の出来事になってしまったのでしょうか・・・
2001年9月11日,米ニューヨークから衝撃の映像が日本にも飛び込んできました。後にテロだとわかり,日本でも様々な方面に影響を及ぼすこととなりました。当時私はウインタースポーツのコーチとして日本代表チームを率いていましたが,ウインタースポーツ界にも動揺を与えたのです。いつもの年のようにワールドツアーの準備をしている頃の出来事でした。当時,2002年米ソルトレークシティ五輪のシーズン,JOCから遠征自粛の通達が飛び込んできました。スピードスケート,フィギュアスケート,スキージャンプなど様々なチームが海外遠征を見合わせる決断をしました。しかし我々を含めて「海外遠征決行」を決めた団体もありました。シーズンの結果次第で出場枠が決まるのですから必死でした。9月下旬,ワールドカップ第1戦はカナダのカルガリー,第2戦は10月はじめ。米レークプラシッド(ニューヨーク州)・・・。 当時国から「チームではなく個人で参加するなら許可する」と判断が下り,日本を後にしたものです。カナダからニューヨークに入国する際,空港は厳戒態勢で入国審査に半日かかったことを覚えています。 そして年が明けソルトレークシティ五輪の幕開けです。当時の米国ブッシュ大統領の声明通り「我々はテロには屈しない」を合い言葉に五輪は米国チームの圧勝でした。そして日本は「大惨敗」と報道され帰国後も肩身の狭い思いをしたものです。でも内情はあの年に米国に行くなど考えられない情勢で,多くの種目は海外遠征を遅らせ,調整不足での五輪本番だったのです。我々のように強行渡航したチームで「個人の意志で渡航する」と念書に押印し出国したり,そっと家族への遺書を忍ばせたりと競技どころではなかったことは残念ながら一切報道されていません。「大惨敗の五輪」として語り継がれています。 テロの標的だとされていた五輪,その開会式前,各国選手団はスタジアム外で入場を待ちます。開会を告げる合図の花火が一斉に「ドンドンドドーン・・・」選手団は一斉に身をかがめ冷や汗をかいたものです。花火だとわかると国を越えて平和の象徴スポーツの祭典である「五輪の開催」を喜ぶ笑顔に変わりました。 今も地球上のどこかでは争いが続いていますが,平和な地球になることを切に願うのでした。
* 久しぶりの雨模様,気をつけて行ってらっしゃい!