お知らせ

建築を研究されている方々が3年館、7年館の見学に来られました

令和4年6月24日(金)、鹿児島大学で建築を研究されている建築士さん、鹿児島で働く学芸員さん、3年館の有形文化財登録にも関わっていただいた東京の建築士さんの3名の方々と野田市PR推進室、生涯学習課の職員が3年館、7年館の見学に来られました。


今回、わざわざ鹿児島から研究に来られたのは、研究対象の建築士の大森茂さんが千葉県の野田小学校(中央小学校)を設計したとの文献が残っており、実物を見学したいというところから決まりました。


実は、3年館の設計者については、資料が残っておらず、ずっと不明のままでした。今回のお話がなかったら、この先も不明のままだったかもしれません。
建築士の大森茂さんは、鹿児島銀行本店や鹿児島の山形屋デパート等を設計され、その後の鹿児島の建築界に大きな影響を与えた人といわれています。
鹿児島以外でも明治大学の旧校舎、野田市では興風会館、髙梨兵左衛門邸を設計されました。

それらのことが記載された日本建築学会時報に野田小学校(中央小学校)も記載されており、昭和3年に建てられた3年館は大森茂さんの設計によって造られたことが先日わかりました。


本日は、3年館と7年館を見学していただきましたが、建築家の方々の話からおもしろい内容がありましたので、紹介いたします。
教室の梁の通し方が3年館と7年館では違います。
教室を横に3本の梁が通っているのが3年館です。


7年館は、教室中央の横の梁に対して縦の2本が十字を作るように渡っています。


他にも、3年館の3階のブラス室は、当初から音楽室として設計され、音響効果のため天井が他の教室と違って高くなっています。黒板上には、西洋風の彫刻と五線が彫られています。


建設当時から残っているものに、廊下のフックがあります。
こちらは、マイナスねじで止められていることから、戦前、つまり建設当時のものではないかと言われています。


鋳物ではなく、鉄を曲げて形を作っておりとても丈夫なため、現在でも残っていると思われます。


また、こちらの扉も当時のものではないかと思われます。
真ん中がガラスになっています。


まだまだ貴重なお話がありましたので、またの機会に紹介したいと思います。