令和6年度(3年度より継続)
11月 全校集会校長の話
新川小学校の皆さんこんにちは。
今月は、132年前に本当にあったお話をします。日本とトルコ共和国の友情の物語「エルトゥールル号」のお話です。よく聞いてください。
ドガーン!グワーン!
ギーギリギリギリ!
船底がきしむ音が聞こえました。船が座礁した音です。傾き始めた甲板で、みんなが必死で何かにしがみついています。
「助けてくれーっ!」「もう、だめだ」
大きな波が船を襲い、今にもバラバラになりそうです。
「おい、陸地が見えるぞ!」「どこでもいい。板につかまって岸まで泳げ!」
ザバン!ザバーン!
荒波にもまれ、岩に当たり、服は破れ、けがもしました。
それでも、5人、10人と少しずつ浜に泳ぎ着きました。
時は明治時代。1890年9月16日。船の名前はエルトゥールル号。日本との友好行事を終えたトルコ共和国の使節団は横浜を出発し、家族の待つトルコへと向かいました。しかし、和歌山県の串本町の沖合で激しい風と波のためにエルトゥールル号は座礁してしまったのです。助かった人はわずかに69名、亡くなった人は580名と言われる大惨事でした。
崖の上から浜辺を見下ろしていた串本町の人々がいました。
「ずぶぬれだし、けがもしとる」
「天狗かの?鼻が高けえの…」
「天狗は山じゃ。海におったなんぞ聞いたことない。ありゃあ、鬼じゃ。赤鬼じゃ。」
「違うよ。多分、南蛮人じゃ。お寺の和尚さんに聞いたことがある。」
「だけんがよう、こりゃあ、はよう皆に知らせたほうがいいの」
沖合の船と浜辺のけが人を一目見るや、一刻を争う事態であることを皆が理解しました。しかし、串本町の人々にとっては初めて見る南蛮人です。少し怖かったけれど、助けることができるのは自分ちだけだと思ったら、ひとりでに体が動いていました。串本町の人々はトルコの人に衣類や芋、卵などを提供して介護し、手厚くもてなしました。その後、助けられたトルコの人々は神戸の病院に移って体力を回復した後、当時の日本の軍艦「比叡」と「金剛」によって無事祖国であるトルコ共和国に帰れたのです。
その後、時は流れて1985年3月17日。エルトゥールル号の遭難事故から95年後のことです。世界では、イラン・イラク戦争という戦争が起きていました。イラクのフセイン大統領は「戦争中に自分の国の上空を飛ぶ飛行機は今から48時間後に無差別に攻撃する」と宣言しました。当時、イランに住んでいた日本人もたくさんいました。しかし、危険で脱出できません。各国の飛行機は自分の国の人を救うので手一杯。日本からの飛行機はパイロットたち乗務員の命を優先するためにやってこれない。
そんな時、救いの手を差し伸べてくれたのがトルコ共和国だったのです。タイムリミットが迫る3月19日。トルコ共和国から救援の飛行機が来ると知った日本人は助かったと安心しました。「でも、どうしてトルコが?」という気持ちを持ちながら空港へ向かい、無事イランから脱出できたのです。トルコの人々は飛行機ではなく、日本人のために電車や車などを使って自分の国へと避難をしてくれたのです。でも、なぜ日本人のためにそこまでしてくれたのでしょう。よくわからずにいたところ、トルコ共和国からコメントが発表されました。「私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです。」と。
また、その時、いつ撃墜されるかわからない中を飛行機に乗って助けに来てくれたトルコ人のキャビンアテンダントさんはこう言っています。「95年前、トルコ人は日本人に助けてもらいました。ですから、私たちは日本人を助けるためにこの仕事に携われたことを大変誇りに思っています。」と。
日本とトルコ共和国の友情の物語のお話はこれでおしまいです。このお話を聞いて新川小学校の皆さんはどう思いましたか。
今度、学校の中で校長先生に会った時に、ぜひ皆さんの感想を聞かせてくださいね。