ばっくなんばー

愛は錯覚から(2016年5月平松園だより編集後記)

 睡眠中の赤ちゃんがときおりニッコリと微笑む瞬間を見つけ、何を思い出して喜んでるのかな?どんなに楽しい夢を見てるのかな?と思わず想像したことのある方は少なくないと思います。発達心理学研究者の遠藤利彦氏によればこれはただの神経のけいれんによる口角の引上げでしかないとされ、大人がそこに知的な意味を感じるのは「錯覚」ということになります。このほかにも赤ちゃんの様々な表情や発声などに接したり、大人のするのと同じ動作を模倣したりする姿を見て、大人は「自分に何か言いたいのでは?」「何かしてほしいのでは?」「慕ってくれているのでは?」と察し愛おしさを感じたりしますが、当の赤ちゃんには大人が感じるほどにはまだ思いはないようです。しかし、この「錯覚」によってこそ養育者である大人側のかかわり方や働きかけ方が愛着を持った適切なものになり、それによって次第に赤ちゃんの側にも本当に思いや要求、養育者への愛着が実態あるものとして芽生えてくる、ということのようです。わかる気がします。いっぱい錯覚していっぱい察して、応えてあげる、与えてあげるかかわりが、家庭でも保育でも、一層心の豊かな子を育てるんですね。ちなみに我が長男Kも高校生となりました。さすがにこの年齢ともなるとかわいい錯覚はほぼ消滅し「真実」あるのみです、当然ですが。それはそれで、もう表面的な愛着行動を受けなくても生きていけるぞ、という発達の証ともいえるのでしょう。最早抱っこしてあやしたりなだめたりすることも「物理的」に不可能となった今だから反って、あの頃、与えるべきときに十分与えきれていただろうか?応えてやっていただろうか?と、ふと振り返ってみたりします。