校長ブログNo168-2 シリーズ「夏休み明けの子供たち」⑧はきものをそろえる
1学期の話になりますが、4年生の校外学習で松尾の「山武郡市環境衛生組合」に校外学習の引率で出かけたとき、心温まる出来事がありました。それがこちらの写真です。
おわかりになられたでしょうか。くつをぬいで上履きに履き替えて見学場所に上がったあとの光景です。自校のことながら感心した出来事です。この日は雨でした。しかも玄関はそれほど広くはない場所です。20名近くの見学者の靴が整然と並んでいます。
先日、9月6日(金)横芝光町教育委員会の方たちが学校訪問に訪れました。
日頃の子供たちの学校生活や本校教員の指導の様子をご覧いただく機会です。そのときに、校舎内をご覧になった方々が、児童の靴箱をご覧になり、「靴のかかとがそろえて靴箱に置かれていることがすばらしいですね。」とおほめのお言葉をいただきました。
今春着任後、昇降口にある児童の靴箱を見たときに、靴の置き方のマナー掲示を見て、子供たちが自主的にそろえることができるよう本校の教職員が指導してきたことはすぐにわかりました。実は、このことは真っ先に校長としても自校で徹底したいことの1つでしたので、白浜小学校のよい伝統をぜひ継続していこうと再認識した出来事でした。それは、過去の勤務校でも私は「はきものをそろえる」ということを心がけ、児童や教職員にも指導してきたことです。そのため、これまで以上に「はきものをそろえると心がそろう」ということを念頭に心がけていきたいと思います。
▼靴箱にあるマナー表示。白浜小学校のよい伝統の1つです。
▼ごらんのとおり子供たちの靴のかかとが整頓されています。
最後に、「はきものをそろえる」ことについて。「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という言葉をご存知の方もいらっしゃると思います。「脚下照顧」とは禅語です。私がこの言葉に出会ったのは、私の菩提寺での出来事です。過去ブログで取り上げたように、祖父が亡くなり菩提寺にたびたび行く機会が増え、玄関先に「脚下照顧」という木札が掲げられていました。また、過去の勤務校で校長が全校集会で「脚下照顧」の話をしたときのことです。(あっ!あの言葉。と私は菩提寺の「脚下照顧」の木札を思い出しました。)「はきものをそろえるという意味もありますが、もっと大切なこととして足もと(足下とも足元とも書く)をきちんと見るということです。何か1つきちんと整えればさまざまなことに気を配り心も整います。」と子供たちへ話をしました。「脚下照顧」とは、自分の足下を顧みて照らす。足もととははきもののことに限らず、自分自身の身や心を、自分自身で振り返り、よく点検し、物事を行いなさいという意味です。不思議なことに、何気ないこの作法をするだけでも心が落ち着きます。
脚下照顧(きゃっかしょうこ)
禅宗の僧、藤本幸邦氏(1910年 - 2009年)がわかりやすく解説されています。
「はきものをそろえる」
はきものをそろえると心もそろう
心がそろうとはきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと
世界中の人も心もそろうでしょう
同じことは傘立ての傘についても言えます。こちらはというと...靴箱と比べるとまだまだ指導が必要です。傘をきちんとたたむことができない児童が各学年に見られます。面倒くさいのか、たたみ方がわからないのか、1学期末はできるようになってきたのですが、2学期はじめ9月3日(火)は雨の日で久々に傘立てを使用する児童は忘れてしまっていたようでした。現在、教職員と児童へ指導をしている最中です。このようなこともいつでも自然にできるよう学校で指導していきたいと思います。