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校長ブログNo129  シリーズ白浜小学校はあのとき④「欲しがりません勝つまでは」

白浜小学校はあのとき④ 国民学校の女性教師による手記

タイトルの「欲しがりません勝つまでは」は戦意高揚のための国策標語。

「昭和17年に白浜国民学校へ赴任した。次第に、大東亜戦争も激しくなり、校庭は野菜畑と化し、白浜じゅうの出征家族の家へ毎日のように勤労奉仕にでかけました。機銃掃射を受けて、田の土手に姿をかくしたり、近くの家の防空壕にかけこんだり、毎日が命がけでした。腰まで田の水につかって稲架(はさ)に稲をかけ、星を戴いて泣き泣き帰ってきたことも幾度か。主人も海軍に応召して南方の海に出征するし、夜中に空襲警報が鳴ると、もう一人の先生と防空頭巾に身をかため、暗い夜道を学校警備におもむいたこともありました。あの時代の児童は、まことにみじめな学校生活を送っていたものでした。」

「後日、成人した教え子から受けた言葉を二、三拾ってみましょう。『修学旅行ができなかったから、これから修学旅行に連れて行ってください。』『勤労奉仕ばかりで、ろくろく勉強しなかったので、中学生の息子から数学を教えてくれと言われても、今困ってしまう。』

『さつまいもがお弁当の時代で、クラスに二人持ってこれない児童がいて、先生が一個ずつ分けてくれた。その一人はぼくで、それがうれしくてたまらなかった。現在は妻や子供に恵まれ幸せに暮らしているが、僕はあの時のことを教訓として、愛情と質素を胸に頑張っています』