校長ブログNo122-3 広島原爆の日と平和への誓い
校長ブログNo122-2でも掲載したように、79年前の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島に原子爆弾が投下されました。原子爆弾(原爆)は1945年8月6日に広島に、9日に長崎に投下され、年末までに広島でおよそ14万人、長崎でおよそ7万人が亡くなりました。戦争が終わってからも、放射線によって多くの人々が苦しめられました。厚生労働省調べによると、全国で今なお約10万人の方々が被爆の苦しみを受け、被爆者の平均年齢は85歳となっています。
広島では、被爆50周年(平成7年)の平和記念式典における広島市長の平和宣言に続いて、初めてこども代表が「平和への誓い」を述べました。これは、「こども平和のつどい」で世界のこどもたちが話し合った結果を平和への決意として述べたもので、翌年以降もこの成果を引き継ぐ「こどもピースサミット」を開催し、「平和への誓い」を発信しています。
3日後は長崎原爆の日、そして8月15日は終戦の日と戦争と平和について改めて心に思う日です。ここに、今年の「平和への誓い」を全文掲載します。
「平和への誓い」
目を閉じて想像してください。
緑豊かで美しいまち。人でにぎわう商店街。まちにあふれるたくさんの笑顔。
79年前の広島には、今と変わらない色鮮やかな日常がありました。
昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分。
「ドーン!」という鼓膜が破れるほどの大きな音。
立ち昇る黒味がかった朱色の雲。
人も草木も焼かれ、助けを求める声と絶望の涙で、まちは埋め尽くされました。
ある被爆者は言います。あの時の広島は「地獄」だったと。
原子爆弾は、色鮮やかな日常を奪い、広島を灰色の世界へと変えてしまったのです。
被爆者である私の曾祖母は、当時の様子を語ろうとはしませんでした。
言葉にすることさえつらく悲しい記憶は、79年経った今でも多くの被爆者を苦しめ続けています。
今もなお、世界では戦争が続いています。
79年前と同じように、生きたくても生きることができなかった人たち、
明日を共に過ごすはずだった人を失った人たちが、この世界のどこかにいるのです。
本当にこのままでよいのでしょうか。
願うだけでは、平和はおとずれません。
色鮮やかな日常を守り、平和をつくっていくのは私たちです。
一人一人が相手の話をよく聞くこと。
「違い」を「良さ」と捉え、自分の考えを見直すこと。
仲間と協力し、一つのことを成し遂げること。
私たちにもできる平和への一歩です。
さあ、ヒロシマを共に学び、感じましょう。
平和記念資料館を見学し、被爆者の言葉に触れてください。
そして、家族や友達と平和の尊さや命の重みについて語り合いましょう。
世界を変える平和への一歩を今、踏み出します。
令和6年(2024年)8月6日 こども代表 小学校6年児童2名による「平和への誓い」