日誌

11/21 4年生見学3(最終回)

「那須野が原の開拓」は、矢板武抜きにして語ることはできません。福島県の安積疏水・滋賀県の琵琶湖疏水と並ぶ日本三大疏水の一つ「那須疏水」を交友
のあった印南丈作とともに構築しました。
 
また、新国道(旧国道4号線:現在の矢板那須線の一部)の建設にあたっては、氏家から石上までをほぼ新路線として決定しました。新国道が内川を越えると、勝海舟の指令もあって、矢板邸の杉の巨木に赤旗を結び、これを目指して木幡地内から一直線に国道工事が行われたそうです。この国道を中心に矢板市の中心街が発展していきました。
 
また、矢板武は、明治14年に設立された日本鉄道会社の理事であったことから、現在の矢板駅の場所を決めるのにも大きく関わったことになります。

 矢板武は多くの人々との出会いや語らいを大切にし、そこから得たヒントを基に成功を収めていったものと考えられています。さらに教育の大切さを知る氏は、子どもたちの教育に力を入れるなど、後進の指導にも貢献しました。