日誌

防災教育研修会

  
  
  
  
  
  
  
  
  


8月26日(月) 海と共に生きていく

8月23日(金)に、栃木県連合教育会(県内の幼・小・中・高の先生方の団体)が主催する「防災教育研修」で宮城県南三陸町に行ってきました。本校からは、私と齋藤孝之先生が参加させていただきました。私は、教員になる以前の職業の関係で、齋藤先生は大学時代を仙台で過ごした関係で、この地に関わりがあったために強く希望しての参加でした。災害体験を伝える「ガイドサークル夕凪」の阿部博之さんの講演は、自らが消防団員として復旧活動に関わった体験を淡々と語っていましたが、聴講している参加者は、涙なくしては聞けない内容でした。講演の後は、バスで被災地の様子を見学することになりましたが、約2年半が経過した今でも、震災の傷跡は深く残っていました。「さんさん商店街」では、少しでも復興支援に役立てようと参加者がおみやげをたくさん買いこんでいました。戸倉地区では、戸倉小学校の跡地(津波で建物がすべて流されてしまいました)と戸倉中学校を見学しました。戸倉中学校では、震災の起きた時刻で時計が止まったままになっていました。かつての戸倉中学校は、海をみおろすことのできる素晴らしい環境に合ったそうですが、なんと津波は、海側ではなく校舎の裏側からおそって来たそうです。最後に、大川小学校を見学することができました。写真からもおわかりいただけると思いますが、津波の勢いはすさまじいものであったことがわかります。未だに発見されていない児童がいるため、校舎敷地は立ち入り禁止区域が設けてありました。校門があったと思われる場所には、供養する場所が設けられご冥福をお祈りっさえていただきました。
最後に、ガイドの阿部さんの話で特に印象に残った言葉を紹介します。「今、津波に備えて堤防を作ろうとしていますが、10mの堤防を作ってもそれ以上の津波が襲ったらどうするのか。そのために15mの堤防を作るのか・・・などの議論がされていますが、私は、海で生活している者は、海を見つめて生きて行かなくてはならないのだと思います。堤防で海を見えなくしてしまったらだめなのです。過去の災害を決して忘れることなく、海の少しの変化に気づいて自らの命をどう守るかが大切なのです。」
-追伸-
写真に「モアイ像」がありますが、これはイースター島の石を使って作ったものだそうです。イースター島の石は門外不出なのですが、「チリ津波」で友好関係にあるチリ政府から特別に許可を得たものだそうです。