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1. ☆ 8月14日(木)陸前高田市「奇跡の一本松」を訪ねて

投稿日時: 08/15 サイト管理者

岩手県各地でも甚大な被害をもたらした東日本大震災。リアス海岸で入り組んだ地形の岩手県沿岸は、津波の勢いが強まり、各地で大きな被害が出ました。なかでも岩手県南東部に位置する陸前高田市は、死者1,881人、行方不明者72人と、県内で最も多くの犠牲者を出しました。

当時、流山市消防本部からも2部隊8名が「緊急消防援助隊千葉県隊」の一員として陸前高田市に派遣されていました。(→派遣当時の状況はこちら)(→派遣後の市長への報告の様子はこちら)~いずれも流山市HP「ぐるっと流山」より

▼震災前、沿岸線には2㎞にわたる松林と砂浜が広がり、夏は県内外からの海水浴客で賑わいを見せていました。7万本あったとされる松林は一本を残し津波に飲み込まれ、町は一瞬にして姿を変えました。

▼この地で震災からの復興の象徴としてそびえる「奇跡の一本松」。

 

▼東日本大震災津波伝承館。震災の悲劇を二度と繰り返さないために、津波の脅威や被害の様子、そして命を守るための教訓を国内外の人々に伝えます。特に「津波てんでんこ」に代表される、各自が主体的に避難することの重要性を強調しています。

被災した実物や映像、被災者の声などを展示することで、震災の事実を「自分ごと」として捉え、防災意識を高めることを目指しています。

▼東日本大震災だけでなく、古くから津波被害に見舞われてきた三陸地域の歴史や、自然と共に生きる文化も紹介。これにより、自然災害に対する知恵や技術を共有し、より災害に強い社会づくりを目指しています。

▼そもそも津波とはなぜ起こるのか。こうした説明は日本語だけでなく英語でも書かれ、国内外を問わず世界へ向け発信していきたいという、この施設の気概を感じます。

▼この地では、これまでも数多くの津波被害に遭っていたことがわかります。

▼地震発生のメカニズムを伝える映像資料。

▼東日本大震災津波の被害状況や時間経過について詳しく解説してくれます。

▼被災物がそのまま展示されています。

▼被災した消防車。消防団員の方々がまさに命懸けで救助活動などにあたってくださっていました。

▼施設の窓から見える震災遺構「タピック45」

▼高さや構造、その形状などから、巨大津波を想定して建てられていたことがわかります。

▼様々な被災物。鍵盤ハーモニカやトランペットなど、使っていた方々の心がそのまま残っているようです。

▼日本の自然災害対策について解説するコーナー、

▼国内外から寄せられた支援への感謝を伝えるとともに、震災を乗り越え、力強く復興へと歩み続ける被災地の姿を発信しているこの「東日本大震災津波伝承館]。復興への希望を共有し、社会全体の防災力向上に貢献したいというメッセージが力強く書かれています。

▼「災害と水ー水道のない避難生活を生き抜くためにー」をテーマに解説したコーナー。

 

▼「奇跡の一本松」も含めて、この辺り一帯が「高田松原復興記念公園」とされ、東日本大震災の犠牲者への追悼と鎮魂、震災の記憶と教訓の伝承、そして復興への強い意志を国内外に明確に示しています。この公園は、国、岩手県、陸前高田市が連携して整備。被災地全体の復興の象徴となっています。

▼海側へ向かって歩くと、大規模な堤防が整備されています。

▼東日本大震災伝承館が後ろに見えます。

▼タピック45。

▼津波で、かつて7万本あった高田松原のほとんどが流失。しかし、この美しい海岸を取り戻し、未来に津波の教訓を伝えるために、大規模な植林事業が進められました。岩手県や陸前高田市だけでなく、市民やボランティア、企業などの協力で行われたこの再生プロジェクト。2021年4月〜5月には、岩手県と合わせて合計約4万本の松の苗の植樹が完了しました。

現在は、植樹された松の木を健全に育てるための育樹(いくじゅ)の段階に入っています。草刈りや枝打ちといった手入れが継続して行われており、美しい松原の再生を目指しています。

▼震災遺構の一つ「陸前高田ユースホステル」

▼これも震災遺構の一つ「旧気仙中学校」。

▼奇跡の一本松の周辺エリア。現在と見比べると、当然のことながら大きく変化しています。